原子爆弾投下都市の選定経緯とは? わかりやすく解説

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原子爆弾投下都市の選定経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 12:25 UTC 版)

日本への原子爆弾投下」の記事における「原子爆弾投下都市の選定経緯」の解説

広島長崎原子爆弾による攻撃目標となった経緯は、日本の各都市への通常兵器による精密爆撃焼夷弾爆撃続けられる中で、以下のようなものであった1943年5月5日軍事政策委員会最初原子爆弾使用について議論がなされ、トラック島集結する日本艦隊投下するのがよいというのが大方の意見であった1944年11月24日から翌3月9日通常兵器による空爆第一期で、軍需工場主要な目標とした精密爆撃が行われた。ただし、カーチス・ルメイ陸軍少将による焼夷弾爆撃実験的に始められていた。 ついで、1945年3月10日から6月15日通常兵器による空爆第二期で以下のような大都市市街地対す焼夷弾爆撃が行われた。 1945年3月10日 東京大空襲 1945年3月12日 名古屋大空襲 1945年3月13日 大阪大空襲 1945年3月17日 神戸大空襲 1945年4月12日ルーズベルト急死により、副大統領であったトルーマン大統領就任したルーズベルト原子爆弾政策継いだトルーマンに、「いつ・どこへ」を決定する仕事残された。4月25日スティムソン陸軍長官と、マンハッタン計画指揮官グローヴスホワイトハウス訪れ原爆投下に関する資料提出した。しかしこの際トルーマンは、「資料を見るのは嫌いだ」と語ったという。 1945年4月中旬から5月中旬に、沖縄戦支援するため九州四国飛行場重点的に爆撃し大都市への焼夷弾爆撃中断された。このため京都大空襲遅れた1945年4月27日陸軍第1回目選定委員会 (Target Committee) において以下の決定なされた。これはアメリカ政府に対して極秘元に行われた日本本土へ爆撃状況について、第20航空軍が「邪魔な石は残らず取り除く」という第一目的をもって次の都市系統的に爆撃しつつあると報告した東京都区部横浜市名古屋市大阪市京都市神戸市八幡市長崎市次の17都市および地点研究対象とされた。東京湾川崎市横浜市名古屋市京都市大阪市神戸市広島市呉市下関市山口市八幡市小倉市福岡市熊本市長崎市佐世保市1945年5月10日11日第2回目選定委員会がロスアラモスオッペンハイマー博士執務室開かれ8月初めに使用予定の2発の原子爆弾投下目標として、次の4都市初め選定された。 京都市AA目標 広島市AA目標 横浜市:A級目標 小倉市:A級目標 このとき以下の3基準示された。 直径3マイル超える大きな都市地域にある重要目標であること。 爆風によって効果的に破壊しうるものであること。 来る8月まで爆撃されいままでありそうなもの。 1945年5月28日第3回目選定委員会が開かれた京都市広島市新潟市投下する地点について重要な決定がされ、横浜市小倉市目標から外された。 投下地点は、気象条件によって都度基地決定する投下地点は、工業地域位置限定しない投下地点は、都市中心に投下するよう努めて、1発で完全に破壊する。 これらの原子爆弾投下目標都市への空爆禁止決定された。禁止目的は、原爆もたらす効果正確に測定把握できるようにするためである。これが目標となった都市に「空襲がない」という流言を生み、一部疎開生徒帰郷や、他の大都市からの流入を招くこととなった1945年5月29日目標から外され翌日横浜大空襲が行われた。なお、この横浜大空襲は、第3回目選定委員会で横浜目標から外されたから行われたものでなく、横浜に対して通常空襲を行うために、原子爆弾投下目標から外したものと思われる1945年6月1日スティムソン陸軍長官委員長とする政府暫定委員会は、 原子爆弾日本に対してできるだけ早期使用すべきであり、 それは労働者住宅囲まれ軍需工場に対して使用すべきであるその際原子爆弾について何ら事前警告もしてはならない。 と決定した。なお原子爆弾投下事前警告については、BBCニューデリー放送)やVOAサイパン放送)で通告されていたという説もあるが、確認されていない。 この経過の中で、4つ目標都市のうち京都次の理由から第一候補地とされていた。 人口100万を超す大都市であること。 日本古都であること。 多数避難民罹災工業流れ込みつつあったこと。 小さな軍需工場多数存在していること。 