サアド朝成立前夜のモロッコ情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/15 08:04 UTC 版)
「サアド朝」の記事における「サアド朝成立前夜のモロッコ情勢」の解説
マリーン朝末期、モロッコは、大西洋岸の主要港をポルトガルによって支配され、サハラ越えの交易ルートの利益も奪われてしまい、経済的に衰退し、山岳地帯の部族が略奪を繰り返すなど政情不安に陥っていた。内陸部では、グイチと呼ばれる一種の自警団、海岸部や平野部では、スーフィズムに支えられたカリスマ的な霊力を持つとされる「聖者」(マラブー)を中心とする宗教的な同胞団が多く生まれるようになった。このような同胞団は、現実生活に疲れ困窮した農民層を聖戦を戦う兵士として巧みに組み込んで成長していったが、サアド朝の君主もそのような同胞団の「聖者」の一人だった。14世紀頃、モロッコ国土の南部、アルジェリアとの国境付近ドラア川流域に定住し、シャリーフ(預言者の子孫)バヌー・サアド族として人望を集めつつあった。15世紀中葉、海岸に近いスース地方、タルーダントの南西のティドレにザーウィヤを開き、やがて地方全体の支持を集めるようになった。
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