山内昌之の『現代の英雄』批判
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「現代の英雄」の記事における「山内昌之の『現代の英雄』批判」の解説
歴史学者の山内昌之は、著書『ラディカル・ヒストリー』(1991年)で1章を割き、レフ・トルストイの『ハジ・ムラート』Хаджи-Мурат(1896年-1904年)と比較しながら、『現代の英雄』を批判している。『現代の英雄』に代表される「カフカース物」における地元民族描写のパターンが、読者たるロシア人に「未開のカフカ―ス」という偏見を植え付け、ひいてはロシアのカフカ―ス征服を正当化する意識の確立に貢献した、という論旨である。(尚、山内は「ロマン主義文学と帝国主義との関連」として本件を論ずるために、『現代の英雄』を「ロシア・ロマン主義作品」としているが、ロシア文学史では『現代の英雄』は「リアリズム(写実主義)作品」に分類される。) ロシアのカフカース南下は、ピョートル大帝の時代から断続的に始まっていたが、1768年-1774年の露土戦争後のオスマン帝国の凋落、およびイラン(ペルシャ)の度重なる王朝交代による不安定化に乗じて勢いをつけ、1801年には東グルジア(カルトリ・カヘティア王国)とアルメニア(バグラティド朝)を併合し(「ロシア帝国下のグルジア」も参照)、1828年のトルコマーンチャーイ条約によりガージャール朝イランから東アルメニアを割譲されるまでの間には、南カフカース(ザカフカージエ)地方の主要地域をほぼ併合していた。が、北カフカースの征服は、山地ムスリム諸民族の抵抗により、1785年のシャイフ・マンスール(英語版、ロシア語版)によるガザヴァト(聖戦)から1859年のイマーム国(英語版、ロシア語版)(ロシアに抵抗した北カフカースの神政国家)3代目イマーム・シャーミル(シャミール)の降伏まで、実に70年以上の歳月を要したのである。 ハジ・ムラート(?-1852年)は、そのカフカ―ス戦争の時代に生を享けたアヴァール人で、イマーム国の優秀な軍司令官として対ロシア抵抗の最前線を戦ったが、人望と地位を奪われることを恐れたイマーム(君主)シャミールは彼の暗殺を命じ、ハジ・ムラートは1851年11月ロシアに投降、ロシア領内の軍人に匿われた。が、シャミールのもとで人質となっている家族を救出すべく、1852年4月、僅かな側近を率いて故国へと向かうが、ロシア軍の哨戒線を突破できずに悲劇的な最期を遂げた。 『現代の英雄』の約60年後に、トルストイが彼をモデルとして8年の歳月をかけて完成させた『ハジ・ムラート』では、主人公は尊厳ある人間として畏敬を以て描かれる。そしてシャイフ・マンスール時代の回想、人質となった家族への思い、ハジ・ムラートの部下(ムリード(弟子)(英語版、ロシア語版))たちの忠実な献身、危険を承知でハジ・ムラートを匿い逃亡を助けた村人など、「山の民」の美徳は美徳として称え、トルストイの筆致は彼らへの敬意と共感を忘れることは無い。「トルストイの偉大さは、…ロシア社会に行き渡った伝統的なカフカース像に見られる偏見と言説を意識的に突き崩した点にある」。そしてトルストイはロシアのカフカース併合を厳しく批判しているが、当時のロシア社会においてはこの考えは少数派であった。 一方、『現代の英雄』では、カフカース諸民族(特にムスリム系)の信仰や慣習を冷笑するくだりが頻繁に登場する。『ベラ』には、オセット人、カバルダ人、チェチェニア(チェチェン)人、チェルケス人、タタール人、グルジア人など数多くの地元民族名が登場するが、彼らは「あれこれの脇役じみた登場人物」としての役割しか与えられておらず、その「民族性」の描写は驚くほど陳腐である。 『ベラ』の冒頭で、聞き手の「私」と語り手のマクシム・マクシームィチとは、グルジア軍道で、カフカース連峰を南から北へ山越えする時に出会う。