ローベルト・ムージルとは? わかりやすく解説

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ムージル【Robert Musil】

読み方:むーじる

[1880〜1942オーストリア小説家第一次大戦前後オーストリア世相描いた未完大作特性のない男」は、20世紀文学代表する作品一つ数えられる。ほかに、長編「若いテルレスの惑い」、短編三人の女」など。


ロベルト・ムージル

(ローベルト・ムージル から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/24 19:06 UTC 版)

ロベルト・ムージル
Robert Musil
誕生 1880年11月6日
オーストリア=ハンガリー帝国 クラーゲンフルト
死没 (1942-04-15) 1942年4月15日(61歳没)
スイス ジュネーヴ
墓地 ロワ墓地
職業 小説家随筆家劇作家
言語 ドイツ語
国籍  オーストリア
教育 哲学博士
最終学歴 ベルリン大学
活動期間 1906年 - 1942年
ジャンル 小説随筆戯曲
主題 新しい人間、合一、可能性感覚、エッセイスムス
文学活動 モダニズム
代表作 特性のない男
主な受賞歴 Gerhart Hauptmann prize (1929年)
クライスト賞 (1923年)
デビュー作 『士官候補生テルレスの惑い』
配偶者 マルタ・マルコヴァルディ
(1911年 - 1942年、死別)
署名
ウィキポータル 文学
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ローベルト・ムージルRobert Musil1880年11月6日 - 1942年4月15日)は、オーストリア小説家劇作家エッセイスト

長編小説『特性のない男』は世界的に高い評価を受けており、しばしばジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』や、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』と並び、20世紀前半の文学を代表する作品とみなされている[注釈 1][1]
小説については寡作であったが[1]、多数のエッセイを発表し、特に1910年代から30年代にかけては積極的にジャーナリズムに関与した[2]

発音と表記

元々チェコから移住した家系の為、ムシルムジール等様々に発音され、日本の日本語訳や研究でもいくつかの異なった表記が行われているが、近年はおおむねドイツ語読みのムージルで定着していると言ってよい(本来のチェコ語の発音ではムシルである)。

生涯

出自

父アルフレートは1846年にハンガリーバナート地方のテメシュヴァールに生まれ、後にグラーツに移住した。母ヘルミーネ・ベルガウアー Hermine Bergauer はオーバー・エースターライヒ州出身である。

アルフレートは、エンジニア、専門学校の校長を経た後、1890年からブリュン工科大学機械工学の教授、1917年には世襲貴族の称号を与えられる。ヘルミーネの祖父も、有名なエンジニアである。

生誕から作家となるまで

1900年

1880年11月6日クラーゲンフルトに生まれる。幼少期をコモタウ(現チェコのホムトフ)、シュタイアーオーバー・エースターライヒ州の都市)で過ごす[注釈 2]。シュタイアーにはギムナジウムがなかったため、ムージルは成績優秀にもかかわらず実科学校に通った。一家は1891年ブリュンへ転居するが、そこでもやはり実科学校に通う[4]

ムージルにとって読むことと書くことは幼少のころから特別に際だった体験であり、ドイツ語の作文ではその長大さと巧みに盛り込まれた見解、豊麗な描写が教師を驚かせたが、自身では「綱渡り」のような興奮状態の内に書かれた文章も、読み返す段になると、「結局彼(ムージル)は転落するのだった」と日記で回想している[注釈 3][3]

ブリュンで出会った二歳年上の友人グストゥル(グスタフ)・ドーナトから性に関する知識を得るなど、早熟な少年だったムージルは、両親、特に母親との衝突と「ナポレオン的」なものへの憧れから[3][4][5]アイゼンシュタットの陸軍初等実科学校へ進み、メーリッシュ・ヴァイスキルヒェン(チェコのフラニツェ・ナ・モラヴィェ)の陸軍上級実科学校に学んだ。やがて機械工学の道に転じてブリュン工科大学に入学[6]