原子爆弾破壊力正確に測定し得る十分な広さ市街地持っていること。 しかし、フィリピン総督時代京都訪れたことのあるスティムソン陸軍長官の強い反対にあったことや、戦後、「アメリカ親し日本」を創る上で京都には千数百年の長い歴史があり、数多く価値ある日本の文化財点在、これらを破壊する可能性のある原子爆弾京都投下したならば、戦後日本国民より大きな反感を買う懸念があるとの観点から、京都への原子爆弾投下問題であるとされた。 1945年6月14日京都市除外され目標小倉市広島市新潟市となる。しかし京都への爆撃禁止命令継続された。 1945年6月16日から終戦まで、通常兵器による空爆第三期となり、中小都市への焼夷弾爆撃が行われた。 1945年6月30日アメリカ軍統合参謀本部ダグラス・マッカーサー陸軍大将チェスター・ニミッツ海軍大将ヘンリー・アーノルド陸軍大将宛に、原子爆弾投下目標選ばれ都市対す爆撃禁止指令同様の指令はこれ以前から発せられており、ほぼ完全に守られていた。 新し指令統合参謀本部によって発せられない限り貴官指揮下のいかなる部隊も、京都広島小倉新潟攻撃してならない。 右の指令の件は、この指令実行するのに必要な最小限の者たちだけの知識とどめておくこと。 1945年7月3日それでもなお京都市京都盆地位置しているので原子爆弾効果確認するには最適として投下強く求め将校科学者多く存在し、その巻き返し意見によって再び京都市候補地となった1945年7月20日パンプキン爆弾による模擬原子爆弾投下訓練開始された。 1945年7月21日ワシントンハリソン陸軍長官特別顧問暫定委員会委員長代行)からポツダム会談随行してドイツ滞在していたスティムソン陸軍長官に対して京都第一目標にすることの許可求め電報があったが、スティムソン直ちにそれを許可しない旨の返電をし、京都市除外決定した1945年7月24日京都市代わりに長崎市が、地形的に不適当な問題があるものの目標加えられた。スティムソン陸軍長官7月24日日記には「もし(京都の)除外がなされなければ、かかる無茶な行為によって生ずであろう残酷な事態のために、その地域において日本人を我々と和解させることが戦後長期間不可能となり、むしろロシア人接近させることになるだろう(中略満州ロシア侵攻があった場合に、日本合衆国同調させることを妨げ手段となるであろう、と私は指摘した。」とあり、アメリカ戦後国際社会における政治的優位性を保つ目的から、京都投下案に反対したことが窺えるトルーマン大統領ポツダム日記7月25日の項にも「目標は、水兵などの軍事物を目標とし、決し女性子供ターゲットにする事が無いようにと、スティムソン言った。たとえ日本人野蛮であっても、共通の福祉を守る世界指導者たるわれわれとしては、この恐るべき爆弾を、かつての首都にも新し首都にも投下することはできない。その点で私とスティムソン完全に一致している。目標は、軍事物に限られる。」とある。 1945年7月25日マンハッタン計画最高責任者グローヴス作成した原爆投下指令書発令される(しかし、それをトルーマン承認した記録はない)。ここで「広島小倉新潟長崎いずれか都市8月3日ごろ以降目視爆撃可能な天候の日に「特殊爆弾」を投下する」とされた。 1945年8月2日、第20航空軍司令部が「野戦命令第13号」を発令し8月6日原子爆弾による攻撃を行うことが決定した攻撃の第1目標は「広島市中心部工業地域」(照準点は相生橋付近)、予備の第2目標は「小倉造兵廠ならびに市中心部」、予備第3目標は「長崎市中心部であった1945年8月6日広島市ウラニウム原子爆弾リトルボーイ投下された。 1945年8月8日、第20航空軍司令部が「野戦命令第17号」を発令し8月9日2回目原子爆弾による攻撃を行うことが決定した攻撃の第1目標は「小倉造兵廠および市街地」、予備の第2目標は「長崎市街地」(照準点は中島川下流域常盤橋から賑橋付近であった1945年8月9日、第1目標小倉市上空視界不良であったため、第2目標である長崎市プルトニウム原子爆弾ファットマン投下された。小倉視界不良であった理由には天候不良のほか、八幡大空襲生じた煙によるなどの説がある。

※この「原子爆弾投下都市の選定経緯」の解説は、「日本への原子爆弾投下」の解説の一部です。
「原子爆弾投下都市の選定経緯」を含む「日本への原子爆弾投下」の記事については、「日本への原子爆弾投下」の概要を参照ください。

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