ジャラン・ベサール・スタジアムとは? わかりやすく解説

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ジャラン・ベサール・スタジアム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/12 08:25 UTC 版)

ジャラン・ベサール・スタジアム
施設情報
所在地 ジャラン・ベサール
位置 北緯1度18分36秒 東経103度51分37秒 / 北緯1.31000度 東経103.86028度 / 1.31000; 103.86028座標: 北緯1度18分36秒 東経103度51分37秒 / 北緯1.31000度 東経103.86028度 / 1.31000; 103.86028
開場 1932年
修繕 1999年-2003年
所有者 シンガポール・スポーツ委員会
運用者 シンガポール・スポーツ委員会
グラウンド 人工芝
ピッチサイズ 105 x 68 m
使用チーム、大会
ヤング・ライオンズ (Sリーグ)
サッカーシンガポール代表
収容人員
8,000

ジャラン・ベサール・スタジアム(: Jalan Besar Stadium, 簡体字中国語: 惹兰勿刹体育场)は、シンガポール・ジャラン・ベサール通りにある人工芝競技場

主にU-23サッカーシンガポール代表がSリーグに参戦する際のホームスタジアムとして用いられている。また、サッカーシンガポール代表の試合に用いられることもある。

歴史

1929年ボクシング・デーに開場した、シンガポール最初のスタジアムである。1932年から1973年までマレーシア・カップの試合が行われていた。

シンガポールが日本軍の占領下にあった昭南特別市時代には、シンガポール華僑虐殺事件における取り調べの際に使用されたとされる。また、戦時中はシンガポール国内において、日本語を教える語学センターとしての役割を果たしていた。[1]

第二次世界大戦後は1955年のシンガポール・ユース・フェスティバルや、1984年のシンガポール国家式典のパレードなど様々なイベントに使用された。1999年に改修工事に着工した後、2003年6月に収容人数を6,000人として再び開場。2006年にはFIFAのプロジェクトにより、ピッチに1つ星の人工芝が100万ドルをかけて整備された[2]。2008年には40万ドルをかけて、より高品質であるFIFA2つ星の人工芝がFIFAゴールプロジェクトにより再度整備された[3]。2006年にはこの人工芝のピッチでAFC U-17選手権が開催されている。2010年に開催されたシンガポールユースオリンピックの期間中は、サッカーの試合会場として使用された。

脚注

  1. ^ Jalan Besar Stadium - National Heritage Board
  2. ^ "Speech at Inauguration of FIFA Goal Project for Singapore by FAS President" - シンガポールサッカー協会
  3. ^ "MILLION-DOLLAR MAKEOVER" - Asiaone



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