反ファシズム運動とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 反ファシズム運動の意味・解説 

反ファシズム運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:26 UTC 版)

ジャン=リシャール・ブロック」の記事における「反ファシズム運動」の解説

共産党離党した後のブロック政治的立場トロツキー用いた意味における「同伴者」、すなわち、十月革命支持する作家ではなく共産主義よりむしろ社会主義に近い左派作家、あるいはロマン・ロラン的な平和主義者であり、ジャン・リュシェール(フランス語版)が1931年1月18日付『ノートル・タン(フランス語版)(現代)』(リュシェール自身により1927年創刊1940年終刊)に掲載した平和主義宣言署名し仏独和解融和協力のための仏独委員会フランス語版)の会議参加また、1931年政党および哲学宗教団体から独立した平和運動目指す団体としてヴィクトル・メリック(フランス語版)によって結成された平和闘士国際連盟フランス語版)(LICP)の名誉委員会の委員務めた一方1932年には共産主義共産党との関わり否定したうえで、「プロレタリア国家としてのソ連対す同調示し国際革命作家同盟のベラ・イレシュ(フランス語版)に「帝国主義戦争脅威どのように対応するべきか」と尋ねられたときに、「私は共産党員ではない。私はいかなる政党にも属さない。私自身良心以外のいかなる指示命令にも従わない。私は1917年から一貫した態度取っている。この態度は、理論においても実践においても、必ずしもロシア革命への敬意愛着関わるものではない。私は常に、そして情熱的にプロレタリア国家擁護してきた」と語っている。 ヒトラー内閣成立連動してアクシオン・フランセーズを中心とする右派極右団体民衆扇動して起こした1934年2月6日の危機受けて1935年3月左派知識人結成した反ファシズム知識人監視委員会会長民族学者ポール・リヴェ(フランス語版)、副会長哲学者アラン物理学者ポール・ランジュヴァン)に参加し1935年に同委員会が「イタリア・ファシズム犯罪抗議する文書発表し、反ファシズム運動により拘禁強制移住強制収容されたイタリア人支援する国際委員会結成した際には、ブロックロマン・ロラン委員長務めた。同委員会また、1935年9月15日付『ユーロープ』誌でファシスト政権下の国家防衛特別裁判所イタリア語版)によって禁錮刑処されアントニオ・グラムシ、ウンベルト・テッラチーニ(イタリア語版)、アレッサンドロ・ペルティーニらの釈放求め、同号でブロックエチオピア戦争におけるイタリア対す宥和政策批判した。さらに、国際革命作家同盟フランス支部として設立され革命作家芸術家協会(AEAR)の機関誌コミューンCommune)』に、ブロックポール・ニザンアラゴンバルビュストリスタン・ツァラ、ポール・ヴァイヤン=クーチュリエらによる「エチオピア戦争反対する作家・芸術家」の声明掲載された。 ソ連では1932年共産党中央委員会決議これまで存在した文学団体がすべて解体され1934年8月モスクワ第一回ソビエト連邦作家大会開催されソビエト連邦作家同盟結成された。ブロックはこの大会アンドレ・マルローアラゴンニザンとともに参加し演説行った演説では、ソ連資本主義諸国教育制度文化政策比較し後者不平等に基づくものである批判する一方で芸術は「異議申し立て反体制opposition)」から生まれ画一化体制順応主義大衆迎合主義への抵抗でもあることを強調しソ連共産党カール・ラデック個人主義だと批判された。これに対してブロックは、フランスには革命歴史があり、自由と個人蔑ろにするという過ち犯したこともあることに言及しフランスにおける共産主義革命西欧革命史との関連においてのみ実現される反論したソ連には19か月滞在し、『ユーロープ』誌に多く記事発表する同時にロマン・ロラン連絡取りトロツキー1929年国外追放)の左翼反対派支持して投獄され出獄したものの1933年に再び逮捕されウラルオレンブルク流刑にされたヴィクトル・セルジュ(フランス語版)について当局問い合わせ彼の釈放求め運動参加した(この結果セルジュ1936年国外追放され、フランス亡命した)。 帰国後はソ連に関する講演執筆活動奔走したまた、ブロックソ連滞在中に同国1933年ヒトラー内閣成立受けてこれまでの対外政策大きく転換し1934年国際連盟加盟1935年コミンテルン第7回大会反ファシズム統一戦線結成提案したことも、フランスにおける人民戦線結成併せて、後のブロック思想と活動方向づけることになった1935年6月にはファシズムから文化を守ることを目的とした第一回文化擁護国際作家会議フランス語版)がバルビュスロマン・ロランマルロージッドアラゴンらの提案によりパリ開催されソ連イリヤ・エレンブルグイサーク・バーベリドイツハインリヒ・マンベルトルト・ブレヒトアンナ・ゼーガースオーストリアローベルト・ムージル英国オルダス・ハクスリーら約38か国から320人の文学者参加した。「文化遺産」、「ヒューマニズム」、「国民文化」、「個人」、「思想尊さ」、「社会における作家役割」、「文学創造」、「文化擁護のための作家行動」のテーマ行われたこの大規模な反ファシズム作家会議で、ブロックハインリヒ・マンとともに文学創造」の分科会司会務め、「文学創造人間社会」と題する講演行った。この会議概要主な講演についてはバルビュスの『世界』誌や『コミューン』誌で報告され邦訳も『文化擁護 - 1935年パリ国際作家大会』として刊行された。 1936年ロマン・ロランの『ユーロープ』誌創刊趣旨である「精神独立」、超党派的な「自由な思想真に国際的な思想雑誌であった同誌が、反ファシズム運動を背景共産党に「乗っ取られた」ことを批判してジャン・ゲーノ編集長辞任した。彼は共産党政策批判的であり、1936年8月始まったモスクワ裁判について最初に記事書いたのも彼であったブロックは『ユーロープ友の会新編委員会結成尽力しジャン・カスー新編集長に就任した1936年6月講演を行うためにスペイン訪れたブロックは、翌7月スペイン人民戦線政府に対してフランコ将軍クーデター起こし内戦勃発すると、人民連合全国委員会Comité du Rassemblement populaire français)よって再びスペイン派遣された。ブロックアサーニャ率いスペイン人民戦線政府支持し内戦へ不干渉政策を採ったブルム首相を批判する記事多く発表し、これらを編集して1936年に『スペインスペイン !』を共産党出版局から刊行した

※この「反ファシズム運動」の解説は、「ジャン=リシャール・ブロック」の解説の一部です。
「反ファシズム運動」を含む「ジャン=リシャール・ブロック」の記事については、「ジャン=リシャール・ブロック」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「反ファシズム運動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「反ファシズム運動」の関連用語

反ファシズム運動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



反ファシズム運動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジャン=リシャール・ブロック (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS