デビュー - 解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 16:23 UTC 版)
1984年にはデビュー・アルバム『赤い薔薇を僕に』発表、全英89位に達した。その後、フィル・シェヴロン(ギター)が加入し、バンドは7人編成となる。1985年にはエルヴィス・コステロがプロデュースを担当したセカンド・アルバム『ラム酒、愛、そして鞭の響き』を発表、全英13位に達する。 ケイト・オーリアダンが脱退すると、後任としてダリル・ハントが加入。また、元スティーライ・スパンのテリー・ウッズ(マンドリン他)も加わって、ザ・ポーグスは8人編成となる。そして、1987年にザ・ダブリナーズ(The Dubliners)との連名で発表したシングル「アイリッシュ・ローバー(The Irish Rover)」(トラッド・ソングのカヴァー)は、全英8位というヒットを記録。更に、カースティー・マッコール(Kirsty MacColl)がゲスト参加したクリスマス・ソング「ニューヨークの夢」は、発売当時に全英2位を記録、2005年に再発シングルが発売されてからは、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年にもクリスマス・シーズンに全英チャートで上位に達するほどのスタンダード・ナンバーとなった。 1988年、サード・アルバム『堕ちた天使』発表。全英アルバム・チャートのトップ10入りを果たす(最高3位)。続く『ピース&ラヴ』(1989年)も全英5位のヒット作となり、1990年のアルバム『ヘルズ・ディッチ』は、元ザ・クラッシュのジョー・ストラマーがプロデュースを担当。しかし、1991年にシェイン・マガウアンが脱退。シェインはその後、ザ・ポープス(The Popes)で活動する。ジョー・ストラマーが短期間バンドに加わった後、スパイダー・ステイシーがメイン・ボーカルを担当する形で『ウェイティング・フォー・ハーブ』(1993年)発表。しかし、今度はジェイムズ・ファーンリーとテリー・ウッズが相次いで脱退、フィル・シェヴロンが病気でリタイアする等のトラブルが続く。ザ・ポーグスは3人の新メンバーを迎え、前身バンドの名前をそのままタイトルにした『ポーグ・マホーン』(1995年)を発表するが、同作はセールス的には成功せず、1996年に解散。
※この「デビュー - 解散」の解説は、「ザ・ポーグス」の解説の一部です。
「デビュー - 解散」を含む「ザ・ポーグス」の記事については、「ザ・ポーグス」の概要を参照ください。
デビュー~解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 17:31 UTC 版)
1974年5月、甲斐よしひろ、大森信和、長岡和弘、松藤英男の4人で甲斐バンドを結成。『甲斐バンド』というバンド名は、元々仮名でありいくつか候補があったが、しっくりくるものが無く仮名のままデビューとなった。 8月31日、アマチュア時代最後の「甲斐バンド出発(たびだち)コンサート」を、福岡電気ホールにて開催(約2000人動員)。 11月4日、シングル『バス通り』でデビュー(キャッチフレーズは“九州最後のスーパー・スター”)。 12月3日、神田共立講堂でデビューコンサート。前座ゲストのチューリップのステージ終了と共に、客がゾロゾロ席を立つという「屈辱」のコンサートとなる。 1975年6月5日、2枚目のシングル『裏切りの街角』をリリース。12月までに75万枚を売るロングセラー・セールスとなる。 12月、第8回日本有線大賞優秀新人賞受賞。この時の他の受賞者は細川たかし〈最優秀新人賞〉、岩崎宏美、太田裕美、小川順子 1977年4月、佐藤剛が、マネージャーとなる。佐藤は以後のバンドの方向性に大きな影響を与えた。 12月4日、中野サンプラザでのコンサートがライブ収録され、翌年3月5日に、初ライブアルバム「サーカス&サーカス」として発売。 1978年7月23日、日比谷野外音楽堂でのコンサート。初めて照明にミラーボールが登場(曲は「LADY」)。 1979年2月26日、『HERO(ヒーローになる時、それは今)』で、SEIKOの腕時計のCMのタイアップもあり、爆発的に知名度を広げ、初のチャート1位を獲得(オリコン)。 3月5日、初めてのベスト・アルバム「甲斐バンド・ストーリー」発売。リリース翌週にチャート1位を記録(オリコン)。 3月15日、TBS-TV 「ザ・ベストテン」出演(ランキング3位)。NHK-FMの自分の番組の公開録音スタジオからの生中継、司会者(黒柳徹子、久米宏)と話をしない、などの条件を付けた。 9月24日、ロックバンドとして初めてNHKホールでコンサートを開催。その模様がNHK-TVの「ヤング・ミュージック・ショー」にて放映される。 10月5日、シングル『安奈』発売。チャート最高位4位を記録、『HERO』に次ぐ大ヒットとなる。 