『百人一首』の歌と歌人たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 05:10 UTC 版)
「百人一首」の記事における「『百人一首』の歌と歌人たち」の解説
百人一首に採られた100首には、1番の天智天皇の歌から100番の順徳院の歌まで、各歌に歌番号(和歌番号)が付されている。この歌番号の並び順は、おおむね古い歌人から新しい歌人の順である。( )内は漢字の読みを示す。太字は決まり字(上の句は読み基準、下の句は表記基準で判断)を示す。 歌一覧番号詠み人歌1. 天智天皇 秋(あき)の田(た)の かりほの庵(いほ)の とまをあらみわが衣手(ころもで)は 露(つゆ)にぬれつつ 2. 持統天皇 春(はる)すぎて 夏(なつ)きにけらし 白妙(しろたへ)の衣(ころも)干(ほ)すてふ 天(あま)のかぐ山(やま) 3. 柿本人麻呂 足曳(あしびき)の 山鳥(やまどり)の尾(を)の しだり尾(を)の長々(ながなが)し夜(よ)を 獨(ひと)りかも寝(ね)む 4. 山邊赤人 田子(たご)の浦(うら)に うち出(い)でて見(み)れば 白妙(しろたへ)の富士(ふじ)の高嶺(たかね)に 雪(ゆき)は降(ふ)りつつ 5. 猿丸大夫 奥山(おくやま)に 紅葉(もみぢ)踏(ふ)み分(わ)け 鳴(な)く鹿(しか)の聲(こゑ)きく時(とき)ぞ 秋(あき)はかなしき 6. 中納言家持 鵲(かささぎ)の 渡(わた)せる橋(はし)に おく霜(しも)の白(しろ)きを見(み)れば 夜(よ)ぞ更(ふ)けにける 7. 阿倍仲麿 天(あま)の原(はら) ふりさけ見(み)れば 春日(かすが)なる三笠(みかさ)の山(やま)に 出(い)でし月(つき)かも 8. 喜撰法師 わが庵(いほ)は 都(みやこ)のたつみ しかぞ住(す)む世(よ)をうぢ山(やま)と 人(ひと)はいふなり 9. 小野小町 花(はな)の色(いろ)は 移(うつ)りにけりな いたづらにわが身(み)世(よ)にふる ながめせしまに 10. 蝉丸 是(こ)れやこの 行(ゆ)くもかへるも 別(わか)れては知(し)るもしらぬも 逢坂(あふさか)の關(せき) 11. 参議篁 わたのはら 八十島(やそしま)かけて こぎ出(い)でぬと人(ひと)には告(つ)げよ あまの釣船(つりぶね) 12. 僧正遍昭 天津風(あまつかぜ) 雲(くも)の通路(かよひぢ) ふきとぢよをとめの姿(すがた) しばしとどめむ 13. 陽成院 筑波嶺(つくばね)の みねより落(お)つる みなの川(がは)戀(こひ)ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる 14. 河原左大臣 陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)故(ゆゑ)に亂(みだ)れそめにし われならなくに 15. 光孝天皇 君(きみ)がため はるの野(の)に出(い)でて 若菜(わかな)つむわが衣手(ころもで)に 雪(ゆき)はふりつつ 16. 中納言行平 立(たち)別(わか)れ いなばの山(やま)の 峯(みね)に生(お)ふるまつとしきかば 今(いま)かへりこむ 17. 在原業平朝臣 千早(ちはや)振(ぶ)る 神代(かみよ)もきかず 竜田川(たつたがは)から紅(くれなゐ)に 水(みづ)くくるとは 18. 藤原敏行朝臣 住(すみ)の江(え)の 岸(きし)に寄(よ)る波(なみ) よるさへや夢(ゆめ)の通(かよ)ひ路(ぢ) 人(ひと)めよくらむ 19. 伊勢 難波(なには)がた 短(みじか)き蘆(あし)の ふしの間(ま)も逢(あ)はで此世(このよ)を すぐしてよとや 20. 元良親王 佗(わび)ぬれば 今(いま)はたおなじ なにはなるみをつくしても あはむとぞ思(おも)ふ 21. 素性法師 今(いま)来(こ)むと いひしばかりに 長月(ながつき)の有明(ありあけ)の月(つき)を 待(まち)出(い)でつるかな 22. 文屋康秀 吹(ふ)くからに 秋(あき)の草木(くさき)の しをるればむべ山風(やまかぜ)を 嵐(あらし)と云(い)ふらむ 23. 