牛を使って旅人の山越えと荷運びを手伝い日銭を稼ぐオセット人業者が大勢いるのだが、M.M.は彼らを「およそ愚鈍なやつらですよ」と嘲笑し始める。「…なに一つとりえのない、どんな教育にも向かない連中です! せめて、これがカバルダ人とか、チェチェン人だったら、たとえ強盗や、素寒貧でも、そのかわり、捨て身なところもあるのですが、こいつらときた日にゃ、武器をもちたいという気持すらまったくないのですからな。短剣一つ、満足なものはどこにも見当たりませんよ。やっぱり、オセット人というのはね!」「まったく、こすい野郎どもだ! なんかっていうと、酒手をふんだくろうとして因縁をつけやがる」また冒頭では、「…このアジア人てやつはとてもこすい連中ですからね! …旅人から金をふんだくるのがお手のものときているんですからね…」と、オセット人がアジア人にすり替えられている。これはレールモントフがオセット人に抱いていた定型的イメージには違いないが、その社会的背景は読者には示されず、「気の毒な連中ですね!」「およそ愚鈍なやつらですよ」だけで片付けられてしまう。 ベラの家族、そしてカズビッチが属するチェルケス人についても、M.M.は「このチェルケス人というのは、名うての泥棒人種じゃありませんか。盗みたくなるよう出しっぱなしになっているものなら、ふんだくらずにはいられないという手合いですよ。いらない物だってなんだって、みんなかっぱらってしまうんです…」「早い話が、チェルケス人どもはですね、婚礼とか葬式とかいうと、きび酒をがぶ飲みして、あげくのはてに、斬ったはったの騒ぎをはじめるんです。…」と講釈を始める。そしてここでもチェルケス人がアジア人にいつの間にかすり替えられ、「…こいつらアジア人というのは、いつもこうなんだ。きび酒がまわると、きまって、斬ったはっただ!」と特性が拡大されている。ペチョーリンに至っては「おれのような、こんなやさしい亭主をもったら、野蛮未開なチェルケス女はしあわせになるにきまっている」そしてベラを父親に返すべきだと忠告に訪れた M.M.にも「もしもあんな野蛮人に娘を渡したら、それこそ娘は殺されるか、売りとばされてしまいます」と悪びれずに語る。 主人公ペチョーリンの緻密な心理描写とは対照的に、『現代の英雄』の地元諸民族は、決して「生きた」登場人物としては描かれていない。未開な野蛮人と片付けられるか、せいぜい良くて「「高貴」な未開の容貌、「オリエンタル」な雄弁、情熱あふれる眼差し」などの大時代的オリエンタリズムで飾られるだけで、いづれにせよ、読者の共感を呼ぶ精神や人格は存在しない。彼らは結局「チェルケス帽、カバルダ式パイプ、チェルケス製銀モール、グルダ剣(ロシア語版)などが作品に彩りを添える小道具にすぎないのと同じく、たんに物語の「背景」にしかなっていない」のである。 また『運命論者』で、ロシア軍将校たちに「ムスリムの迷信」と片付けられている「人間の運命は天上にしるされている」という説について「レールモントフは因果的に運命が決定づけられる盲目の法則に従って、諦念のなかで生きるムスリム住民の無気力ぶりを描くだけといってしまえば、夭折した天才には酷にすぎるであろうか」と山内は手厳しい。 更に山内が注目するのが、トルストイと同じくハジ・ムラートを主人公として書かれた、モルドフツェフの凡作『カフカースの英雄』である。トルストイとは異なり、主人公は精神と人格のある人間としては描写されず、「野蛮人」という表現が繰り返され、死の場面は動物以下の扱いで、「ある歴史的状況のなかで生き抜いた人間の描写はついになされていない」のである。 凡作とは言え、地方の下層知識人には人気のあった大衆文学であり、斯かる歪んだカフカース像が再生産される背景には、レールモントフ以来一流作家も含めた文筆家たちにより伝統的に繰り返された歪んだカフカ―ス像が存在するのである。
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