地球空洞説の歴史とは? わかりやすく解説

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地球空洞説の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:04 UTC 版)

地球空洞説」の記事における「地球空洞説の歴史」の解説

以下、まずは主な説年代順に挙げるエドモンド・ハレー1692年イギリス天文学者極地方の変則的な磁気変動説明するために地球空洞説考案イギリス学士院で「地球空洞説」を発表した。 これは、「水星と同じ直径中心核と、金星および火星と同じ直径厚さ500マイル同心球状二つ内核からなる空洞地球」、という説であった。これらの殻同士空気の層で切り離され各々の殻はそれぞれ磁極有しており、さらに異な速度自転しているとされた。 また、この説では、「地球内部明るくおそらくは居住可能であること」、さらに「そこから逃げてくる発光性ガスによって、揺らめくオーロラ生じる」とされた。 レオンハルト・オイラー1770年頃) スイス数学者。「オイラーの公式」や「オイラーの多面体定理」で知られる。こちらは多重球殻を採用せず、「地球内部の高度な文明を照らす、一個内部太陽」を仮定したジョン・レスリー1770年頃) スコットランド物理学者地球内部2つ太陽連星それぞれプルートプロセルピナペルセポネ)と名づけられた)を持つモデル発表ジョン・クリーブス・シムズ英語版)(1818年アメリカ陸軍大尉。『同心円極地空洞帯』という本で、地球空洞説となえた。これによると「地球厚さ800マイル (1,300km)、各々両極直径1400マイル (2,300km) の開口部を持つ五層同心球である」とされ、地表の海はそのまま裏側にまでつづいているとされた。このシムズの説は、初期地球空洞説なかでも最も有名なものになったシムズ自説裏付けるために北極探検行を計画し、「自分精神病者ではない」という医師診断書までつけた500部の趣意書を、アメリカフランス政界財界学者配布した結局費用が集まらなかったため、この北極探検頓挫した1828年ロシア皇帝から文書届きロシア帝国主催北極探険隊隊長就任要請される。しかし、シムズ1829年死亡し、この計画には参加できなかった。現在、オハイオ州ハミルトンには、彼の地空洞説記念する碑が立っている。 以後流れは、次の通り1826年 アメリカのジェームズ・マクブライトは、シムズ講演筆記して『シムズ同心理論』(Theory of Concentric Spheres) を出版1868年 W・Fライオンズ (W. F. Lyons) が『空洞地球』(Hollow Earth) を出版1878年 シムズ息子アメリクス・シムズ (Americus Symmes) は、ライオンズ書籍父親の名が抜けていることに激怒し、『シムズ同心理論地球空洞あり内部は居住可能で、両極広大な口があることの論証』を出版1906年 アメリカのウイリアム・リード (William Reed) が、『極地幻影英語版)』を出版内部太陽持たない単層空洞地球アイデア提唱した1908年 アメリカのウィリス・ジョージ・エマーソン(英語版)の『煙の神、ザ・スモーキー・ゴッド』(The Smoky God) は、地下文明があるという発想源泉となった文学作品のひとつである。本書はオラフ・ヤンセンという名のノルウェー人船員の手記という体裁取っている。この本はヤンセン帆船北極にある地球中央への入り口通って航行した主張している。彼は地下コロニーネットワークにいる住人2年間を共に過ごしたエマーソンは彼らの身長12フィートもあり、その世界は「煙がかった (smoky)」中心太陽照らされていたと書いている。エマーソンは彼らの首都が本来のエデンの園(のちに「アガルタ」)であると主張した。(Agartha - Secrets of the Subterranean Cities) 1913年 アメリカマーシャル・B・ガードナー (Marshall Gardner) は、『地球内部への旅・両極実際に発見されたか』を自費出版1920年には、挿絵図版大幅に増やした改訂第二版出版した彼のモデルは、両極直径1400マイル開口部をもつ厚さ800マイルの殻と、直径600マイル内部太陽配置したものであり、彼はこの模型造って特許取得したガードナー書籍にはリードへの言及はなく、シムズ説が採られている。 1920年 ポーランドのフェルディナンド・アントニー・オッセンドフスキーは1920年旅行記獣・人神々』において、当時広く信じられていた地下理想郷神話アガルタ」について記している。「アガルタ神話インドで「シャンバラShambhala とも呼ばれており、そこはイニシエートたち(initiates、秘儀参入者)が住まい人類霊的指導者である「大師たち」(the Masters) が率いるという。 1927年 フランスのルネ・ジャン・マリー・ジョゼフ・ゲノンは『世界の王』(The King of the World) で、世界の王資質を語るにあたり中央アジアにある「シャンバラ」から至る地球内部にある理想王国アガルタ」を引用し深く考察している。 第二次世界大戦終結時アドルフ・ヒトラー少数側近が、南極にある開口部通って地球空洞内部脱出した」という空想的な記事流布された。 1968年11月23日 気象衛星「ESSA-7」が鮮明な北極の穴”を撮影したとされ、世界中大騒ぎになった当時気象衛星軌道から写真撮影すると、カメラアングルの関係で極地方は写らないこのため写真一枚合成すると、撮影されていない極地方は真っ黒になり、ちょうど、ポッカリと穴が開いているように見える。また、写真撮影時期北極で日が昇らない極夜にあたり、この時期太陽光届かない地域が穴が開いているように見えるともいう。 1969年 アメリカのレイモンド・バーナード(英語版)が、『空洞地球――史上最大の地埋学的発見』(The Hollow Earth - The Greatest Geographic Discovery in History) を出版。これは極地探検有名なリチャード・バード少将が、「1947年南極探検飛行最中大穴の中へ迷いこみ、氷原のあるはずの場所に緑あふれる谷間発見した」、という内容であった。 この書籍にはリードガードナーアイデア使われており、シムズ存在は完全に無視されている。焼き直されアイデア以外に、バーナードが独自のアイデアUFO地球内部からやって来る内部世界には環状星雲 (Ring Nebula) が存在する、など)を付け加えている。 フィクションでの扱い隠され智慧護る秘密の賢人たちや超人的な種族が、秘密の地下都市もしくは空洞地球内面住んでいる」という説は、作家によってしばしば書かれた[誰によって?]。それらによれば、「南極北極チベットペルーシャスタ山カリフォルニア州)などはすべて、これらの地下領域への入口となっており、UFO地球内部空洞基地としている」とされた。

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