後期ロマン派の延長から無調音楽へ
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「近代音楽」の記事における「後期ロマン派の延長から無調音楽へ」の解説
20世紀初頭から第一次世界大戦までは、後期ロマン派の延長上にある音楽がドイツ語圏、特にオーストリアのウィーンを中心に多く作られた。マーラーやリヒャルト・シュトラウスなどがその代表と言える。またツェムリンスキーから新ウィーン楽派の初期にかけてが、この後期ロマン派の最後期と見てよい。シェーンベルクの「浄夜」「ペレアスとメリザンド」「グレの歌」、ベルクの「ピアノソナタ」、ヴェーベルンの「夏風の中で」などがそれにあたる。 シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンはそれらの初期作品の後、1908年頃から徐々に調性を放棄し無調による表現主義と呼ばれる作風へ至った。また1920年代にはそれを組織化する手段として十二音技法を生み出し、以後この技法による表現の可能性を各人がそれぞれ独自性をも示しつつ探求した。 これに対し、ツェムリンスキーやシュレーカーは機能和声からは離脱し、部分的には複調も取り入れつつも、その後も後期ロマン派の香りを留めた調的作品を残した。 新ウィーン楽派の影響を受けたその後の世代の作曲家にはクレネクやアイスラーがいる。クレネクは若い頃は新古典主義様式による歌劇を大ヒットさせたりしていたが、1930年代後半からは十二音技法を取り入れた。アイスラーは無調や十二音技法の影響をうけつつも、政治的作品を多く残し、大衆への訴えのために平明な調的語法も用いた。
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