列強の情報活動とは? わかりやすく解説

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列強の情報活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 14:13 UTC 版)

大和型戦艦」の記事における「列強の情報活動」の解説

この節では主に、平間洋一大和を巡る米海軍情報活動」(『戦艦大和講談社選書メチエ)を参考記述する大和に対して対日情報活動を米側から調査した成果ジャクソンビル大学主任教授博士クラーク日米関係史専攻するクラーク夫人が行った研究元になっている。 日本海軍1937年条約脱退してから後、艦艇建造に関する機密極めて厳重に保持された。米国では1936年時点において、日本新型戦艦建造について16インチ搭載43,000 - 46,000トン超弩級戦艦3隻を建造しているという風聞流れ始めていた。米海軍情報部(ONI)なども対日情報収集尽力したが、そうした報告は常に米海軍では過小評価された。情報収集1941年専門誌載った予想では45,000トンそれ以上排水量持ち16インチ (40.6cm) 砲ないし18インチ (45.7cm) 砲9門を搭載した速力30ノット程度の「日進戦艦」が最大5隻建造されていると記述されていた。この結果、[要出典]第二次ロンドン条約では、戦艦基準排水量制限拡大されて、最大45,000トンとなった日本外務省は、アメリカ51,000トンまで容認するとの観測伝えている。この制限第二次大戦開戦により条約無意味となった結果無視され未成モンタナ級戦艦では60,000トン越え設計となった米国空母についても、速力搭載数過少に見積もりその代わり保有数を実際より多い9ないし10隻(建造中1ないし2隻)と判断していたり、実在しない18,000トン級の「快速大型巡洋艦」3隻(12インチ8 - 9門、速力40ノット)の建造情報掴んだり、同じく実在しない秩父大型巡洋艦」を秘かに建造している事に対抗する必要があるという判断から、アラスカ級大型巡洋艦建造しているなど、機密保持かなりの効果発揮していた。 当然ながら、日本戦艦建造に関する公式発表曖昧なものとした。1937年5月に、米内光政海軍大臣は「日本他国脅威与え軍備企図しておらず、16インチ上の主砲搭載する大型艦建造などというのは、根拠を欠く憶測」と発言している。この発言を受け、当時海軍武官ビーミス米海軍大佐は「現存している主力艦大きく越え主力艦建造したり、現在使用しているものより大口径砲搭載することは企図ていないという見方強まっている」と報告した。ビーミスはアタッシェ呼ばれる日本駐在各国海軍武官集まりにも参加しており、そこで交換した情報報告されている。それによれば英国武官情報として、日本16インチ砲を搭載した45,000トン戦艦を、横須賀と呉で1隻ずつ建造していると考えていた。さらに佐世保同型艦建造進められ最終的に4番艦も建造する判断していた。 機密保持同盟国である独伊相手にも徹底していた。ドイツ側駐日武官日本ドイツ側海軍工廠視察要求拒否したため、ドイツ日本海軍武官視察拒否すべきであると、本国要請していた。 こうした状況から、日本国家予算から建造艦艇推測する試み行われた米国1937年第三次海軍軍備補充計画戦艦4隻の建造に足るものと推算したが、この数字には1933年から1937年にかけての労働賃金物価の上昇含まれておらず、実質的に予想不可能と判断していた。1940年4月ハットン少佐情報整理し16インチ砲を搭載した戦艦8隻を日本建造中であると報告した。しかし、米海軍大学校はこの情報重視せず、1940年6月机上演習でも、16インチ砲9門を搭載した日本海軍新型戦艦4隻が配備されているという想定行われた1941年11月26日付「太平洋艦隊情報文書1-42号」の日本海軍戦艦完成という項目には、紀伊半島沖で識別され新型戦艦ヤマト」という文章残っている。 太平洋戦争勃発すると、捕虜尋問などで大和型戦艦対す情報収集が行われた。その一方で日本大和型主砲呼称40センチ砲としていたこともあり、1942年10月時点でも米海軍情報部では日本新型戦艦16インチ搭載艦判断していた。 日本1943年7月16日に、ヒトラー総統の特別要請応えてドイツ海軍駐日武官ヴェネッカー中将に対して大和視察許可したが、機密保持観点から視察表面的で、限られた区画1時間程度か行わせなかった。そして要目基準排水量42,000トン、40cm砲9門、25ノット伝えた上で本当データヒトラー総統知りたければ連絡武官派遣して直接口頭伝えるという姿勢取った実際東京からベルリン送られこうした大和型戦艦に関する電報米国傍受され、米側が大和42,000トン16インチ砲戦艦と判断する強い判断材料となった。 しかし、1944年2月4日、B-24爆撃機2機がトラック諸島上空撮影した大和型戦艦写真解析は、米海軍情報部に波紋もたらした写真写った新型戦艦は、基準排水量60,000トン以上、全長289.5m、全幅33.5m、18インチ砲9門を主砲持ち8インチと5インチ副砲を持つと判断されのである。だが、1944年4月押収した日本海軍文章でも、大和武蔵要目ドイツ側報告同じだったため、1944年9月の『米海軍情報週報』でも大和型要目過小評価されたままだった。最終的に米海軍は、大和武蔵撃沈した後でも、42,000トン16インチ砲9門、28ノット程度考えていた。一方で日本海軍18インチ砲の試験行っているとの情報1942年頃には得ていたため、主砲口径について信用できる情報持っていなかった。 沖縄特攻時に大和迎撃命じられた米第54機動部隊では、4月7日早朝から参謀会議が行われ「大和18インチ砲なら45,000ヤード (41,148m) の射程を持つが、デイヨー艦隊16インチ砲戦艦でも42,000ヤード (38,404m) に過ぎず(同艦隊存在したコロラド級戦艦16インチ45口径砲は射程32,000mであり、米戦艦射程42,000ヤード達するのはアイオワ級戦艦のみ。数値誤記可能性もある)、アウトレンジ射撃を受ける危険性がある」と指摘された。また旧式戦艦より高速大和突破成功した場合輸送船団攻撃を受ける可能性もあったが、明確な解決策は見いだされなかったとされている。 終戦直後米海軍対日技術調査団(U.S.Navy Technical Mission to Japan)を日本送り半年あまりに渡って技術調査実施した終戦により一切機密解除されたため、建造運用に関わった海軍技術者たち調査団質問正確に回答するよう務めた。ただし質問を受けなかった事項に対して説明はしなかった。調査団幾つもレポート発表したが、福井は「その中にもじつは、誤ったことが決し少なくない」「とうじ米国建造用意であった代表的巨艦モンタナ型について、先方設計主任官と、とうじの方針やら、プラクティスまた、用兵部内からの要求とか戦訓そのようなものをふくんで、たがいにディスカッションをしないと十分な効果はないであろう」と述べている

※この「列強の情報活動」の解説は、「大和型戦艦」の解説の一部です。
「列強の情報活動」を含む「大和型戦艦」の記事については、「大和型戦艦」の概要を参照ください。

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