明治神宮例大祭とは? わかりやすく解説

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明治神宮例大祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 03:44 UTC 版)

明治節」の記事における「明治神宮例大祭」の解説

明治神宮には明治節当日多数民衆参拝して後を絶たなかった。明治神宮では明治節例大祭が行われ、勅使参向して奉幣した明治神宮例祭式は特に省令定められていた。例祭祝詞次のようであった。 掛(かけ)まくも畏(かしこ)き明治神宮大前(おほまへ)に、宮司〔位勲功爵氏名〕恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)さく。高天原たかまのはら)に神留(かむづま)り坐(ま)す神(かむ)漏(ろ)岐(ぎ)・神(かむ)漏(ろ)美(みの)命以(みことも)ちて、天社(あまつやしろ)・国社くにつやしろ)と称辞(たたへごと)竟(をへ)奉(まつ)る中(なか)に、此(こ)の大宮(おほみや)を静宮(しづみや)の常宮とこみや)と鎮(しづまり)坐(ま)す大神(おほかみ)の、広(ひろ)き厚(あつ)き恩頼みたまのふゆ)を尊(たふとみ)奉(まつ)り仰(あふぎ)奉(まつ)りて、一年ひととせ)に一回ひとたび)仕(つかへ)奉(まつ)る常(つね)の例(ためし)の今日(けふ)の御祭(みまつり)に〔官位勲功爵氏名〕を御使(みつかひ)と為(し)て、天皇命(すめらみこと)の宇豆(うず)の大幣帛(おほみてぐら)を捧(ささげ)奉(まつ)り齋(いはひ)祭(まつ)らひ給(たま)ふが故(ゆゑ)に、大前(おほまへ)に齋(ゆ)まはり清(きよ)まはりて献(たて)奉(まつ)る御食(みけ)・御酒(みき)・種種くさぐさ)の物(もの)を平(たいら)けく安(やすら)けく聞食(きこしめ)して、天皇命(すめらみこと)の大(おほ)御代(みよ)を厳(いかし)御代(みよ)の、足(たらし)御代(みよ)と堅磐(かきは)に常磐(ときは)に齋(いはひ)奉(まつ)り、手長(てなが)の御代(みよ)と幸(さきはへ)奉(まつ)り給(たま)ひ、親王(みこ)等(たち)・諸王おほきみ)等(たち)を始(はじ)めて、食国(をすくに)・天(あめ)の下(した)の国民(おほみたから)に至(いた)るまで、長(なが)く平(たいら)けく守(まもり)給(たま)ひ恵(めぐみ)給(たま)へと、恐(かしこ)み恐(かしこ)みも称辞(たたへごと)竟(をへ)奉(まつ)らくと白(まを)す — 内務省令、明治神宮例祭式 祝詞 明治神宮例大祭の様子については1937年を例にとると次のようであったこの年明治節数年ぶりのだった。明治神宮では朝4時過ぎに早くも門を開き午前8時30分勅使参進とともに拝殿において例祭式執り行った内閣総理大臣以下各閣僚枢密院議長などが参列し宮司権宮司下神官が奉仕し祭典終えた11時より明治節祭を執り行い12時過ぎに終了した午後1時からは皇族参拝した毎年恒例明治神宮献詠歌は皇族9名の御歌のほか7500首を超えた。これら献詠歌は明治節当日奉奠した。披講式は11日午後1時より大前にて行った。 年によっては明治節中心に明治神宮国民体育大会開催した。これは戦後国民体育大会受け継がれる

※この「明治神宮例大祭」の解説は、「明治節」の解説の一部です。
「明治神宮例大祭」を含む「明治節」の記事については、「明治節」の概要を参照ください。

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