他のファイターとの関係
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「ジェロム・レ・バンナ」の記事における「他のファイターとの関係」の解説
ピーター・アーツ 長年に渡ってお互いをライバルと認め合う盟友。2000 - 2004年頃のバンナは多くの対戦相手に対して挑発的なトラッシュトークを連発していたが、当時もアーツに対してだけは敬意を欠かさない発言をしており、当時のアーツが不調にあえいで引退を囁かれていたなかで「ピーターはこのまま終わる奴じゃない」と語っていた。2010年にバンナがアーツの所属するドージョー・チャクリキに所属するようになったこともあって、お互いのセコンドに就くなどしている。 マイク・ベルナルド K-1に参戦する前から対戦しており、お互いをライバルと認め合う盟友。特にベルナルドはバンナをライバル視する発言が多く、プロボクシングからのK-1本格復帰後に強くなったバンナを参考にしてプロボクシングに挑戦したこともあった。ベルナルドの現役引退セレモニーが行なわれたK-1 WORLD GP 2006 開幕戦後のインタビューでベルナルドは「僕は結局K-1 WORLD GPで優勝できなかったけど、僕と同じ年にK-1デビューして今も初優勝を目指してるジェロムに僕が叶えられなかった夢を託すよ」とコメントしていた。ベルナルドの死去が報じられた際のインタビューで「彼は本当のチャンピオンだと思う。向こうのことわざで"いい奴から先に逝く"というが、そのことわざの通りだ」と語った。 アンディ・フグ バンナは最も理想とするK-1の象徴としてアンディの名前を挙げたこともある。1996年には大阪の正道会館でバンナ、フグ、ベルナルド、武蔵の4人で合宿をしたこともあった。アンディは「バンナは圧倒的なパワーもあり、才能もある素晴らしい選手。彼の練習環境が整えばもっと強くなって、手がつけられなくなるだろう」と語っていた。バンナはK-1 WORLD GP 2001 in 大阪のトーナメントで全試合1ラウンドKO勝利で優勝した後のリング上でアンディへの追悼コメントをしたほか、2011年8月24日に生放送されたSアリーナに生出演した際には、「今日は友人であるアンディの命日だから、IGF王座を手に入れたことで彼に良い報告が出来ると思う」と語るなど、アンディの死後から10年以上経った現在でも忘れず敬意を抱いている。 アーネスト・ホースト バンナとは正反対のファイトスタイルであり、2000年 - 2003年頃までファイトスタイルを巡ってマスコミを通じて舌戦を繰り広げていた。しかし、2005年頃には両者共に完全に互いを尊敬し合うコメントを残している。また、「左腕粉砕骨折の怪我を負わせた張本人であるホーストへの怨みはあるのか」という質問に対して、「怨みなんてないよ。あれは神とか天の仕業に違いない。大切なのは起こってしまった後さ。つべこべ言っても何にもならない。どうやってそれを受け入れるかが一番重要なのさ。ホーストは凄くイイ奴だ。日本人風に言うならアイツは親分だ。たとえ互いの間で色々あっても俺たちはファイターだし、良心がある。ホーストはK-1を引っ張ってきたし、アーツやアンディ・フグや佐竹雅昭もそうだ。だから俺は彼らを尊敬し続けている」とコメントしている。なお、K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦の組み合わせ抽選会では、当時K-1 WORLD GP引退を表明していたホーストを貴賓席で見つけると、登壇する前に握手を求めてホーストへの敬意と惜別の気持ちを示した。ホーストは「ジェロムは恐れ知らずな所が一番の武器だね。もしかしたら彼も内心では恐怖心を抱いていたのかもしれないが、決してそれを表に出さず常にファイトしてきた。例えば私は無茶をしてまで相手をKOしようとはしなかった。しかしジェロムは常にベストを尽くして全力で戦ってKO勝ちを狙い続けることを最重要視してきた。それは私がやりたくても出来なかったことだし、だからこそ彼は皆から愛されるんだ。今では彼は良き友人だよ」と敬意を示している。 マーク・ハント バンナは2002年のハントとの2戦を自身の格闘技キャリアの中で好きな試合として挙げている。ハントはバンナとの通算4度目の対戦後、「僕はバンナと戦う度に寿命が10年縮んだよ。