地区・地名の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 06:48 UTC 版)
「金杉 (船橋市)」の記事における「地区・地名の沿革」の解説
現在の町界は、住居表示整備のため、河川や道路などを基準に境界を定めているため、旧村の境界とは一致しないので注意が必要である。 古代 当地区及び近隣の二和西には旧石器時代・縄文時代の遺跡が残されていることから約3万年前には人が住んでいたとされる。 5世紀頃に大和王権の勢力下 にはいる。 古墳時代には捄国の印波国造・千葉国造のいずれかに属す。また、本地区周辺にもこの時代の遺跡が残されている。 律令時代に捄国が安房、上総、下総の三国に分割。下総国葛飾郡に属す。 中世 10世紀頃に越後国出身の人々を中心に水田開発 が本格化する。(伝・平安時代) 1138年 伊勢神宮に寄進され、夏見御厨(船橋御厨)が成立する。 1311年 船橋大神宮の古文書に「金曽木郷」の文字が現れる。1138年から1311年にかけての開発によって、金杉の稲作面積が7町1反半(約70909m2)から23町1反(約229091m2)に拡大。 1186年 伊勢神宮の御厨から後白河院領となる。 室町時代頃に夏見御厨が消滅する。 戦国時代前後に下総国西部が千葉氏家臣の原氏の領地になる。 1566年 上杉謙信による攻撃の際、原氏が臼井城へと本拠を撤退。栗原・船橋の領地が小金城城主高城胤辰に移譲される。 近世 1590年 北条氏滅亡に伴い、徳川家康が関東に転封。家臣だった武田信吉の知行地の一部となる。 1591年 徳川氏の領地となり検地が行われる。 1592年 武田信吉の佐倉転封に伴い、秋山昌秀の知行地となる。 江戸時代に税徴収など管理上の理由から「南金杉」と区別、下総国葛飾郡南金杉村となる。小金牧の設置に伴い、金杉村が野付村になり、木戸以北の土地が草銭場となる。 1690年 秋山正俊(正房)の代に駿河国駿東郡に転封され、幕府直轄領となる武田領時代の重い年貢取立ての体験から馬込沢台地上の野馬除土手までの土地を馬込へ、二和西下の谷津を鎌ケ谷村へ、金杉東側の谷津を高根村に移譲し、耕作面積の削減を計る。 1693年 一色、稲垣、山高氏三家の知行地として分割統治される。 1855-1856年 野馬除土手設置を巡り、近隣の高根村と地境争いが起こる。 1868年 市川・船橋戦争の戦場になる。 近代 明治時代に木戸以北の草銭場が南金杉村に再び編入、金蔵寺が御滝不動へ移る。 1872年4月 戸籍法に伴い、郡・町村が廃止、葛飾県の管轄となり、大区小区がおかれる。 1872年11月 印旛県の成立に伴い管轄に移行、第1大区4小区 に属す。 1873年9月 大区の区画を改めて、7大区74小区となる。印旛県第1大区(葛飾区)4小区に属す。(法典村・塚田村と連合小区扱所を上山新田に設置。) 1874年7月 千葉県の設置に伴い、大小区の区画改正が行われ、千葉県第12大区第4小区(同連合)に属す。 1878年1月 大区小区の大規模な改正に伴い、千葉県第11大区第12小区(同連合)に移行する。 〃 7月 郡区町村編制法が公布され、郡・町村制が復活する。 〃 9月 南金杉・後貝塚・高根による戸長配置連合(独立)町村が成立、戸長役場が金杉におかれる。 1889年4月 市制町村制施行に伴い、東葛飾郡八栄村が成立。当地区は八栄村大字南金杉となり、村役場が当地に置かれる。 1937年4月 船橋市の新設合併に伴い、千葉県船橋市大字南金杉となる。 1939年 内務省が昭和放水路を計画、村域で用地買収するも、日中戦争による資金不足によって中断。 1940年 新町名設定に伴い千葉県船橋市金杉町となる。 1945年4月 本土決戦用に編成された第52軍山砲兵93連隊(長野県出身184名)が高根国民学校・金杉公会堂に駐屯する。 現代 1948年8月 新京成線新津田沼〜滝不動間が開通。 1949年4月 船橋市立御滝中学校開校(前身は1947年設置の高根・三咲中学校) 1950年4月 御滝公園が開設。(金蔵寺所有地を船橋市に無償提供) 1951年4月 船橋市立馬込霊園が開設。(金杉村の土地所有者が敷地を船橋市に提供) 1952年 県道船橋取手線(高根道)の工事を開始(3年後完成)。 〃 9月 滝不動のさくらまつりが始まる。(市観光協会主催) 1957年2月 桜ヶ丘土地付分譲住宅(市営)が売出。 1958年12月 新京成バスが船橋市内奥部開発に伴い、小室線(船橋駅北口〜小室)、高根線(船橋駅南口〜三咲駅)を含む六路線の営業を開始。 1960年4月 金杉町町会73戸、桜ヶ丘自治会136戸。 1964年8月 新京成線新津田沼〜滝不動間が複線化。 1965年4月 県道夏見小室線の拡張舗装工事(道幅が6m-13m)に伴い、近辺の神社が豊受神社に合祀される。 〃 11月 船橋市立夏見総合運動公園が完成。(金杉村の土地所有者が敷地を船橋市に提供) 1966年4月 農協合併に伴い、船橋農協組合が誕生する。 1970年4月 金杉台団地が造成、金杉町の一部が住居表示実施により金杉台1-2丁目となる。 1971年8月 金杉台団地の入居が始まる。 1975年4月 金杉市民の森開設。(金杉村の土地所有者が敷地を船橋市に提供) 1978年4月 船橋市立金杉小学校開校。 1982年4月 住居表示実施に伴い、金杉町の一部が金杉1-9丁目となる。 1983年4月 船橋市立医療センターが開設。(金杉村土地所有者が敷地を船橋市に提供) 2007年11月 金杉が8,114人、金杉台が3,270人、金杉町 が328人、合計11,712人(船橋市調べ)。 補足 金杉6丁目にある御滝公園に隣接した御滝不動尊金蔵寺に「滝不動」の由来となった御滝が今でも流れている。現在の金蔵寺が立地している地域周辺の小字を見てみると「滝不動」に関連する地名が多く存在し、1950年頃までは、隣接する現在の南三咲の一部を含む東部一体は「御滝不動」と呼ばれていた。 船橋市立夏見総合運動公園がある地域は、「夏見台」という地名になっているが、かつては、金杉村の一部で、地主の寄付によって運動公園が造られた。
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