サアカシュヴィリ以後の両国関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 19:18 UTC 版)
「ジョージアとロシアの関係」の記事における「サアカシュヴィリ以後の両国関係」の解説
2012年10月、ロシアで財産をつくった実業家のビジナ・イヴァニシヴィリは野党連合「ジョージアン・ドリーム」を率いて議会選挙に臨み、選挙では大勝して首相に就任した。イヴァニシヴィリはロシアとの関係改善に向けて、「対露関係特別代表」の役職を新設し、同年12月からロシアとの対話を再開した。 この時点では大統領はサアカシュヴィリであり、イヴァニシヴィリを中心とする議会とサアカシュヴィリの大統領府による権力のねじれた状態が、その後約1年間続いたが、サアカシュヴィリはしだいに勢力を失い、イヴァニシヴィリが実権を握る状況となった、。イヴァニシヴィリは当初から明言していた通り、1年で自ら首相を辞任し、配下の若いイラクリ・ガリバシヴィリを後任首相に指名したが、ガリバシヴィリはほとんどイヴァニシヴィリの意のままに動いただけとみられている。 2013年11月にサアカシュヴィリが大統領職を離れると、本人を含めサアカシュヴィリ派の大臣や側近の多くが訴追され、逮捕者、亡命者などもあらわれた。こうしたなか、2014年3月18日にはロシアによるクリミアの併合が起こり、これは特にウクライナとジョージアにとっては衝撃的なできごとであった。サアカシュヴィリは2015年6月、ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領から任命され、ウクライナ南部のオデッサ州の知事に就任しているが、ジョージア政府はこれに対し、サアカシュヴィリのジョージア国籍を剥奪している。大統領時代のサアカシュヴィリは汚職の解消に大きな実績を残し、彼が改革を施した官僚システムや行政システムは、現在、欧米諸国と比較しても効率的で無駄がないと評されているほどであり、ポロシェンコとしては、オデッサがウクライナの要地である一方、ロシアの影響力も強い都市でもあり、さらに腐敗がはびこる土地柄でもあるところから、汚職廃絶に功績があり、かつ徹底した反ロシア主義者であるサアカシュヴィリに白羽の矢が立ったとも考えられている。 一方、ジョージアの新政権では2014年11月以降、閣僚が相次いで辞任するなど政治的混乱がつづいており、「ジョージアン・ドリーム」からも「我らがジョージア 自由民主主義者」が離脱している。全体的にみれば、イヴァニシヴィリ以降の政権はサアカシュヴィリ政権と同様、親欧米路線を強化しつつ、ロシアとの関係回復にも努力しているといえる。しかし、アブハジアと南オセチアの問題は必ずしも改善に向かっておらず、むしろ悪化の一途をたどっている。アブハジアと南オセチアは2008年の戦争以降ロシア化が進行しており、2014年8月にもアブハジアとジョージアのあいだで紛争が起こっている。アブハジアでは8月に親露派の大統領ハジムバが就任し、2014年11月25日には、ロシアはアブハジアとのあいだの外交政策、軍事、経済の統合を進める「同盟と戦略的パートナーシップに関する条約」を締結した。これは、ジョージアとの境界領域に、ロシア・アブハジア連合軍を配備し、集団的自衛権を高める一方で、治安面ないし経済面のシステムを統合させ、公務員の給与や年金などもロシア連邦のそれに統合するというものであり、事実上、アブハジア併合を企図したものとみられ、ジョージアも欧米諸国も警戒の念を表明している。さらにロシア側は2015年、「アブハジアとの境界線をなくしていく」と発言しており、これには当のアブハジアも抵抗している。 クリミア編入からちょうど1年後の2015年3月18日、ロシアは南オセチアとのあいだの「同盟と統合に関する条約」に署名した。これにより軍と治安機関はロシアに統合されることとなり、25年間有効とされるこの条約にジョージア政府は強い危機感を有している。しかし、アブハジア当局がロシアとの併合に強い危機感をいだいているのに対し、南オセチアの場合は、ロシア領内の北オセチアに同胞オセット人が居住するため、ロシアとの統合にはほとんど抵抗がない。 2013年11月にサアカシュヴィリの後任大統領となったギオルギ・マルグヴェラシヴィリはイヴァニシヴィリの対話路線を維持しつつも、ヨーロッパへの統合を基本的な外交政策としている。首相の方は、2015年12月にガリバシヴィリからギオルギ・クヴィリカシュヴィリにバトンタッチされた。 ジョージアはロシアの経済悪化の影響を強く受けており、特に2014年12月以降のルーブル暴落の影響がきわめて大きい。失業率の高いジョージアでは経済における海外からの送金の占める割合が高いが、ジョージアからはシベリアの石油採掘現場のようなロシア内の劣悪な労働環境のところへ多数の出稼ぎ労働者が渡っている。ルーブル暴落によって通貨価値がそれ以前の約半分となってしまったため、多くの出稼ぎ労働者はジョージアへの帰国を余儀なくされている。 2016年現在、ロシアが危惧しているのはウクライナの親欧米路線の深化であり、サアカシュヴィリ元ジョージア大統領がオデッサ知事となっていることについても反感を強めている。また、2016年の5月から6月にかけては、ジョージアやバルト三国やポーランドなどのロシア近隣地域で、北大西洋条約機構(NATO)およびNATO主要国による現地軍をまじえた軍事演習が相次いでいる。ジョージアでは5月11日から26日にかけては、アメリカ軍650人、イギリス軍150人、ジョージア軍500人が演習に参加し、米軍の主力戦車も参加している。ジョージア側は、この演習をNATO加盟に向けた重要な一歩と位置づけ、こうした演習を今後とも続けたいと表明しているのに対し、ロシア側は南コーカサス地域の情勢を不安定化させるための軍事挑発であるとして厳しく批判している。 ジョージアとロシアの間では、南オセチアとアブハジアの問題が今後とも長期にわたって関係改善にあたって大きな障害となることは避けられないものとみられる。今後、仮にジョージアに親ロシア派政権が誕生することになっても南オセチア・アブハジアの両地域を放棄することは考えにくく、したがって、ロシアがジョージアを抱き込める可能性はほとんどないものと予想される。一方のアメリカも、簡単にジョージアを見捨てるわけにいかない事情がある。ジョージアはロシアからの分離独立を求めるイスラーム・ゲリラが抵抗を続けるチェチェンと国境を接しており、紛争の絶えないコーカサス地方にあって、アゼルバイジャン・アルメニアに接し、さらに南方にはイラン・イラクが所在する地政学上の要衝にあって、アメリカとしてもここに橋頭堡を築き、影響力を保持したいのである。加えて、カスピ海沿岸の石油・天然ガスをロシアを経由せずに黒海側そしてヨーロッパ市場へと運ぶ巨大なパイプラインが通っており、エネルギー輸送における重要な回廊の役割を果たしている。さらに、ジョージアが旧ソ連諸国のなかでロシアに対抗し、これら諸国のなかで民主化の先駆けをなしている。この地域をめぐって膠着状態がつづくのも、以上のような複雑な事情に由っている。
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