反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』の意味・解説 

反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/14 05:26 UTC 版)

ジャン・カスー」の記事における「反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』」の解説

1936年4月ルイ・アラゴンロマン・ロランジャン=リシャール・ブロックフランス語版)の推薦を受け、ジャン・ゲーノ後任として反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』誌の編集長就任時事担当し知識人ファシズムとの闘い呼びかけた。スペイン共和派の熱心な支持者であった彼は、同年アンドレ・マルロー劇作家アンリ=ルネ・ルノルマンフランス語版とともにスペイン知識人への支援呼びかけ1936年7月フランコクーデター起こすと(スペイン内戦勃発)、渡西して数週間滞在し第二共和政首相マヌエル・アサーニャほかスペイン友人会い帰国後、フランス政府スペイン共和政への支援訴えた。だが、ブルム人民戦線内閣スペイン内戦への介入をめぐる内部対立収拾することができなくなっていた。内戦介入支持しミュンヘン協定(対独宥和政策)に反対するカスーは共産主義傾倒したが、1939年8月23日独ソ不可侵条約締結機に共産党と完全に縁を切り、ロマン・ロラン了解得てユーロープ』誌の編集長辞任した一方1932年から歴史的記念物視察官を務めていたカスーは、1936年6月24日にジャン・ゼー(フランス語版国民教育美術大臣官房美術問題担当任命されエコール・デ・ボザール学長ジョルジュ・ユイスマンのもとで重要な役割担い、特に美術品買取に関する政策策定文化予算拡大尽力した1938年リュクサンブール近代美術館国立近代美術館前身)の学芸員補佐任命され以後近代美術コレクション収集整備取り組んだ第二次大戦勃発すると、国立美術館所蔵品地方古城保管することになった。カスーは1940年2月召集令状受けたが、翌月美術品コンピエーニュ城保管する任務に当たるよう命じられ兵役免除された。次いで(特にルーヴル美術館所蔵品疎開させた貢献によって知られるルーヴル校(フランス語版学長のジャック・ジョジャール(フランス語版)の命によりパリ市学芸員復帰し、元主任学芸員エコール・デ・ボザール学長就任したルイ・オートクール(フランス語版)の推薦によりリュクサンブール近代美術館主任学芸員任命された。ところが、ヴィシー政権はカスーが左派政治活動をしていたことを理由解任以後対独レジスタンス活動専念した

※この「反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』」の解説は、「ジャン・カスー」の解説の一部です。
「反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』」を含む「ジャン・カスー」の記事については、「ジャン・カスー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』」の関連用語

反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



反ファシズム・共産党系の文芸誌『ユーロープ』のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジャン・カスー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS