分身
『歯車』(芥川龍之介)4「まだ?」 小説家の「僕」は不眠に苦しみ、発狂の恐怖におびえつつ、ホテルで執筆を続けている。「僕」は鏡に映る自分を見て、「第二の僕」のことを思い出す。「僕」自身にはドッペルゲンガーは見えなかったが、ある知人は帝劇の廊下で「第二の僕」を見かけ、別の知人は銀座の煙草屋で「第二の僕」を見た。「僕」は死の迫るのを感じた。
*室内で鏡に映した姿が、屋外で友人たちに目撃される→〔生霊〕4aの『現代民話考』(松谷みよ子)7「学校ほか」第1章「怪談」の17。
★1b.自分の分身が知人たちに目撃され、やがて自分もその分身を見る。
『スキャンダル』(遠藤周作) クリスチャンの勝呂(すぐろ)は今年65歳、高名な作家である。彼の姿が、歌舞伎町などのいかがわしい場所で何度も目撃され、噂になった。身に覚えのない勝呂は、「にせ勝呂」を捜して、あるホテルの部屋をのぞき見る。その部屋には、勝呂の知り合いの女子中学生が全裸で寝ており、男が彼女の身体を愛撫していた。男の味わっている感覚が、そのまま勝呂に伝わってくる。男は、勝呂の「もう1人の自分」だった。
『ギリシア奇談集』(アイリアノス)巻4-17 同じ日の同じ時刻に、メタポンティオンとクロトンという別々の場所で、ピュタゴラスの姿が目撃されたことがあった。
『スキャンダル』(遠藤周作) 心理学者の東野が、作家の勝呂(すぐろ)に、二重身(=ドッペルゲンガー)の話をする(*→〔分身〕1b)。「大正時代(1912~26)。岩手県の小学校の女教師が、自覚症状なしに二重身となった。女教師は、裁縫室で授業をしていた。その時、授業を受けている生徒全員が、外の花壇に女教師とそっくりの姿が立っているのを目撃した」。
『酉陽雑俎』続集巻4-953 洛陽の沙門・耆域は、道術を体得した人なのであろう。晋の恵帝の末年の或る日、長安の人が、耆域とともに長安寺で食事をした。流沙の人が、耆域とともに石像の前で食事をした。数万里あいへだたった2つの場所に、同じ日に耆域は現れたのである。
『光子の裁判』(朝永振一郎) 被告・波乃光子(なみのみつこ)は、前庭を通って窓から室内に侵入し、壁の所で捕らえられた。検察官が「窓は前庭に向いて2つ並んでいる。どちらの窓から侵入したのか?」と問うと、光子は「2つの窓の両方を一緒に通って、室内に入ったのです」と答える。被告の弁護人が、大勢の警官を配置して実験を行ない、「光子は姿を現さない時には、2つの窓の両方を同時に通り抜けて行く」と論証した〔*光子(こうし)が、粒子と波動の両方の性質を持つことを示す物語〕。
『太平広記』巻358所引『捜神記』 朝、夫婦が起床して外出する。妻が帰宅すると、夫が寝床に寝ている。外からも夫が戻って来て、自分そっくりの男が眠っているのを見る。これは魂であろうと夫は思い、眠る男を驚かさぬようにして撫でると、男は寝床に吸いこまれて消える。後、夫は病んで精神が錯乱し、治らなかった。
『離魂記』(唐代伝奇) 恋人王宙との仲を裂かれた倩娘は、病気で寝たきりになるが、その分身は家を抜け出し王宙と他郷で結婚して、子供も2人生まれる。数年後、王宙一家が帰郷すると、病臥していた倩娘が起き上がって出迎え、2人の倩娘は合わさって一体になり、衣裳もみな重なり合った〔*『無門関』(慧開)35「倩女離魂」は、この物語をふまえて「どちらの倩娘が本物か」と問う〕。
★3a.多数の分身。
『三国志演義』第68~69回 曹操が、神通力を持つ左慈を危険視し、逮捕を命ずる。3日のうちに、左慈そっくりの男が3~4百人もつかまる。その男たちの首を斬り落とすと、死体が手に手に首を下げて曹操にうちかかる。曹操は昏倒し、病床につく〔*『捜神記』巻1-21では、町で左慈を見つけ、とらえようとすると、町中の人がみな左慈と同じ姿になり、どれが本物か見分けがつかなかった、と記す〕。
