サアロア族の昔話・伝説・民話
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「サアロア族」の記事における「サアロア族の昔話・伝説・民話」の解説
北斗七星の由来 昔々、6名の猟師と一匹の犬は狩りで獲物を追っていたため、聖貝祭に遅刻してしまった。部落に帰っても、見えない壁にさえぎられるように、祭場にどうしても入られなかった。どうにかして入ろうとした最中に、6人と一匹の犬は、宙に浮き漂い、空を飛び、天に昇って北斗七星になってしまった。貝の神様に天罰を加えられた末だという。 太陽を射る 昔々、両親を失った少女が池に洗濯に行った。すると1枚の木切れの板が度々漂ってきて、彼女の仕事を邪魔した。何度捨てても放り投げても同様である。困り果てた彼女は股間で板を挟んで、洗濯し続けた。洗濯がようやく終わるころ、奇妙なことに股間の板はいつの間にか無くなっていた。数月後、彼女は相手も居ないのに妊娠した。村人に「旦那さんも無いのに、なんで妊娠したの?」と、嘲笑れた少女は恥ずかしさで家に引き籠るうち男子が生まれた。Hla’ungaliと名付けられたその男子はまるで風のように成長して、一夜でもう隣人の子供と一緒に遊べた。隣人の子供にはいろんな玩具があり、Hla’ungaliは羨ましいので、母に「なんで僕は玩具が無いの?」と質問をした。母はHla’ungaliが欲しい玩具があれば、何とかして手に入れHla’ungaliにあげていた。 Hla’ungaliは立派な青年になり、村人と連れ立って狩りに行った。しかし、いつもHla’ungali一人だけうまく獲物を捕らえるので、仲間から妬まれるようになった。ある日、ほかの猟師はHla’ungaliに水汲みを言いつけた。Hla’ungaliが不在の内に彼が持っているカバンを改めたところ、中から一本の短い動物の骨が見つかった。村人らはHla’ungalを虐めるため、骨を勝手に捨てた。Hla’ungaliは水を汲んで帰り、自分のカバンが勝手に開けられ中身を見られたことを悟り、悲しんで帰った。母は「気にしないでね。神器があっても彼達も不器用なんだから」と慰めたが、それ以降のHla’ungaliはもう団体での狩猟に参加せず、自分一人で狩りに行くようになった。 当時、空に2つの太陽があった。そのため激烈な暑さで畑作物は実らず、狩猟で糧を得ていた。人々は暑さのため息もできず、Hla’ungaliは自分で太陽を射る任務を決めた。 母に頼み、縄を作って貰った。Hla’ungaliは槍を家の前に挿し、縄を槍に結び、「任務を完成して、縄を2回引いたら、二人とも無事だ。1回引いたら、ただ1人のみが無事だ」と母に伝え、友人と共に太陽の住処を目指して出発した。 艱難辛苦の末、太陽の住処に至った。Hla’ungaliは「速く隠れろ!俺は太陽を射る。隠れたら、絶対出て来るな!」と友人に忠告した。Hla’ungaliは徐々に昇って、昇る太陽を射落すや岩の陰に隠れた。しかし友人は好奇心のせいで頭を上へ突き出して覗いため、太陽が噴き出す血を浴びて池に落ち、あえない最期を遂げた。世界が暗くなり、闇に沈んだ。Hla’ungaliはさっさと持ってきた縄を引いた。縄はただ一回引かれたので、母は心配したり、悩んだり、いったい誰が生きて帰るのか不安で緊張しながら待っていた。 一方、生き永らえたもう一つの太陽は意気消沈し、沈み込んだままだった。太陽は昇らければ光が無く、世界は暗黒に包まれた。照明用に燃やす薪も無くなり、杵と臼まで薪として焚いてしまった。どうすればいいのか?人間と動物は一緒に会議を開き、討論する。そして太陽に供え物を捧げるとの結論に至った。だが、ミミズと魚は反対した。ミミズは土地の下に、魚は水の中に暮らしているので、太陽の光など必要ない。そのため今でもミミズは土地から離れ、魚は水の中から離れば、すぐ死んでしまうという。 だが、皆でいくら捧げ物をしても、唄い踊っても、もう一つの太陽は沈み込んでいた。あたかも日本の記紀神話にある、天照大御神が天岩戸に引き篭った逸話と同様であった。 皆が困りはてていると、雄鶏(おんどり)が太陽に話しかけた。雄鶏は慄く太陽に「恐れるものではない。どうか話を聞いてほしい。私が1回目に鳴いても、出て来なくてもいい。2回目の鳴き声を出しても、出て来なくてもいい。でも3回目の鳴き声を鳴くと、もう安全だから、ぜひ出てきてほしい。私が守ってるから」。こうして太陽を説得してから、雄鶏は村に戻り、体が一番頑丈な人間を探した。雄鶏とその人は一緒に熊の皮と虎の皮を用意し、太陽が住んでいる山に登った。 雄鶏は「もし私の3回目の鳴き声とともに太陽が出てきたら、虎の皮をかぶって、先回りしてほしい。そして、太陽が逃げる道を妨げてほしい」と、人間に考えを伝えた。一回目の鳴き声と二回目の鳴き声でも、天地はまだ暗かったが、雄鶏が見込んだ人物はすでに準備をしていた。そして3回目の鳴き声とともに、太陽が本当に山から出てきた。人間がさっそく太陽の退路を妨げたので、太陽はかつてのように東の山頂から歩いて、西の山下へ向かった。翌日、また山頂から出て、歩いて、山下へ向かった。こうして、一つの太陽が東から昇り、西へ沈むようになった。 