2000 - 2004年
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「岡崎呼人」の記事における「2000 - 2004年」の解説
オモチャナース(ザ花とゆめ 2000年3/1号) 朝のこと(花とゆめ 2000年14号) 海を聴く(ザ花とゆめ 2000年10/1号) ブルーブルーブルー(ザ花とゆめ 2002年1/1号) 魔法使いサトー。(ザ花とゆめ 2002年10/1号) ベルの女(花とゆめ 2003年9号) 小説家と娘(別冊花とゆめ 2003年9月号) 渇水(ザ花とゆめ 2003年10/1号) 少年劇(別冊花とゆめ 2004年5月号)
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2000 - 2004年
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「SUPER EUROBEAT」の記事における「2000 - 2004年」の解説
2000年1月1日 - 「SUPER EUROBEAT VOL.101」 VOL.100発売を契機に宣言されていた休止期間が終了、リリース再開。CDジャケットも近未来的なイメージにマイナーチェンジ。リニューアル企画として、SEB収録レーベルがJ-POP楽曲のリミックスを担当した、ユーロビートミックスの収録開始。この企画はVOL.119まで継続 した。本作とVOL.102には洋楽楽曲のユーロビートミックスも収録されていたが、VOL.103以降はこちらの収録はなくなった。 2000年8月2日 - 「SUPER EUROBEAT VOL.110」 ユーロビートコンピレーション史上初のオリコン総合チャート1位を獲得(初回集計時と3週目にて)。洋楽部門では6週連続1位を記録した。公称売上はVOL.100と同じく70万枚(決算報告書によると71万枚)。3枚組以上のアルバムが同チャート1位を獲得したのは、TRF『THE LIVE3』以来、4年6か月ぶりのことであった。 2000年10月 - 「ParaParaParadise」発売 本シリーズとタイアップしたアーケード用音楽ゲーム「ParaParaParadise」がコナミから発売。収録曲は殆どが本シリーズの代表的楽曲である。2001年にかけて、バージョンアップ版や続編の「2ndMIX」、PlayStation 2版が発売された。 2002年5月22日 - 「SUPER EUROBEAT VOL.128」 コピーコントロールCD(以下CCCDと表記)導入開始(※導入の経緯や問題点などについてはCCCDを参照)。 2002年10月30日 -「EUROMACH FINAL」 シリーズの区切りとして、この日「EUROMACH FINAL」をリリース。ここまでで、ベスト盤を含め計18作リリースされた。しかし、HI-NRG ATTACKとSCPの楽曲が50位中に計33曲ランクインしたのに対し、VIBRATIONと3Bの楽曲(この2レーベルのロゴは、表示すらされていない)はわずか1曲ずつに留まった事、また、解説書内にはその順位結果を知ることとなる購入者・リスナーに対し、予め釘を刺す形で結果に対する「誹謗中傷の自粛を呼びかける内容の文面が記載された」事などから、ランキングの信憑性が疑問視される事となった。 2002年12月18日 -「SUPER EUROBEAT VOL.133」 CD-EXTRAを収録開始。PCからの読み込みによってアーティストのパフォーマンスやインタビューなどを見られるという内容(後期はPC用スクリーンセーバ収録)だが、データ収録容量の関係で(CCCD導入以前と比較して)1曲あたりの収録時間が削られている。また、VOL.134以降の非NON-STOP盤においては、同様の理由で収録曲が15曲に減少。それに伴い、TIME作品のみが従来の6曲から3曲収録に文字通り半減した。 2003年4月 - 「DEAR BOYS」放送開始 「頭文字D」シリーズに続き、本シリーズの楽曲を劇中BGMに採用したアニメ「DEAR BOYS」が放送開始。制作会社や一部のスタッフが「頭文字D Fourth Stage」と同じ本作では、「頭文字D ARCADE STAGE」で使われた曲が一部採用されている。 2003年8月6日 - 「SUPER EUROBEAT VOL.140」 リクカン企画盤。