水曜どうでしょうの企画 (2003年以降)
(プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅 から転送)
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水曜どうでしょうの企画 (2003年以降)では、北海道テレビ放送(HTB)制作のバラエティ深夜番組『水曜どうでしょう』で放送された企画の中から、レギュラー放送終了後の2003年以降に「新作」として放送された企画について扱う。企画名については番組内で呼び方が幾つかある企画もあるが、本記事においては正式タイトルはDVD版のものとし、未DVD化企画については暫定的に放送時のタイトルを用いるものとする。なお、表記されている放送日時はHTBでの放送日時である。
- 1 水曜どうでしょうの企画 (2003年以降)とは
- 2 水曜どうでしょうの企画 (2003年以降)の概要
プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅
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「水曜どうでしょうの企画 (2003年以降)」の記事における「プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅」の解説
2003年5月21日放送、全1夜。 DVD第6弾『ジャングル・リベンジ/6年間の事件簿!今語る!あの日!あの時!/プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅』に収録。 「DVD・写真集の発売記念」として放送された1時間特番。前作同様、道内のみでの放送となった。「原付西日本」の際に訪れた姫だるま工房から「姫だるまの赤ちゃんができたので送ります」という連絡を受けたD陣は、「それならこちらから迎えに行きます」と強引に鈴井・大泉をキャスティングする。半ば無理矢理な形でスケジュールに穴を開けられたことで不満を持つ両者と共に、北海道から持参した高崎のだるまと姫だるまを手に大分県竹田市の工房へ向かった。なお、この時大泉は朝から『ドラバラ鈴井の巣』(HTB)のロケに加えて『GOLGOLGO』(エフエム北海道)の生放送を終えた直後だったが、その上に『おにぎりあたためますか』(HTB)のロケをドタキャンされ、鈴井はオーディションの最中であった。 行程はスケジュールの関係から日帰りとなるほか、フライトスケジュールの都合上行き帰りのいずれかで都内に1泊する必要があったため、ロケ前日に東京国際空港へ行き、「一致団結!リヤカーで喜界島一周」でも宿泊した羽田東急ホテルに宿泊。ディレクター陣(以下「D陣」)は「喜界島」の時と同様の“4人部屋(ツインルームにエキストラベッドを2つ加えての4人使用)”でホテルを予約したため、大泉はその点についても不満を顕にした。 大分空港からの移動の車中では、約1年ぶりのロケということから思い出話に花が咲くものの、鈴井・大泉は番組の感覚を忘れており、藤村忠寿ディレクター(以下「藤村D」)はカーナビの設定を間違え、嬉野雅道ディレクター(以下「嬉野D」)はカメラ固定用の一脚を忘れた状態でロケを開始。加えてD陣は機材・ロケセッティングが鈴井に頼りきりになったことから、大泉に「ミスターはアズビー(札幌のロケコーディネート会社)じゃねえんだぞ!」と苦言を呈された。なお、行き帰りの行程で共に大分空港を利用したが、工房サイドからは「熊本空港の方が(工房に)近い」ことを知らされる。しかし、既に帰りの便も大分空港発の便を予約済だったこと、レンタカーの返却もあることなどの兼ね合いから、予定の変更は不可能となった。 工房に到着したところ、『産まれた』赤ちゃんだるまは全4体で3体が姫だるま(女児)だが、1体の姫だるまだけ男児である事が明らかとなった。しかし、普段姫だるましか作っていない工房側では「男のだるまの顔が描けない」という事になり、急遽『高崎のだるまの親代わり』である大泉が『初孫』の顔に筆を入れることとなった。最初は高崎のだるまの顔を見ながら髭などを描いていたが、途中から「藤村Dの顔が姫だるまの輪郭と似ている」と思った大泉は、藤村Dに瓜二つな泣き顔のだるまを完成させ、藤村Dの名前である『忠寿』と命名した。 ちなみに番組の性質上、CM前にはDVD・写真集についての宣伝が毎回挿入されている。 テレビ放送時の提供読みは開始・終了とも嬉野Dが担当した。
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