一方、太陽を射落としたHla’ungaliは長い旅の末に実家に戻った。母は年齢を重ね、すっかり老いた。安楽を得た人々は感謝の気持ちを込め、彼にリーダーの任務を依頼した。これがサアロア族頭目(rahli)の由来だそうである。そして、雄鶏の知恵を記念するため、サアロア族の女性は今でも雄鶏の羽根を髪に飾る。 表門と裏門の守護神 サアロア族の伝統的な分布圏に、表門と裏門がある。現在、高雄市六亀区宝来温泉街から桃源区高中里への道の側にあり、Araraiという岩壁が表門で、守り神は'Avisavulangahlaである。一方、さらに山奥、高雄市桃源区勤和里の向こうにある巨大な岩Curuvakaは裏門で、守り神はHlipurimacuである。 表門の守護神'Avisavulangahlaは、非常に慈悲深く、いつもサアロア族を守っている。かつて他の部族が侵入を試みたものの、'Avisavulangahlaに術をかけられ、自ら武器を捨ててしまった。正気に戻った彼らは丸腰になったことに気が付き、恐れて退却した。これを悔しがった彼らは再度サアロア族の部落への侵攻を試みた。今回は軍勢も多く、武器も強力だった。だが、またしても表門で術を掛けられ、武器を捨てたままの姿でサアロア族の部落に入り、サアロア族にあっさり捕らえられた。以来、他部族は恐れてサアロア族の部落に手をかけなかった。 一方、裏門の守護神Hlipurimacuは意地が悪く、サアロア族は彼の悪戯に悩んでいた。Hlipurimacuの陰茎は非常に長く、背負い籠に入れなければ歩けないほどだった。ある時、Hlipurimacuはふざけて自分の陰茎を裏門の向かいにある山で働いている婦人に投げつけた。驚いた婦人は陰茎を大蛇だと思って、鋤で殴った。痛みに耐えかねたHlipurimacuは手早く陰茎を収めようとしたが、陰茎は枝や棘に刺されてしまった。やむを得ずに、翌日、サアロア族の婦人たちに頼んで、トゲを抜いて貰った。その作業中に、列の最後の婦人は油断し、Hlipurimacuの陰茎に刺殺されてしまった。そのためサアロア族はHlipurimacuが大嫌いだそうである。 ある日、Hlipurimacuは裏門を守らなければならない自身の立場に不満を持ち、'Avisavulangahlaを訪ねて話し合った。'Avisavulangahlaは「山頂から巨大な石を投げ、Hlipurimacuが山下でキャッチできたら、当番の位置を交代しよう」と提案した。最初、Hlipurimacuは山麓で岩をうまく捕らえ、'Avisavulangahlaに投げ返した。だが彼はHlipurimacuが投げ戻した石を真っ赤に焼き、Hlipurimacuに投げ降ろした。山麓で岩を受け止めたHlipurimacuはそのまま焼死してしまった。 その岩は現在でも当地にある。1950年代まで、石の表面には、Hlipurimacuの体、胸、手の付け跡がはっきりと残っていたという。現在では風化作用のせいで、跡をうかがうのは難しい。だが、幾人かのサアロア族の高齢者は、かつて焼き付けられた跡を見たことを回想している。 踊る鬼火 サアロア族の母語、伝統文化復興運動の実践家、Amahlʉ Salapuana(1948年生まれ、台湾華語名前:游仁貴)は、何回も鬼火(apuhlu'ihlicu)を目撃したと語っている。 氏が11歳の時、夜更けに現在の高中部落から川の向かいにある美蘭部落を眺めた。川向こうは台地状の地形であり、部落の隣にデイゴ(梯梧、サアロア語:sana’ʉ)の木があり、墓場もある。最初は、一灯のかがり火のような発光体が出、続いて誰かが火をともしたように、次から次へと発光体が現れた。鬼火の行列はデイゴの木の位置で消えた。デイゴはサアロア族にとって魔除けの御守りだ。鬼火はしばらく台地の上(現在の美蘭部落聖貝祭祭場の位置)に移動しようとしていた。鬼火は輪状の隊形で集まり、輪の真ん中にはもう一つ、柱のような鬼火がある。まるで、向こうに大人数が集まって手で松明を持ち、山道を登ったり、下ったり、ずっと歩いているようだった。闇夜で、鬼火の光以外、何も見えなかった 当時のAmahlʉ Salapuana氏は、川の方向に走り、近づいて行った。だが誰の姿も見えず、誰の声も聞こえなかった。鬼火の群れは飛んで踊って、やがて消えてしまった。 「あまり怖くないけど、驚いた。いったい何物か?正体は分からない」氏は思い出しつつインタビューに答えた。小学5、6年生の頃から、氏は何度もこの現象を目撃しているとのことだった。「他の人に聞いても、誰も見なかったようだ」。氏も学校で美蘭部落に住んでいるクラスメートに聞き込んだが、クラスメートは「午前0時に、誰が眠らず外で松明を持って、ぶらぶらしているか?あり得ないだろう?まさか!」と答えるばかりだった。 氏は19歳で故郷を離れ、兵役を済ませ、都会で就職し、26歳で実家に帰り、農業に携わっている。氏は夜中にカエルを捕る折り(台湾人はカエルを料理する食文化がある)、向かいにある美蘭部落で踊っている鬼火を目撃していたが、30歳で次女が生まれた後は一度も見ていないという。
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