1位獲得曲は「BABY GET MY FIRE TONITE / NUAGE」。続く2位は「THE RACE IS OVER / DAVE RODGERS」で、VOL.90以降、同企画盤で1位を守り続けていた「NIGHT OF FIRE」は3位に陥落。解説書内において「月刊ユーロビート通信」連載開始。SEB初期の事情やプロデューサーインタビューなどの記事が掲載されている。本作は本編CD2枚を基本に、頭文字D使用楽曲のNon-stop mix収録CDとの3枚組仕様及び、2CD+DVD仕様という2形態での発売となった。 2003年9月18日 - 「SUPER EUROBEAT VOL.141」 HI-NRG ATTACK、SCP、VIBRATION作品の収録開始_。収録曲数が18曲に戻り、CCCD導入再開。また、今作からEVERLASTING DANCE TRAXと表記されるようになり(現在も継続中)、洋楽のユーロビートカバー収録がスタート。 2004年3月17日 - 「SUPER EUROBEAT VOL.146」 非アニバーサリー盤としては100作ぶりの特別編成盤。「70min.70songs NON-STOP MEGAMIX」の副題の通り、不定期シリーズ「70分70曲」の構成を踏襲。SEB本編において初めて、過去にEbF・EUROMACHに収録されていた楽曲がノンストップにて収録された。 2004年8月4日 - 「SUPER EUROBEAT VOL.150」 150作目到達。歴代ヒット作50曲のノンストップで構成されたDisc1とJ-EURO作品50曲NON-STOP収録のDisc2、そしてユーロビートプロデューサーのインタビューなどが収録されたDVDという内容。
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2000 - 2004年
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「ランディ・オートン」の記事における「2000 - 2004年」の解説
2000年、MMWA-SICW(Mid-Missouri Wrestling Association-Southern Illinois Conference Wrestling)にてプロレスラーデビューを果たす。 2001年、WWFと契約を交わし入団。傘下団体であるOVWにてトレーニングを開始。 2002年4月5日、WWEに昇格。SmackDown!にて初登場。程なくして肩を負傷し長期欠場するが、試合に出場できない期間は自身の故障の回復具合を具体的な%数値での申告とファンからの応援メールを募集するコーナーである "RNN" で出演を続け、番組中の良いところで必ず割って入るどうでも良いコーナーという趣旨でファンの顰蹙を買うキャラクターとなる。9月、RAWに移籍。 2003年1月20日、スコット・スタイナーとの対戦にてトリプルH、リック・フレアー、バティスタが介入した事をきっかけに、トリプルH率いるユニット、エボリューションにトリプルHの後継者として加入。しかし直後に負傷し長期欠場。復帰後、2003年12月に獲得したIC王座を七ヶ月に渡り防衛。過去10年間で最長の記録となる。 2004年、王者として君臨する期間にはミック・フォーリーと抗争。バックラッシュでは王座の懸かったハードコアマッチ形式で対戦。画鋲の上に落とされ、有刺鉄線で殴られるなど大苦戦の末、有刺鉄線の上にRKOを決めタイトルを防衛。この試合で一気に名を上げた。バッド・ブラッドではシェルトン・ベンジャミンとの王座戦で防衛成功。その後王座陥落後、バトルロイヤルを制し世界ヘビー級王座への第一挑戦権を獲得。8月、サマースラムにて世界ヘビー級王座に挑戦。クロスフェイスをカウンターでのRKOを決めてクリス・ベノワに勝利し、WWE史上最年少24歳で世界ヘビー級王者になる。 こうした経緯もありシングルプレーヤーとして十分に売り出せるようになったと判断され、世界ヘビー級王座獲得の翌日にエボリューションから離脱する。アングル上では、リーダーのトリプルHを差し置いて世界ヘビー級王座を獲得したことが裏切りと見なされ追放された。オートン vs エボリューションの抗争を展開する事になり、9月、アンフォーギヴェンでトリプルHに世界ヘビー級王座を奪取された。
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