その後再び哲学に転じると、ベルリン大学エルンスト・マッハ研究により博士号を取得する(1908年)。しかし結局、処女作『士官候補生テルレスの惑い』(1906)で踏み出していた作家としての道を選ぶ。1905年には「特性のない男」の草案を日記に書いている。

作家として

その後短編集『合一』(1911)、『三人の女』(1924)、『生前の遺稿集』(1935)などを発表、客観的で透徹した認識を保ちながら、理性や言語を超えた神秘的とも言える世界を追求する。1919年、「特性のない男」の仕事に本格的に取り組み始める。

『特性のない男』、亡命と突然の死

ムージルの名を世界的なものにしたのは、唯一の長編にして未完の大作『特性のない男』である。第一次世界大戦直前のウィーンを舞台にしたこの小説は、1930年に第一巻(第一部、第二部)がローヴォルト社から五千部出版された。

ムージルは1931年に再びベルリンに移るものの、1933年ナチスの政権奪取後はウィーンに戻り、1938年にはスイスに亡命、この時彼の書物は発禁処分を受ける。最後はジュネーヴでこの大作の完成に心血を注ぐが、1942年シャワー室の中で脳卒中のため急死した。

評価

生前のムージルはけして無名の作家というわけではなかったが、小説家として寡作なこと、その作品が必ずしも大衆的ではないこと、そしてナチスによって主著が禁書目録に載せられたなどの理由によって、一時は忘れられた作家となった[1][7]
しかし1949年10月、ロンドン・タイムズ・リテラリ・サプルメントに掲載されたムージルについての紹介記事の一文(「今世紀前半のドイツ語圏の最もすぐれた小説家は、私たちに最も知られざる小説家の一人である」)を嚆矢として、アードルフ・フリゼー編集の三巻本ムージル全集(1952-57)の刊行をはじめ、世界各国での研究・翻訳がさかんに行われるようになった[1][8]

没後の評価としては、以下のようなものがある。

ムージルにとっての認識とは、対立し合う二極の両立し得ないことの自覚なのです。一方は彼が正確さとか、数学とか、純粋精神とか、ときには軍人気質とさえ呼ぶものであり、もう一方は魂とか、非合理性とか、あるいは人間性、またあるいは混沌(カオス)とか呼んでいるものです。彼が知っていること、あるいは考えていることのすべてを、彼は百科全書的な書物のなかに詰めこみ、これに小説の形を維持させようと試みるのですが、その構成はたえず変化して、彼の手のなかで崩れてゆくために、彼はその小説をただ完結させられないというだけではなく、その膨大な材料の山をはっきりとした輪郭のなかに収められるような全体の様相がどのようなものとなるべきかを決定することさえもできないままでいるのです。(中略)ムージルは、けっしてまきこまれるということなしに、体系(コード)と位相(レベル)の多様性のなかでつねにいっさいを理解しているという印象を与えるのですが、(中略)このような特徴も書き留めておかなければなりません、すなわち結論することの不可能さです。 — イタロ・カルヴィーノ『アメリカ講義』[9]

