原子爆弾開発プロジェクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 06:57 UTC 版)
「イーゴリ・クルチャトフ」の記事における「原子爆弾開発プロジェクト」の解説
1941年に独ソ戦が始まると、クルチャトフは磁気機雷より船舶を防護する研究、つづいて戦車の装備について研究するようになった。1943年にNKVD(内務人民委員部)は原子爆弾の実現可能性に関するイギリスの極秘文書を入手する。これによりスターリンはソ連の原子力プログラムを開始するように命じた。アブラム・ヨッフェがモロトフにクルチャトフを推薦し、その結果当時40歳とまだ若かったクルチャトフがこのプロジェクトを指揮することとなった。スターリンが原子爆弾開発を命じたもうひとつの理由は、ゲオルギー・フリョロフからの手紙にあった。フリョロフはその少し前から、核分裂反応や原子力エネルギーに関する論文が西側の学術雑誌から消えていることに気づいていた。各国の原子爆弾開発が始まったことを察知したフリョロフはスターリンに手紙を書いて忠告したのだった。 ソビエトの原子爆弾開発プログラムは当初は遅々として進まなかったが、 スパイのクラウス・フックスからもたらされた西側での開発状況や、その後実際に広島と長崎に原子爆弾が投下されたことにより、スターリンは1948年までに原子爆弾を完成させるようにと命じ、プロジェクトを悪名高いベリヤの指揮下におくことにより科学者に強いプレッシャーを与えた。一方で科学者は様々な生活上の優遇措置を与えられた。1946年11月、クルチャトフは研究所のすぐ隣に建てられた自宅に妻とともに移り住み、1960年に死去するまでここで暮らした。 ソ連の原子爆弾開発プロジェクトはゴーリキー州(現ニジニ・ノヴゴロド州)のサロフで行われたが、秘密保持のために町は地図から消され名もアルザマス-16と変えられた。原子爆弾開発チームは、すでにアメリカで公開されていた情報やスパイのフックスがもたらした情報を参考にしたが、フルシチョフとベリヤは、ソ連の諜報機関がニセの情報をつかまされていることを恐れて、入手した情報はすべてソ連のチームで追試するようにと念を押した。これに加えて、ベリヤ率いる秘密警察が科学者の行動をチェックした。 原子爆弾開発プロジェクトが始まると、クルチャトフは、プロジェクトが成功するまではヒゲを剃らないことを宣言し、そのためにそれ以降のクルチャトフは長いひげがトレードマークとなった。
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