今回の僕は調子が良かったのに、それでも負けたし、もう二度とバンナに勝てる気がしない(笑)」と冗談で語った。2008年12月31日のDynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜にて総合格闘技ルールでの対戦が組まれるも、バンナがインフルエンザに感染し大会を欠場したため実現しなかった。 セミー・シュルト 2011年現在、4戦全敗しているものの、シュルトはバンナを苦手としているとコメントしている。K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16にてシュルトがピーター・アーツに敗れたことについては、「ピーターとは以前から一緒にK-1を盛り上げてきた戦友だから彼に勝ってもらいたかったし、勝つと信じていた」と語る一方で、「でもな、シュルトも実力のある選手だ。すぐに復活するだろう。復活すれば再び手強い相手になることは間違いない。だが、オレだって負けっ放しで終わるつもりはない。次こそはブッ倒してやるさ」と言ってシュルトに対しても敬意を表すと同時に対戦を希望している。 石井慧 石井は子供の頃からの憧れの選手の一人としてバンナを挙げており、2010年大晦日の対戦以降、親交を深めた。バンナがアメリカに出稽古に来た際に再会し、その後は石井をオランダのドージョー・チャクリキやフランスの自分のジムでの練習に同行させるなどしている。バンナは石井について「俺にとって息子みたいな奴だ」と気に入っており、バンナの友人のラッパーのPVにも自身と共に石井を出演させている。2012年12月31日にはバンナがさいたまスーパーアリーナで開催のDREAM.18 & GLORY 4に、石井が両国国技館で開催のINOKI BOM-BA-YE 2012にそれぞれ出場したが、バンナは「さいたまから両国に行って石井のセコンドに就きたい。終わったらまたさいたまに戻って自分の試合に出る」と語るほど石井のサポートに名乗り出ていた。INOKI GENOME FIGHT 2でのミルコ戦では石井のセコンドに就いた。 武蔵 「K-1 10年の奇跡」のインタビューにて「俺達は同志だし、俺はすごい武蔵ファンなんだ」と発言し、さらに同インタビューではK-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜のトーナメント決勝にてニコラス・ペタスに判定負けした武蔵を「お前の方が強いのになぜ負けたんだ」と叱りつけたことを明かしている。武蔵が引退を賭けてバンナに挑み、バンナが勝利したK-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16では前述の通り試合後のリング上でバンナは武蔵に対し土下座で敬意を表しており、K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAにて行われた武蔵の引退セレモニーで武蔵に花束を渡した際には目に涙を浮かべながら土下座で敬意を表した。
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他のファイターとの関係
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「バダ・ハリ」の記事における「他のファイターとの関係」の解説
アンディ・フグ 直接の対戦経験はないものの、「人気・実力を兼ね備えた、全てが完璧な理想の王者だ。彼はファンを大切にし、誰からも愛されている。不幸な形でこの世を去ってしまったが、彼は今でも俺達の心の中で生きていることが彼が偉大である証だ」と語り、最も尊敬するK-1ファイターとして挙げている。 ジェロム・レ・バンナ 直接の対戦経験はないものの、フグ同様最も尊敬するK-1ファイターに挙げており、「バンナの試合を見るのが大好きだ。バンナのように常に豪快なKO勝ちでファンを喜ばせることを追求する姿勢こそが、今のK-1ファイターに求められているんだ。ジェロムは人々が何を求めているかわかっているから、ファンは彼の試合を観たいと望むのさ。それにトーナメントよりもワンマッチで勝ち続けてこそ、最強と言える。だからワンマッチ最強のジェロムが最強なのさ」と語っている。 ピーター・アーツ バダが10歳の頃にアーツはK-1王者として活躍しており、当時のバダのアイドルであったのと同時にポスターでアーツの写真を見て「いつかこうなりたい」と思っていたとのこと。