略年譜


1880年000000
11月6日午前9時、クラーゲンフルト市近郊ザンクト・ループレヒトに父アルフレートと母ヘルミーネの子として生まれる。
1900年 4月19日、『新ブリュン新聞』に「ヴァリエテ」掲載される。
1906年 10月末、『テルレス』刊行。
1908年 11月・12月、隔月誌『ヒュペーリオン』第六号に『魅せられた家』が掲載される。
1911年 4月15日、ウィーンにてマルタと結婚。5月末、『合一』および『テルレス』新版がミュンヘンのゲオルク・ミュラー出版社から刊行される。
1920年 5月1日、『メルケル』に「メロドラマ《黄道十二宮》の序幕」を発表。
1921年 8月22日、ジビュレン出版社が戯曲『熱狂家たち』刊行。12月、『新メルクーア』に「グリージャ」を発表。
1923年 2月末もしくは3月初め、『新小説』に「トンカ」を発表。11月17日、「ポルトガルの女」がローヴォルト出版社から刊行される。手刷りで200部。
1924年 1月5日、三幕からなる茶番劇『ヴィンツェンツとお偉方の女友達』がローヴォルト出版社から刊行される。1月24日、「グリージャ」がポツダムのミュラー商会から刊行される。2月28日、短編集『三人の女』がローヴォルト出版社から刊行される。
1928年 1月、『新展望』に「黒つぐみ」が掲載される。4月8日、正式に『特性のない男』と名づけた長編小説を部分的に発表しはじめる。第八章にあたる「カカーニエン――断章」を『ターク』に発表。
1930年 11月、『特性のない男』第一巻刊行。12月22日、ローヴォルト出版社から『テルレス』新版が刊行される。
1932年 12月19日、ローヴォルト出版社から『特性のない男』第二巻刊行。
1935年 12月半ば、チューリヒのフマーニタス出版社から小品集『生前の遺稿』刊行。実売数、数百部。
1942年 4月15日午後1時、ジュネーブ脳卒中に襲われ死去。

主な著作

  • 士官候補生テルレスの惑い(Die Verwirrungen des Zöglings Törleß,1906)
  • 合一(Vereinigungen,1911)
  • 夢想家たち(Die Schwärmer,1921)……戯曲である。
  • 三人の女(Drei Frauen,1924)……連作短編「トンカ」「グリージャ」「ポルトガルの女」
  • 生前の遺稿集(Nachlaßzu Lebzeiten,1935)- ※「黒つぐみ」ほか
  • 特性のない男(Der Mann ohne Eigenschaften)
    • 第1巻 (第1部および第2部)(1930)
    • 第2巻 (第3部途中まで)(1932)

主な日本語訳

  • 『特性のない男』全6巻、高橋義孝、伊藤利男、円子修平ほか訳、新潮社、1964-66
  • 『特性のない男』全4巻、加藤二郎、柳川成男、北野富志雄訳 河出書房新社、1965-66
    • 抜粋版『ムシル 河出版世界文学全集』1964、他は「三人の女」
  • 「若いテルレスの惑い」「ヴェロニカ」「グリージャ」吉田正己訳「世界の文学」中央公論社、1966 
  • 「愛の完成」「静かなヴェロニカの誘惑」古井由吉訳、「三人の女」生野幸吉訳、「黒つぐみ」川村二郎訳
  • 『ぼくの遺稿集』森田弘訳 今日の文学:晶文社、1969 
  • 「少年テルレスのまどい」「三人の女」生野幸吉、中島敬彦訳「世界文学全集」講談社、1970、新版1976
  • 『三人の女』川村二郎訳、河出書房新社、1971 モダン・クラシックス
    • 『三人の女・黒つぐみ』川村二郎訳、岩波文庫、1991 - 改訳 
  • 『夢想家たち』円子修平訳、河出書房新社、1973 モダン・クラシックス
  • 『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』古井由吉訳、岩波文庫、1987 - 改訳
  • ムージル著作集』(全9巻)松籟社、1992-97 
    • 第1-6巻『特性のない男』加藤二郎訳 - 河出版を改訳 1992-95
    • 第7巻 小説集「テルレスの惑乱」鎌田道生、久山秀貞訳 1995
      • 「静かなヴェロニカの誘惑」「愛の完成」古井由吉訳
      • 「三人の女」川村二郎訳  
    • 第8巻 「熱狂家たち」円子修平訳、「生前の遺稿」斎藤松三郎訳 1996
    • 第9巻 日記/エッセイ/書簡 田島範男、長谷川淳基、水藤龍彦訳 1997 ISBN 4879841900
  • 『ムージル日記』円子修平訳、法政大学出版局、2001 
  • 『ムージル書簡集』円子修平編訳、国書刊行会、2002 
  • 『ムージル・エッセンス 魂と厳密性――エッセイ選集』円子修平ほか訳、中央大学出版部、2003 ISBN 4805751509
  • 『寄宿生テルレスの混乱』丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫、2008 
  • 『クラウディーネの愛 ヴェローニカの誘惑』田中一郎訳 青山ライフ出版、2011