大江千里 月(つき)見(み)れば 千々(ちぢ)に物(もの)こそ 悲(かな)しけれわが身(み)一(ひと)つの 秋(あき)にはあらねど 24. 菅家 此(こ)の度(たび)は ぬさも取(とり)あへず 手向山(たむけやま)紅葉(もみぢ)のにしき 神(かみ)のまにまに 25. 三條右大臣 名(な)にしおはば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら人(ひと)に知(し)られで くるよしもがな 26. 貞信公 小倉山(をぐらやま) 峯(みね)のもみぢ葉(ば) 心(こころ)あらば今(いま)一度(ひとたび)の みゆきまたなむ 27. 中納言兼輔 みかの原(はら) わきてながるる いづみ川(がは)いつみきとてか 戀(こひ)しかるらむ 28. 源宗于朝臣 山里(やまざと)は 冬(ふゆ)ぞ寂(さび)しさ まさりける人(ひと)めも草(くさ)も かれぬと思(おも)へば 29. 凡河内躬恒 心(こころ)あてに をらばやをらむ はつしもの置(お)きまどはせる 白菊(しらぎく)のはな 30. 壬生忠岑 有明(ありあけ)の つれなく見(み)えし 別(わか)れより暁(あかつき)ばかり うきものはなし 31. 坂上是則 朝(あさ)ぼらけ 有明(ありあけ)の月(つき)と 見(み)るまでによしのの里(さと)に 降(ふ)れる白雪(しらゆき) 32. 春道列樹 山川(やまがは)に 風(かぜ)のかけたる 柵(しがらみ)は流(なが)れもあへぬ 紅葉(もみぢ)なりけり 33. 紀友則 久方(ひさかた)の 光(ひかり)のどけき 春(はる)の日(ひ)にしづ心(こころ)なく 花(はな)の散(ち)るらむ 34. 藤原興風 誰(たれ)をかも しる人(ひと)にせむ 高砂(たかさご)の松(まつ)も昔(むかし)の 友(とも)ならなくに 35. 紀貫之 人(ひと)はいさ 心(こころ)も知(し)らず ふるさとは花(はな)ぞ昔(むかし)の 香(か)に匂(にほ)ひける 36. 清原深養父 夏(なつ)の夜(よ)は まだ宵(よひ)ながら 明(あ)けぬるを雲(くも)のいづこに 月(つき)やどるらむ 37. 文屋朝康 白露(しらつゆ)に 風(かぜ)の吹(ふ)きしく 秋(あき)の野(の)はつらぬきとめぬ 玉(たま)ぞ散(ち)りける 38. 右近 忘(わす)らるる 身(み)をば思(おも)はず ちかひてし人(ひと)の命(いのち)の をしくもあるかな 39. 参議等 浅(あさ)ぢふの をのの篠原(しのはら) しのぶれどあまりてなどか 人(ひと)の戀(こひ)しき 40. 平兼盛 忍(しの)ぶれど 色(いろ)に出(い)でにけり わが戀(こひ)は物(もの)や思(おも)ふと 人(ひと)の問(と)ふまで 41. 壬生忠見 戀(こひ)すてふ わが名(な)はまだき たちにけり人(ひと)知(し)れずこそ 思(おも)ひそめしか 42. 清原元輔 契(ちぎ)りきな かたみに袖(そで)を しぼりつつすゑの松山(まつやま) 波(なみ)こさじとは 43. 権中納言敦忠 逢(あひ)見(み)ての 後(のち)の心(こころ)に くらぶれば昔(むかし)は物(もの)を 思(おも)はざりけり 44. 中納言朝忠 逢(あ)ふことの 絶(た)えてしなくば なかなかに人(ひと)をも身(み)をも 恨(うら)みざらまし 45. 謙徳公 哀(あはれ)とも いふべき人(ひと)は おもほえで身(み)のいたづらに なりぬべきかな 46. 曽禰好忠 由良(ゆら)の門(と)を わたる舟人(ふなびと) かぢをたえゆくへも知(し)らぬ 戀(こひ)の道(みち)かな 47. 恵慶法師 八重葎(やへむぐら) しげれる宿(やど)の さびしきに人(ひと)こそ見(み)えね 秋(あき)は來(き)にけり 48. 源重之 風(かぜ)をいたみ 岩(いは)うつ波(なみ)の おのれのみくだけて物(もの)を 思(おも)ふころかな 49. 大中臣能宣朝臣 御垣守(みかきもり) 衛士(ゑじ)のたく火(ひ)の 夜(よる)はもえて晝(ひる)は消(き)えつつ 物(もの)をこそ思(おも)へ 50. 