その他の西欧諸国のルネサンスとは? わかりやすく解説

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その他の西欧諸国のルネサンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 00:09 UTC 版)

ルネサンス」の記事における「その他の西欧諸国のルネサンス」の解説

一般に15世紀末から16世紀には、程度の差はあるが、ルネサンス文化アルプス以北西欧や一東欧諸国にも波及した考えられている(北方ルネサンス)。しかし、ルネサンス社会形態まで含めた総体的運動として捉えた場合ルネサンス本質的にイタリア固有の現象であって、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}絶対王政確立しつつあった西欧諸国ルネサンス認めない立場もある。[誰によって?] また、ルネサンスと宗教改革関連についても議論がある。特にアルプス以北諸国において、ルネサンス一部である人文主義研究は、宗教上のものと結びつきやすかった。とくにネーデルラントにおけるエラスムス研究は、ルターカルヴァンツヴィングリなど多く宗教改革者に影響与え宗教改革発端作った考えられている。しかし一方で宗教改革者と人文主義者との関係は必ずしも良好ではなくルターとエラスムスお互い敬して遠ざけた後、1524年から1525年にかけての自由意思をめぐる一連の論争で完全に袂を分かった。 以下に、一般にルネサンス」と評される各国文化挙げる。必ずしも古典復興目指したものとは限らないが、イタリア・ルネサンス触発され発達したものや、明らかに中世文化とは異な特徴を持つものなどが含まれる。これらは一時的な流行単なる模倣留まらず各国国民文化にもなっていったのであるネーデルラント 1384年から1477年までブルゴーニュ公国支配下にあったフランドルでは、毛織物工業貿易が活発であり、豊かな文化が花開いた絵画 - 15世紀フーベルトヤンファン・エイク兄弟油絵技法完成させた。このころネーデルラント絵画イタリア並び立つ水準にあり、むしろイタリア絵画大きな影響与えるほどであった(ただし、初期フランドル絵画には古典復興という要素がないため、中世末期美術見なす説もある)。それが16世紀頃には逆転しイタリア・ルネサンス手本とするようになったブリューゲル1525年? - 1569年)もイタリア旅行をした後、独自の農村風景画を描くようになった思想 - 新約聖書ギリシア語から翻訳したエラスムス1466年 - 1536年)が人文主義者として著名である。古代ギリシア語研究は、キリスト教原点遡って再検討することにつながり次第中世カトリック権威揺るがすものとなったエラスムスは『痴愚神礼賛』でカトリック堕落風刺したが、宗教改革運動起こしたマルティン・ルターとは袂を分かった音楽 - ネーデルラント顕著な文化活動に、音楽勃興隆盛があった。ルネサンス音楽に関しては、初期から中期にかけてはイタリアよりネーデルラント、とくにフランドル地域が重要であり、イタリアよりはるかに先行していた。フランドルルネサンス音楽から始まったといわれるギヨーム・デュファイによって中世西洋音楽からルネサンス音楽への転換がなされ、ジル・バンショワアントワーヌ・ビュノワと続くブルゴーニュ楽派、さらにその後ヨハネス・オケゲムヤーコプ・オブレヒトジョスカン・デ・プレと続くフランドル楽派(この2楽派総称してネーデルラント楽派ともいう)が隆盛した。 「ルネサンス音楽」を参照 フランス イタリア先進文化伝えられ国王文芸保護政策もあって文化活動活発になった16世紀は、フランス・ルネサンスの時代といわれる。(ミシュレフランス史』) 絵画 - イタリア侵攻したフランソワ1世時代イタリア戦争の項を参照)にレオナルド・ダ・ヴィンチなどが宮廷招かれイタリアルネサンス美術伝えられた。その後ロッソ・フィオレンティーノらがイタリアから宮廷招かれマニエリスム影響受けたフォンテーヌブロー派活躍した文学 - 古代ギリシア医学研究したラブレー1483年 - 1553年)は『ガルガンチュワ物語』を著した荒唐無稽な巨人物語であるが、既成権威風刺した内容で、活版印刷刊行され禁書処分を受けながらも広く読まれた。このほか、16世紀中頃にはロンサールなど古典文学学んだ若い詩人ら(プレイヤード派)が文学運動起こした。またアリストテレス演劇論などが影響与えた。これらの動向は、17世紀フランス古典主義文学コルネイユラシーヌなど)に継承されていった。 「フランス・ルネサンスの文学」を参照 思想 - ユグノー戦争期に生きたモンテーニュ1533年 - 1592年)はフランスルネサンス期代表する思想家といわれ、セネカらの引用自己の考察綴ったエセー』(随想録)で知られるドイツ 絵画 - デューラー1471年 - 1528年)が有名である。イタリア旅行経てルネサンス絵画学び思想的にも深みのある表現達した銅版画の「メランコリア I」や油彩の「四人の使徒」などの宗教画がよく知られている。 思想 - ルター宗教改革ルネサンス人文主義者による聖書の原典研究進んだことが背景にある(前述)。 イングランド 一般にイングランドにおけるルネサンス最盛期16世紀エリザベス朝で、ピューリタン革命1642年 - 1649年)によって幕を下ろしたとされる。 「イギリス・ルネサンス演劇」を参照 文学 - ジェフリー・チョーサー1340年 - 1400年)がボッカッチョ影響を受け『カンタベリー物語』を著している。その後エリザベス朝期に古代ギリシア以来とも言われるほど演劇盛んになり、古代ローマ思想家でもあるセネカ書いたオイディプス』等の悲劇が英語に翻訳され大きな影響与えたイングランド後期ルネサンス代表する劇作家シェイクスピア1564年 - 1616年)の存在もこの流れ中にある。ただし、シェイクスピア自身ラテン語ギリシア語についての知識はあまりなく、イタリア舞台にした劇を書いてはいるが、実際に訪れたことはない。 思想 - 『ユートピア』で知られるトマス・モア1478年 - 1535年)はイングランド代表的な人文主義者であり、フィチーノ著作影響を受け、エラスムス交友持ったまた、フランシス・ベーコン1561年 - 1626年)はセネカ思想の影響を受け、『随想録』を執筆したスペイン 絵画 - エル・グレコ1541年 - 1614年)が知られるクレタ島出身ギリシア人でヴェネツィア・ローマを経てトレド移り住むマニエリスム影響を受けながらも、独自の神秘的な画風築いた文学 - 小説セルバンテス1547年 - 1616年)は、スペインエラスムス主義者フワン・ロペス・デ・オーヨスの弟子であり、20代初めにローマで枢機卿仕えイタリア先進文化にふれた。1605年出版された「ドン・キホーテ」は当時ベストセラーになり、現在では「近代小説始まり」と評価されている。 俗語書かれ文芸作品多く(「神曲」、「デカメロン」、「カンタベリー物語」、「ガルガンチュワ物語」、シェイクスピア戯曲、「ドン・キホーテ」など)、各国国語形成されていった時期重なっている。一方各国知識人交流する上で中世以来国際語であったラテン語役割見逃せない例えネーデルラントエラスムスイングランドトマス・モアラテン語という共通語があったことで、思想的交友を持つことができた。 なお、建築分野では、イタリアで生まれたルネサンス建築規範となり、他の国にも普及していった。古典様式をいかに理解し消化するかが課題となり、それぞれの国で特色ある様式が生まれた北方ルネサンス建築の項を参照)。ルネサンス以降古代ギリシア・ローマを範とする古典主義建築正統的な建築様式見なされるようになり、20世紀に至るまで権威保った

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