後期ルネサンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 04:35 UTC 版)
1520年頃から1620年頃の、いわゆるマニエリスムとよばれる運動には明確な定義があるわけではないが、これは明らかに盛期ルネサンスとは異なる現象である。もともと、マニエリスムとは16世紀中期の特に絵画芸術を指して半ば侮蔑的に与えられた呼称であった。調和比例を重視したそれまのでルネサンス建築の伝統にあって、マニエリスムは故意の不調和と対立、そして自意識過剰性が特徴とされるが、マニエリスムと呼べる範囲については議論があり、必ずしも明確ではないので、一般的には様式として定義されていない。建築においては、ジュリオ・ロマーノやミケランジェロ・ブオナローティ、そして彼らの追従者の建築はマニエリスムと言えるだろうが、サンソヴィーノの建築はマニエリスムとは呼べず、パラーディオは意識して設計をおこなったときにのみマニエリストである。ここでは北イタリアの建築をブラマンテの理念を直接的に継承しているという意味でマニエリスム建築とは異なる現象として記述する。
※この「後期ルネサンス」の解説は、「ルネサンス建築」の解説の一部です。
「後期ルネサンス」を含む「ルネサンス建築」の記事については、「ルネサンス建築」の概要を参照ください。
- 後期ルネサンスのページへのリンク