藤原義孝 君(きみ)がため 惜(を)しからざりし 命(いのち)さへながくもがなと 思(おも)ひけるかな 51. 藤原實方朝臣 かくとだに えやはいぶきの さしも草(ぐさ)さしも知(し)らじな もゆるおもひを 52. 藤原道信朝臣 明(あけ)ぬれば 暮(く)るるものとは 知(し)りながら猶(なほ)恨(うら)めしき 朝(あさ)ぼらけかな 53. 右大將道綱母 なげきつつ 獨(ひと)りぬる夜(よ)の あくるまはいかに久(ひさ)しき ものとかはしる 54. 儀同三司母 忘(わす)れじの 行末(ゆくすゑ)までは かたければ今日(けふ)をかぎりの 命(いのち)ともがな 55. 大納言公任 瀧(たき)の音(おと)は 絶(た)えて久(ひさ)しく なりぬれど名(な)こそ流(なが)れて 猶(なほ)聞(き)こえけれ 56. 和泉式部 あらざらむ 此世(このよ)の外(ほか)の 思(おも)ひ出(で)に今(いま)ひとたびの 逢(あ)ふ事(こと)もがな 57. 紫式部 巡(めぐ)りあひて 見(み)しや夫(それ)とも わかぬまに雲(くも)がくれにし 夜半(よは)の月(つき)かな 58. 大貳三位 有馬山(ありまやま) ゐなの笹原(ささはら) 風(かぜ)ふけばいでそよ人(ひと)を 忘(わす)れやはする 59. 赤染衛門 安(やす)らはで 寝(ね)なましものを 小夜(さよ)更(ふ)けてかたぶくまでの 月(つき)を見(み)しかな 60. 小式部内侍 大江山(おほえやま) いく野(の)の道(みち)の 遠(とほ)ければまだ文(ふみ)も見(み)ず 天(あま)のはし立(だて) 61. 伊勢大輔 いにしへの 奈良(なら)の都(みやこ)の 八重櫻(やへざくら)けふ九重(ここのへ)に 匂(にほ)ひぬるかな 62. 清少納言 夜(よ)をこめて 鳥(とり)の空音(そらね)は はかるとも世(よ)に逢坂(あふさか)の 關(せき)はゆるさじ 63. 左京大夫道雅 今(いま)はただ 思(おも)ひ絶(た)えなむ とばかりを人(ひと)づてならで いふよしもがな 64. 権中納言定頼 朝(あさ)ぼらけ 宇治(うぢ)の川(かは)ぎり たえだえにあらはれ渡(わた)る 瀬々(せぜ)のあじろぎ 65. 相模 恨(うら)みわび ほさぬ袖(そで)だに あるものを戀(こひ)に朽(く)ちなむ 名(な)こそをしけれ 66. 前大僧正行尊 もろともに あはれと思(おも)へ 山櫻(やまざくら)花(はな)より外(ほか)に 知(し)る人(ひと)もなし 67. 周防内侍 春(はる)の夜(よ)の 夢(ゆめ)ばかりなる 手枕(たまくら)にかひなく立(た)たむ 名(な)こそをしけれ 68. 三条院 心(こころ)にも あらでうき世(よ)に 長(なが)らへば戀(こひ)しかるべき 夜半(よは)の月(つき)かな 69. 能因法師 嵐(あらし)吹(ふ)く 三室(みむろ)の山(やま)の もみぢ葉(ば)は龍田(たつた)の川(かは)の にしきなりけり 70. 良暹法師 淋(さび)しさに 宿(やど)を立(た)ち出(い)でて ながむればいづこも同(おな)じ 秋(あき)のゆふぐれ 71. 大納言経信 夕(ゆふ)されば 門田(かどた)のいなば おとづれてあしのまろやに 秋風(あきかぜ)ぞふく 72. 祐子内親王家紀伊 音(おと)に聞(き)く たかしの濱(はま)の あだ浪(なみ)はかけじや袖(そで)の ぬれもこそすれ 73. 権中納言匡房 高砂(たかさご)の 尾上(をのへ)の櫻(さくら) 咲(さ)きにけり外山(とやま)の霞(かすみ) たたずもあらなむ 74. 源俊頼朝臣 憂(う)かりける 人(ひと)をはつせの 山(やま)おろしよはげしかれとは 祈(いの)らぬものを 75. 藤原基俊 契(ちぎ)りおきし させもが露(つゆ)を 命(いのち)にてあはれ今年(ことし)の 秋(あき)もいぬめり 76. 法性寺入道前関白太政大臣 和田(わた)の原(はら) こぎ出(い)でて見(み)れば 久方(ひさかた)の雲(くも)ゐにまがふ 沖津(おきつ)白(しら)なみ 77. 