編集者としての影響
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「ジョン・W・キャンベル」の記事における「編集者としての影響」の解説
1937年後半、F・オーリン・トレメインはキャンベルを『アスタウンディング』誌の編集者として雇った。編集長となるのは1938年5月のことであるが、作品の買い付けはそれ以前から任されるようになっていた。編集長に就任するとキャンベルは早速改革に乗り出し、「ミュータント」という言葉を独特な小説を意味するのに使い、1938年3月には誌名を『アスタウンディング・ストーリーズ』から『アスタウンディング・サイエンス・フィクション』に変えた。 1938年3月にレスター・デル・レイを見出したのを手始めとして、1939年には多数の新人作家を発掘することになった。これが「SF黄金時代」の始まりであり、特に1939年7月号が大きな転換点となった。7月号にはA・E・ヴァン・ヴォークトのデビュー作「黒い破壊者」、アシモフの「時の流れ」が掲載され、8月号にはロバート・A・ハインラインのデビュー作「生命線」、9月号にはシオドア・スタージョンのデビュー作が掲載された。 1939年には、ファンタジー専門誌『アンノウン』を創刊した。『アンノウン』誌は戦争中の紙不足のため4年で休刊となったが、その編集方針は現代のファンタジーに重大な影響を及ぼした。 キャンベルはSF黎明期の最も重要で影響力のあった編集者とされている。"The Encyclopedia of Science Fiction" には「現代SFの形成に最も影響を与えた人物」と紹介されている。ロバート・A・ハインライン、A・E・ヴァン・ヴォークト、アイザック・アシモフなど多くの一流SF作家を育てた。また「亜光速で航行中の宇宙船が直角に方向転換する」ような作品を排除してSFの質を高めることに尽力した(ただしキャンベルの強硬な姿勢は後に反発を招いた)。これらの功績と創作活動によって、1940年代アメリカSFの立役者の一人と見なされている。 キャンベルは作家にアイデアを示唆したことでもよく知られており、先に買い取った表紙のイラストにマッチしたストーリーを作家に依頼することもあった。編集者としては特に、初期のアシモフとの関係で知られている。出世作となった短編「夜来たる」は彼のアイディアであり、有名な「ロボット工学三原則」もアシモフの短編を元に彼が定式化したものである。ただし一方で悪影響もあり、アシモフの『ファウンデーションシリーズ』で異星人が登場しないのは、白人至上主義者で異星人すら蔑視していたキャンベルとの衝突をアシモフが避けたためである。アシモフはキャンベルの影響について次のように記している。 例示、指示、迷いのない一貫した主張によってキャンベルはアスタウンディング誌やその後のSFを彼の型に嵌めていった。彼は、SFのそれ以前の方向性を捨てさせた。彼は、それまでの登場人物の在庫を一掃し、安っぽいプロットを根絶し、日曜の新聞の科学解説にあるような設定を根絶した。一言で言えば、彼はパルプ・マガジンのどぎつさを抹消した。代わりに彼はSF作家に科学を理解し人間を理解することを要求し、1930年代の既成のパルプ作家にはそれは難しい注文だった。キャンベルはその点では全く妥協しなかった。彼の要求に応えられない作家の作品は買わず、その大変革は10年前にハリウッドで無声映画からトーキーへの変革が起きたのと同様の大変さだった。 キャンベルが要求した思索的でもっともらしいSFのタイプの典型として、クリーヴ・カートミル(英語版)の短編 "Deadline" がある。これは1944年、史上初の核兵器が使われる1年前の作品である。『アナログ』誌編集長としてキャンベルの後継者となったベン・ボーヴァは、この作品について「原子爆弾の基本的製造法を解説したもので(中略)戦前の科学専門誌に掲載された論文から得た科学情報を駆使してキャンベルと作者が構築したものである。彼らにとって、ウラニウム爆弾の構造は完全に明らかだったようだ」と記している。この小説が掲載された雑誌が発売されると、FBIがキャンベルのオフィスを急襲し、販売停止を要求した。キャンベルは、雑誌を販売禁止にしたら原子爆弾開発プロジェクトがあることを一般に宣伝するようなものだと言って、FBIを納得させた。 キャンベルはまた、トム・ゴドウィンの有名な短編「冷たい方程式」のエンディングにも責任がある。作家ジョー・グリーンによれば、キャンベルは望みのエンディングを得るまでに、3回も原稿をゴドウィンに送り返したという。ゴドウィンは何とか女の子を助ける巧妙な方法はないかと考え続けた。しかし、この古典的な物語の要点は、多くの命を救うために1人の若い女性が犠牲になるという点に尽き、彼女が生き延びた場合にはそれほど衝撃的でなかっただろう。 1950年代以降、『ギャラクシー』誌や『F & SF』誌といった新雑誌が登場し、キャンベルの直接的影響を受けていない新人作家が登場するようになった。
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