インドにおける「枢軸時代」とは? わかりやすく解説

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インドにおける「枢軸時代」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)

枢軸時代」の記事における「インドにおける「枢軸時代」」の解説

ヒンドゥークシュ山脈カイバル峠越えて侵入したインド・ヨーロッパ語族アーリヤ人紀元前1000年頃、ガンジス川流域進出して豊かな自然(神々)をたたえる讃歌ヴェーダ)をつくり、司祭階級であるバラモン中心にクシャトリヤヴァイシャシュードラよりなる四姓制をともなうバラモン教社会形成した紀元前8世紀頃になると鉄器使用はじまり、紀元前7世紀から紀元前5世紀にかけて、ガンジス川流域にはマガダ国コーサラ国などの十六大国成立し貨幣使用始まって商工業きわめて発達しクシャトリヤヴァイシャ台頭してバラモンによる精神的支配揺らぐようになった紀元前7世紀あらわれたウパニシャッド は、こうしたバラモン教形式化対す反省をもとにあらわれた内部革新現れのひとつであったウパニシャッド哲学根本となる教義は、宇宙原理ブラフマン(梵)と人間本質アートマン(我)が一体であるという思想梵我一如思想)であり、それを正しく知ることから人は輪廻サンサーラ)の苦しみから脱却できるとしたものであり、この思想は、のちのあらゆるインド哲学影響あたえた。なお、ウパニシャッド最大哲人よばれるのが紀元前7世紀から紀元前6世紀にかけて現れヤージュニャヴァルキヤである。 政治的分裂商工業発展により、インドでは国家統一のための新し理念求められるいっぽう分裂にともなう抗争激化商工業発展にともなう貧富の差拡大によって深刻な社会不安醸成されており、それに応えるべく多く思想家現れた。その代表的な人物仏教創始したゴータマ・シッダールタブッダ、BC563?-BC483?)とジャイナ教はじめたヴァルダマーナ尊称マハーヴィーラ、BC549?-BC477?)であった。ともに出自ヴァルナ)よりも業(カルマ)を重視してカースト否定したが、前者統一国家形成支柱としてクシャトリヤ多く支持されたのに対し後者は、その徹底した不殺生主義のため、信者はほとんど商人階級ヴァイシャ)に限られたゴータマ・シッダールタは、縁起の説を唱え人生は苦であり、その原因として煩悩があると説き煩悩の炎の吹き消され安らぎ境地ニルヴァーナ涅槃寂静)と名づけて、この境地に至ることを悟りとした。そのための方法として四諦掲げまた、八正道実践されなければならないとし、そこにおいては快楽苦行双方避け目的かなった適正な修行方法として中道説いた。 なお、ヤスパース指摘した懐疑論唯物論詭弁術や虚無主義に至るまでのあらゆる哲学的可能性」は、しばしば仏教立場からは「六師外道」(下表)と総称される。このことは、ブッダ活躍した時代には、ヴェーダ学説権威否定する自由思想家多数輩出したことを意味している。これら思想家たちは、いずれも出家した修行者であった六師パーリ語表現思想内容特色アジタ・ケーサカンバリン 順世派チャールヴァーカの祖。死後霊魂存在しないとする唯物論唱え人間地・水・火・風の4元素から成るとした。 プーラナ・カッサパ 不生不滅説いて人間いかなる行為は善にも悪にならないとして、因縁や業を否定し道徳無用論を説いたパクダ・カッチャーヤナ要素説。7つ肉体(地、、火、風、苦、楽および命)の永続性唱えたマッカリ・ゴーサーラ アージーヴィカ教(邪命外道)の祖。徹底した運命論決定論唱える意志に基づく行為や、修行による解脱をも否定したサンジャヤ・ベーラッティプッタ 真理あるがままに認識するのは不可能だとする不可知論唱えたまた、形而上学的問題には判断中止立場をとる懐疑論立場立ったヴァルダマーナマハーヴィーラジャイナ教開祖相対論無神論。きびしい戒律五戒)と徹底した不殺生主義仏教教義は、紀元前4世紀建国され紀元前3世紀インド亜大陸のほぼ全域統一したマウリヤ朝採用するところとなり、アショーカ王ライオン足元に車輪置いた石柱碑をインド各地建てた車輪は「転法輪」すなわち仏法正義)を表しており、現在のインド国旗の意匠としても用いられている。 仏教は、ブッダ死後100年ほどして、その教え解釈めぐってブッダ言行忠実であろうとする上座部ブッダ精神重んずる大衆部分かれそれぞれ、のちの南伝仏教小乗仏教)、北伝仏教大乗仏教)のもととなった前者スリランカミャンマータイカンボジアなどへ伝わり後者チベット中国・朝鮮経て日本に伝来して、南アジア、東南アジア東アジア各地長きわたって強い影響をあたえ続けたいっぽう西方へは紀元前2世紀さかのぼインド数字十進法とともにアラビア伝わりアラビア数字としてヨーロッパ伝わった。これは、位取り記数法発達影響をあたえ数学発展寄与した。 なお、インドでは紀元前以降バラモン教各地民間信仰取り入れられヒンドゥー教成立しカースト結合して現在インド国民の約85パーセント信者とする大宗となっている。仏教ジャイナ教はいずれ現代インドにおいては少数派にすぎないが、そこにみられた倫理的性格、ことに不殺生アヒンサー)の思想は、後世ヒンドゥー教もとより現代マハトマ・ガンディーアマルティア・セン思想にまで影響あたえている。

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