原子番号とモーズリーの法則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 22:39 UTC 版)
「中性子の発見」の記事における「原子番号とモーズリーの法則」の解説
詳細は「モーズリーの法則」を参照 ラザフォードらは原子質量単位で計算された原子の質量とラザフォード模型が機能するために核で必要とされるおおよその電荷との間に不一致があることに気づいていた。原子核に必要な電荷は通常その原子質量の半分であった。1911年、Antonius van den Broekは、必要な電荷(Zで示される)は元素の原子量の半分ではなく、元素の原子番号すなわち周期表での位置と正確に等しいと大胆な提案を行った:5。当時、周期表の元素の位置は類似の化学的性質を持つ特定の元素を並べるための方法を除き、物理的な意味を持つことは知られていなかった。 マンチェスター大学で1913年にヘンリー・モーズリーは訪問中のボーアと新たなボーア模型について議論を行った。この模型は水素原子からの電磁放射スペクトルを説明し、モーズリーはコバルトやニッケルのような重い元素の電磁放射スペクトルは重量もしくは周期表での位置による順序に従うかどうかについて疑問に感じた。1913-1914年にモーズリーはX線回折技術を使用し実験的にこの疑問を検証した。彼はKアルファ線として知られる特定の元素のX線スペクトルで最も強い短波長線は、周期表における元素の位置、つまり原子番号Zに関連していることを発見した。実際にモーズリーはこの方法を導入した:§1.1.2。モーズリーは放射線の周波数が単純な方法で多くの元素の原子番号に関連していることを発見した。 それから1年以内に今日モーズリーの法則と呼ばれる方程式は、1913年のボーア模型の見地から説明でき、他の元素の原子構造について合理的な追加の仮定ができることに気づかれた。ボーアのその後の説明によるモーズリーの結果は、測定可能な実験量として原子番号を確立しただけでなく、原子核の正電荷としての物理的意味を与えた。元素は原子量ではなく原子番号順に周期表で順序が付けられる。その結果は周期表の構成、原子のボーア模型、ラザフォード模型の核からのアルファ散乱と結びつけられた。これはラザフォード、ボーアらにより原子核の性質を理解する上での重大な進歩として引用された。 原子物理学のさらなる研究は、第一次世界大戦の勃発により中断された。モーズリーは1915年のガリポリの戦いで死に、ラザフォードの学生ジェームズ・チャドウィックは戦中の1914年から1918年までドイツに収容されていた。ベルリンではリーゼ・マイトナーとオットー・ハーンの精密な化学分離によりラジウムとウランの放射性崩壊系列を決定する研究は中断された:§4。マイトナーは戦争のほとんど期間、オーストリア前線近くで放射線医師および医療用X線技師として過ごし、化学者だったハーンは毒ガスの研究に取り組んでいた。
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