列強の植民地争奪戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:13 UTC 版)
19世紀中頃に、フランス、プロイセン王国を中心としたドイツ諸邦、アメリカ合衆国はイギリスに続いて工業化を推し進めた。こうした後進産業国では政府の強力なリードのもとで産業育成がなされた。19世紀の末期には資源の豊富なアメリカ合衆国や重化学工業分野が成長したドイツの発展が著しく、事実上イギリスの覇権は崩れた(第二次産業革命参照)。これにより1870年代の露土戦争前後から19世紀末にかけて列強の植民地争奪競争がおこなわれた。日本も日清戦争などを通じ、こうした植民地争奪戦に乗り出していく。
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