伝記

早坂七緒,北島玲子,赤司英一郎,堀田真紀子,渡辺幸子訳
  • オリヴァー・プフォールマン『ローベルト・ムージル―可能性感覚の軌跡』アスパラ、2019 ISBN 978-4901022101
早坂七緒,高橋完治,渡辺幸子,満留伸一郎訳

研究

  • アードルフ・フリゼー編『ムージル読本 別の人間を見出すための試み』加藤二郎、早坂七緒、赤司英一郎訳、法政大学出版局、1994
  • 鎌田道生編『ムージル思惟する感覚』鳥影社、1995
  • 古井由吉『ロベルト・ムージル』岩波書店、2008
  • 北島玲子『終わりなき省察の行方 ローベルト・ムージルの小説』上智大学出版、2010
  • 時田郁子『ムージルと生命の樹=Musil und der Baum des Lebens 「新しい人間」の探究』松籟社、2012

脚注

注釈

  1. ^ 日本では、篠田一士文芸評論家)が『二十世紀の十大小説』(新潮社)で選出している。
  2. ^ ムージルはオーバー・エースターライヒの風土を愛し、後年その印象を回想している[3]
  3. ^ カール・コリーノはこのエピソードを『特性のない男』が未完に終わった事実と関連付けて考察している[3]

出典

  1. ^ a b c d 圓子修平「序――ローベルト・ムージル」エッセンス 2003, pp. Ⅶ-Ⅷ
  2. ^ 岡田素之「エッセイストとしてのムージル」エッセンス 2003, pp. 439–464
  3. ^ a b c d 「1:「まるで子供のうちに全部決まってしまったかのようだ」」コリーノ 2009, pp. 1–44
  4. ^ a b 「2.「現実からそれてゆくラインの始まり」」プフォールマン 2019, pp. 11–29
  5. ^ 「3:悪魔の尻の穴で――寄宿生時代」コリーノ 2009, pp. 89–121
  6. ^ F・ブライ『同時代人の肖像』法政大学出版局、1981年、147頁。 
  7. ^ アードルフ・フリゼー「序文」フリゼー 1994, pp. 1–3
  8. ^ 加藤二郎・早坂七緒・赤司英一郎「訳者あとがき」フリゼー 1994, pp. 303–318
  9. ^ 「5 多様性」アメリカ講義 2011, pp. 194–195
  10. ^ リルケ「ドゥイノの悲歌」注解

参考資料

  • アードルフ・フリゼー編 著、加藤二郎、早坂七緒、赤司英一郎 訳『ムージル読本 別の人間を見出すための試み』法政大学出版局、1994年。ISBN 4588490133 
  • イタロ・カルヴィーノ 著、米川良夫和田忠彦 訳『アメリカ講義 新たな千年紀のための六つのメモ』岩波書店岩波文庫〉、2011年。 ISBN 978-4-00-327095-0 
  • オリヴァー・プフォールマン 著、早坂七緒、高橋完治、渡辺幸子、満留伸一郎 訳『ローベルト・ムージル――可能性感覚の軌跡――』アスパラ、2019年。 ISBN 978-4-901022-10-1 
  • カール・コリーノ 著、早坂七緒、北島玲子、赤司英一郎、堀田真紀子、渡辺幸子 訳『ムージル伝記 1』法政大学出版局、2009年。 ISBN 978-4-588-00914-3 
  • ロベルト・ムージル 著、圓子修平ほか 訳『ムージル・エッセンス 魂と厳密性――ローベルト・ムージル エッセイ選集』中央大学出版部、2003年。 ISBN 4805751509 

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