「彼は偉大なファイターだと思ってる。彼がいたからK-1はメジャーになっていったし、その功労者であることは俺も含めて誰もが認めている」と語り、K-1 WORLD GP 2008 FINALで対戦して勝利した後、リング上で正座をして頭を下げて敬意を表している。 アーネスト・ホースト バダはホーストについて、「彼は戦術に長けている一方で、リスクを背負ってでも、その先にあるものを取りに行く闘争心を持った偉大なファイターだ。そこがレミーとは違う」と語っており、また前述の通り、ホースト自身もバダの才能を絶賛している。 魔裟斗 バダは魔裟斗について、「マサトのような実力とルックス、カリスマ性を兼ね備えた男こそがチャンピオンにふさわしい」と語っている。 レミー・ボンヤスキー バダは彼を最も嫌いなファイターに挙げている。理由はボンヤスキーが初優勝した2003年のWORLD GPは、ホースト、バンナ、マーク・ハント、ステファン"ブリッツ"レコ、ミルコ・クロコップら当時の主力選手がことごとく欠場したためレベルが低かったこと、ボンヤスキーが連覇を達成した2004年のWORLD GPはボンヤスキーvsホースト戦を初めとして疑惑の判定が多かったことなどが原因である。また公式サイトのインタビューでは「レミーはチャンピオンのくせに裏では対戦相手を選んで逃げ回っている」とレミーが嫌いな理由を述べ、「レミーはフェイク王者だ!」と強く批判している。また、2004年には同年のK-1 WORLD GP王者レミーを抑えてバダがオランダ格闘技界の年間MVPを受賞したこともバダの意見の正当性を裏付ける要素として主張している。K-1 WORLD GP 2008 FINALでは試合中にボンヤスキーへの嫌悪感が爆発して倒れたボンヤスキーに追い討ちのパンチと踏みつけ攻撃をして反則負けし、さらに試合後も自分が着けていたグローブを外してボンヤスキーに向かって投げつける暴挙に出た。その上大会直後の会見では「レミーに(反則の)ダメージはなかったはず。優勝が決まった途端、立ち上がって感動的なマイクアピールをしやがっただろ。奴は主演男優賞を受賞したんだ」と吐き捨てていた。また、彼の戦いについて「レミーは全てが教科書通りだ。K-1 WORLD GP 2008 FINALの決勝戦では反則されるのを待ってましたと言わんばかりさ」と語り、バダはアーツ、ホースト、バンナを真の『戦士』と称する一方で、「レミーは『選手』だが、『戦士』じゃねえ」と酷評している。 ルスラン・カラエフ 2006年の初対戦時に反則裁定を巡って因縁が生まれ、翌年の再戦時に「BADR said FUCK KARAEV!!」とプリントされたTシャツを着るなど怒りを露わにしていたが、その後は「ルスランには俺のライバルとしてK-1のためにも頑張ってもらわないとな」とコメントしている。 セミー・シュルト バダはシュルトについて、「奴はデカいから勝っているだけだし、ルックスも悪い」、「奴は俺と戦っていないから優勝できただけのラッキー王者だ」、「シュルトはパンケーキみたいな奴だ」、「シュルトにレーティングを付けるとしたら10点中6.5点だ。実績から考えれば、10点中10点だろうが、ファンから見たシュルトの価値はそんなもんだろ。まあ、それでも高いほうじゃないのか?オランダのファンは3点すら与えていないだろう。なぜなら簡単に言えば、彼はセンセーショナルなファイターじゃないからだ。誰もファンは見たいと思っていないだろ」などと批判している。しかし一方では、「だが、シュルトは非常に努力家であり、決してレミーのような腰抜け野郎ではない。あのつまらないファイトスタイルをどれだけ非難されても、変えようとしないからな。それはそれで大したもんだ。レミーがあんな形で王者になりたいなら、それでいい。俺はセミー・シュルトをより尊敬する。シュルトはレミーと違って、泣き叫んだり、愚痴ばかりこぼしたりせず、ただ戦い続けるからな。俺は本当の『戦士』と戦いたいんだ。セームは強い。戦う価値がある」と、認めて敬意を表している一面もある。 チェ・ホンマン バダはホンマンについて、「奴はテクニックが全くねーよ。デカイ頭とフランケンシュタインみたいな顔しやがって!」と罵倒している。
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