インドにおける「枢軸時代」
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「枢軸時代」の記事における「インドにおける「枢軸時代」」の解説
ヒンドゥークシュ山脈のカイバル峠を越えて侵入したインド・ヨーロッパ語族のアーリヤ人は紀元前1000年頃、ガンジス川流域に進出して豊かな自然(神々)をたたえる讃歌(ヴェーダ)をつくり、司祭者階級であるバラモンを中心に、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラよりなる四姓制をともなうバラモン教の社会を形成した。 紀元前8世紀頃になると鉄器の使用がはじまり、紀元前7世紀から紀元前5世紀にかけて、ガンジス川流域にはマガダ国、コーサラ国などの十六大国が成立し、貨幣の使用が始まって商工業がきわめて発達し、クシャトリヤ、ヴァイシャが台頭してバラモンによる精神的支配が揺らぐようになった。 紀元前7世紀にあらわれたウパニシャッド は、こうしたバラモン教の形式化に対する反省をもとにあらわれた内部革新の現れのひとつであった。ウパニシャッド哲学の根本となる教義は、宇宙の原理ブラフマン(梵)と人間の本質アートマン(我)が一体であるという思想(梵我一如の思想)であり、それを正しく知ることから人は輪廻(サンサーラ)の苦しみから脱却できるとしたものであり、この思想は、のちのあらゆるインド哲学に影響をあたえた。なお、ウパニシャッド最大の哲人とよばれるのが紀元前7世紀から紀元前6世紀にかけて現れたヤージュニャヴァルキヤである。 政治的分裂と商工業の発展により、インドでは国家統一のための新しい理念が求められるいっぽう、分裂にともなう抗争の激化と商工業の発展にともなう貧富の差の拡大によって深刻な社会不安が醸成されており、それに応えるべく多くの思想家が現れた。その代表的な人物が仏教を創始したゴータマ・シッダールタ(ブッダ、BC563?-BC483?)とジャイナ教をはじめたヴァルダマーナ(尊称はマハーヴィーラ、BC549?-BC477?)であった。ともに出自(ヴァルナ)よりも業(カルマ)を重視してカーストを否定したが、前者が統一国家形成の支柱としてクシャトリヤに多く支持されたのに対し、後者は、その徹底した不殺生主義のため、信者はほとんど商人階級(ヴァイシャ)に限られた。 ゴータマ・シッダールタは、縁起の説を唱え、人生は苦であり、その原因として煩悩があると説き、煩悩の炎の吹き消された安らぎの境地をニルヴァーナ(涅槃寂静)と名づけて、この境地に至ることを悟りとした。そのための方法として四諦を掲げ、また、八正道が実践されなければならないとし、そこにおいては快楽と苦行の双方を避け、目的にかなった適正な修行方法として中道を説いた。 なお、ヤスパースが指摘した「懐疑論、唯物論、詭弁術や虚無主義に至るまでのあらゆる哲学的可能性」は、しばしば仏教の立場からは「六師外道」(下表)と総称される。このことは、ブッダの活躍した時代には、ヴェーダの学説や権威を否定する自由思想家が多数輩出したことを意味している。これら思想家たちは、いずれも出家した修行者であった。 六師(パーリ語表現)思想内容・特色アジタ・ケーサカンバリン 順世派、チャールヴァーカの祖。死後に霊魂は存在しないとする唯物論を唱え、人間は地・水・火・風の4元素から成るとした。 プーラナ・カッサパ 不生不滅を説いて、人間のいかなる行為は善にも悪にならないとして、因縁や業を否定し道徳無用論を説いた。 パクダ・カッチャーヤナ 七要素説。7つの肉体(地、水、火、風、苦、楽および命)の永続性を唱えた。 マッカリ・ゴーサーラ アージーヴィカ教(邪命外道)の祖。徹底した運命論、決定論を唱える。意志に基づく行為や、修行による解脱をも否定した。 サンジャヤ・ベーラッティプッタ 真理をあるがままに認識するのは不可能だとする不可知論を唱えた。また、形而上学的問題には判断中止の立場をとる懐疑論の立場に立った。 ヴァルダマーナ(マハーヴィーラ) ジャイナ教の開祖。相対論。無神論。きびしい戒律(五戒)と徹底した不殺生主義。 仏教の教義は、紀元前4世紀に建国されて紀元前3世紀にインド亜大陸のほぼ全域を統一したマウリヤ朝の採用するところとなり、アショーカ王はライオンの足元に車輪を置いた石柱碑をインド各地に建てた。車輪は「転法輪」すなわち仏法(正義)を表しており、現在のインド国旗の意匠としても用いられている。 仏教は、ブッダの死後100年ほどして、その教えの解釈をめぐってブッダの言行に忠実であろうとする上座部とブッダの精神を重んずる大衆部に分かれ、それぞれ、のちの南伝仏教(小乗仏教)、北伝仏教(大乗仏教)のもととなった。前者はスリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジアなどへ伝わり、後者はチベット・中国・朝鮮を経て日本に伝来して、南アジア、東南アジア、東アジアの各地で長きにわたって強い影響をあたえ続けた。 いっぽう西方へは紀元前2世紀にさかのぼるインド数字が十進法とともにアラビアに伝わり、アラビア数字としてヨーロッパに伝わった。これは、位取り記数法の発達に影響をあたえ数学の発展に寄与した。 なお、インドでは紀元前後以降、バラモン教に各地の民間信仰が取り入れられてヒンドゥー教が成立し、カーストと結合して現在インド国民の約85パーセントを信者とする大宗教となっている。仏教やジャイナ教はいずれも現代インドにおいては少数派にすぎないが、そこにみられた倫理的性格、ことに不殺生(アヒンサー)の思想は、後世のヒンドゥー教はもとより現代のマハトマ・ガンディーやアマルティア・センの思想にまで影響をあたえている。
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