『神仙伝』巻5「薊子訓」 大勢の貴人たちが、薊子訓(けいしくん)を招きたがった。薊子訓は「明日、皆さんのお宅に参上しましょう」と言い、翌日、23軒の家に同時刻に現れた。容貌も服装もまったく同じだったが、各家の主人との対話の内容は、それぞれ異なっていた。
『松浦宮物語』巻1~2 弁少将の在唐中に大乱が起こり、弁少将は幼帝を守って敵将宇文会と闘う。弁少将の左右に、姿形・馬・鞍までそっくりな分身が4人現れ、さらに宇文会の背後にも分身5人が駆け寄り、たちまち宇文会の身体を切り裂く。
*平将門には6人の影武者(=分身)がいる→〔影武者〕2の『俵藤太物語』(御伽草子)。
*ひとつかみの毛が多数の分身になる→〔息〕2cの『西遊記』百回本第2回。
★3b.無数の分身。
『天体による無限』(ブランキ) 1人1人の人間は、自分の人生とまったく同じ人生を送っている数限りない分身を、この宇宙の広がりの中に持っている(*→〔無限〕5)。今の年齢の自分だけではない。現在の一瞬ごとに、誕生しつつある何十億もの瓜二つの自分、死んでゆく何十億もの瓜二つの自分、誕生から死までの生涯の各瞬間に並んでいるすべての年齢の自分を、同時に持つのである。
『新浦島』(幸田露伴) 浦島太郎の弟・次郎の子孫、百代目の次郎は、神仙になりそこね、魔王を呼び出す。魔王は宝剣を振り下ろして、次郎を頭から真っ二つにする。すると次郎は2人になる。1人は次郎本人、もう1人は同須(どうしゅ)という分身である。同須の魔力で次郎は贅沢な暮らしを味わうが、彼はすぐにその非を悟り、「私を石に変えよ」と同須に命ずる。
★4.分身を消す。
『常識』(星新一『かぼちゃの馬車』) 忙しい青年のもとにドッペルゲンガーが7体現れ、彼に代わって酒を飲み、女性とつきあい、おしゃれをし、仕事に出かける。医者が青年に注射を打って治療を施し、ドッペルゲンガーを消そうとするが、間違えて、働く役目のドッペルゲンガーに注射を打つ。すると他のドッペルゲンガーたちとともに、青年本人も消えて行く。医者は弁解する。「おや、間違えたか。でも冷静に見て、働く人を残すのが常識でしょう」。
『和漢三才図会』巻第61・雑石類「辰砂(しんしゃ)」 辰砂は離魂病(かげのわずらい)を治す。人が、意識がはっきりしているのに、本人と影の2人となり、これが並んで歩き、並んで臥し、どちらが本物か真偽のつかない状態になった時、辰砂に人参・茯苓(ぶくりょう。きのこの一種)を混ぜ、濃く煎じて毎日飲ませれば、真なるものは気分爽快になり、偽のものは消失してしまう。
『ウィリアム・ウィルソン』(ポオ) ウィリアム・ウィルソンは、自分と同姓同名、生年月日も同じ、容貌まで酷似した男が、事あるごとに邪魔をするのに苛立ち、ついに男を剣で殺す。その時、瀕死の男はウィルソンに「僕は君自身だ。君は自分自身を殺したのだ」と告げる。
『ウォーソン夫人の黒猫』(萩原朔太郎) ウォーソン夫人の閉め切った部屋に、毎日どこからともなく黒猫が入り込み、彼女が窓を開けると、そこから影のように飛び去る。夫人は友人3人を招いて黒猫を示すが、彼らにはその姿が見えない。夫人はいらだち、拳銃で黒猫を何度も撃つ。最後の弾丸が尽きた時、彼女は自分の額のコメカミから血が流れるのを感じ、倒れる。
*→〔肖像画〕4bの『ドリアン・グレイの肖像』(ワイルド)。
★6.自殺するつもりだったが、自分を殺すのではなく、分身を殺してしまった。
『シャボン玉物語』(稲垣足穂)「ジエキル博士とハイド氏」 世に類のない仁者であるジエキル博士は、睡眠中の夢で、極悪人ハイド氏になってしまうことに絶望し(*→〔眠り〕5)、ピストルを自分のこめかみに当てて引き金を引く。その行為は、まさにジエキル博士からハイド氏に変身しようとする境目の時になされたため、弾丸は間一髪のところでハイド氏の方へ命中した。かくて、博士を苦しめた悪夢は一掃され、ドクター・ジエキルの徳望はいよいよ高まった。
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