12月12日、甲斐よしひろのラジオ番組『サウンド・ストリート』にて、ベースの長岡和宏の脱退が発表される。 12月21~22日、日本武道館にて2日間連続公演。1979年から1985年まで武道館での2daysコンサートが、年末の恒例イベントとなる。なお、この年85回のコンサートを行ない、20万人を動員。1982年まで動員数No.1バンドとなる。 1980年3月20日、ドラムスの松藤英男がリードボーカルのシングル『ビューティフル・エネルギー』発売。カネボウ化粧品のCMに起用され、ヒット曲となる。 4月12日、この日より半年間のテレビドラマ「学園危機一髪」の主題歌として、『漂泊者(アウトロー)』が流れる。 7月1日、横浜文化体育館で、初めてのスタジアム・コンサートを決行。これ以降、同年12月、82年12月、83年12月、84年12月と大都市でのスタジアム・ツアーを開催する。 8月10日、箱根芦ノ湖畔(箱根ピクニックガーデン)で初の野外イベント『100万$ナイトin箱根』を開催。24,000人を動員する。 1981年2月7日、前年12月9日の日本武道館ライブが、NHK-TV「ヤング・ミュージック・ショー」で放映。甲斐よしひろが楽屋で「ジョン・レノン殺害」の新聞を破り、「逝ってしまったジョン・レノンの為に…」と『100万$ナイト』を熱唱した名場面がオンエアーされる。 8月、所属事務所シンコーミュージックより独立。マネージャーの佐藤剛と共に(株)ビートニク(BEATNIK)設立。 9月13日、『KAI BAND SPECIAL LIVE 1981』として、大阪の花園ラグビー場での野外イベントで22,000人を動員。2曲目の『翼あるもの』のイントロとともに、1万人以上の観客がステージに殺到し、演奏を中断するというハプニングが起きる。 11月15日、3年間のコンサートツアー及びプライベートを収めた写真集『1982:BEATNIK』が小学館より発売。 1982年2月7~12日、ニューヨーク3部作の第1弾のアルバム『虜-TORIKO-』のミックスダウンが、パワー・ステーションにて行われる。ミキサーはボブ・クリアマウンテン(Bob Clearmountain)。 6月17日、品川プリンスホテル・ゴールドホールにおいて、観客席は椅子なしで6000人のスタンディングという日本初のスタイルで、コンサート開催。 12月2日、日本武道館でのコンサートのMCにて「いいモノを創る時間をくれよ…」と、翌年のライブ日程が白紙である事を告げる。 1983年5月、新アルバム『GOLD/黄金』のトラックダウンのため、ニューヨークへ渡航。 8月7日、当時の西新宿の高層ビル街で、大規模な野外イベント『THE BIG GIG』を開催。外野を含め、3万人近い観客を集める。この日の模様はアルバム・ビデオ・TV放送・FM放送など、様々なメディアで再現された。 1984年6月、ギタリストとして、田中一郎が加入。 7月、甲斐よしひろが、新シングル『フェアリー(完全犯罪)』のプロモーションビデオ撮影中に負傷のため、緊急入院。5か所のコンサートが延期される。 11月、ニューヨーク3部作完結作『ラヴ・マイナス・ゼロ』ミックスダウンのため、再度ニューヨークへ。 1985年3月1日、アルバム『ラヴ・マイナス・ゼロ』を1年8か月ぶりに発表。1か月以上に及ぶ、同アルバムのプロモーション・ツアーも同日、新潟県民会館よりスタートする(13か所17公演)。 3月31日~4月1日、両国“新”国技館のこけら落としとして『BEATNIK TOUR in 両国国技館』を開催。 1986年3月3日、甲斐バンド解散を発表。 3月14日、ファイナル・コンサート・ツアー『PARTY』を開始(全国50ケ所)。 5月28日、フジテレビの「夜のヒットスタジオ・DELUXE」に生出演。別スタジオでの特別ゲストとして、『BLUE LETTER』、『漂泊者(アウトロー)』の2曲を披露。 5月29日、フジテレビ系列にて、デビューから解散までの12年間の映像ドキュメンタリー番組「甲斐バンド 十二年戦争-栄光の軌跡-」、放送。 6月23~27日、『PARTY』ツアーファイナル。ラストライブを日本武道館で5日間開催。 6月29日、横浜・黒澤フィルムスタジオにて開催された、1500人限定(ちなみにチケットの応募が20万通あった)の正装・フリードリンク付き・オールスタンディングのシークレット・ギグを最後に、甲斐バンド解散。甲斐はソロ歌手として活動を開始。 8月6日、ツアーファイナルのダイジェスト番組「甲斐バンド LIVE AT 武道館-完結編」、フジテレビ系列で放送。 12月、解散ツアーの映像を中心に制作されたドキュメンタリー映画『THE KAI BAND MOVIE HERE WE COME THE 4 SOUNDS』が、全国で上映。
※この「デビュー~解散」の解説は、「甲斐バンド」の解説の一部です。
「デビュー~解散」を含む「甲斐バンド」の記事については、「甲斐バンド」の概要を参照ください。
- デビュー - 解散のページへのリンク