崇徳院 瀬(せ)をはやみ 岩(いは)にせかるる 瀧川(たきがは)のわれても末(すゑ)に あはむとぞ思(おも)ふ 78. 源兼昌 淡路島(あはぢしま) かよふ千鳥(ちどり)の 鳴(な)く聲(こゑ)にいく夜(よ)ねざめぬ 須磨(すま)の關守(せきもり) 79. 左京大夫顕輔 秋風(あきかぜ)に 棚引(たなび)く雲(くも)の 絶間(たえま)よりもれ出(い)づる月(つき)の 影(かげ)のさやけさ 80. 待賢門院堀河 長(なが)からむ 心(こころ)もしらず 黒髪(くろかみ)のみだれて今朝(けさ)は ものをこそ思(おも)へ 81. 後徳大寺左大臣 ほととぎす なきつる方(かた)を ながむればただ有明(ありあけ)の 月(つき)ぞ残(のこ)れる 82. 道因法師 思(おも)ひわび さても命(いのち)は ある物(もの)をうきにたへぬは 涙(なみだ)なりけり 83. 皇太后宮大夫俊成 世(よ)の中(なか)よ 道(みち)こそなけれ 思(おも)ひ入(い)る山(やま)の奥(おく)にも 鹿(しか)ぞなくなる 84. 藤原清輔朝臣 永(なが)らへば また此頃(このごろ)や しのばれむうしと見(み)し世(よ)ぞ 今(いま)は戀(こひ)しき 85. 俊恵法師 夜(よ)もすがら 物(もの)思(おも)ふころは 明(あ)けやらで閨(ねや)の隙(ひま)さへ つれなかりけり 86. 西行法師 嘆(なげ)けとて 月(つき)やはものを 思(おも)はするかこち顔(がほ)なる わが涙(なみだ)かな 87. 寂蓮法師 村雨(むらさめ)の 露(つゆ)もまだひぬ まきの葉(は)に霧(きり)たちのぼる 秋(あき)の夕(ゆふ)ぐれ 88. 皇嘉門院別当 難波江(なにはえ)の 蘆(あし)のかり寝(ね)の ひと夜(よ)ゆゑ身(み)を盡(つくし)てや 戀(こひ)わたるべき 89. 式子内親王 玉(たま)の緒(を)よ たえなばたえね 永(なが)らへば忍(しの)ぶる事(こと)の よわりもぞする 90. 殷富門院大輔 見(み)せばやな 雄島(をじま)のあまの 袖(そで)だにも濡(ぬ)れにぞぬれし 色(いろ)はかはらず 91. 後京極摂政前太政大臣 きりぎりす なくや霜夜(しもよ)の さむしろに衣(ころも)かたしき 獨(ひと)りかもねむ 92. 二条院讃岐 わがそでは 潮干(しほひ)に見(み)えぬ 沖(おき)の石(いし)の人(ひと)こそしらね かわく間(ま)もなし 93. 鎌倉右大臣 世(よ)の中(なか)は 常(つね)にもがもな 渚(なぎさ)漕(こ)ぐ海士(あま)の小舟(をぶね)の 綱(つな)でかなしも 94. 参議雅経 みよし野(の)の 山(やま)の秋風(あきかぜ) 小夜(さよ)更(ふ)けてふる郷(さと)さむく 衣(ころも)うつなり 95. 前大僧正慈円 おほけなく 浮世(うきよ)の民(たみ)に おほふかなわがたつ杣(そま)に 墨染(すみぞめ)の袖(そで) 96. 入道前太政大臣 花(はな)さそふ 嵐(あらし)の庭(には)の 雪(ゆき)ならでふりゆくものは わが身(み)なりけり 97. 権中納言定家 來(こ)ぬ人(ひと)を まつほの浦(うら)の 夕(ゆふ)なぎにやくや藻塩(もしほ)の 身(み)もこがれつつ 98. 従二位家隆 風(かぜ)そよぐ ならの小川(をがは)の 夕暮(ゆふぐれ)はみそぎぞ夏(なつ)の しるしなりける 99. 後鳥羽院 人(ひと)もをし 人(ひと)も恨(うら)めし 味氣(あぢき)なく世(よ)を思(おも)ふ故(ゆゑ)に 物(もの)おもふ身(み)は 100. 順徳院 百敷(ももしき)や 古(ふる)き軒端(のきば)の しのぶにも猶(なほ)あまりある 昔(むかし)なりけり 小倉百人一首に選ばれた100名は、男性79名、女性21名。男性の内訳は、天皇7名、親王1名、公卿28名(うち摂政関白4名、征夷大将軍1名)、下級貴族28名、僧侶12名、詳細不明3名。また女性の内訳は、天皇1名、内親王1名、女房17名、公卿の母2名となっている。 歌の内容による内訳では、春が6首、夏が4首、秋が16首、冬が6首、離別が1首、羇旅が4首、恋が43首、雑(ぞう)が19首、雑秋(ざっしゅう)が1首である。 100首はいずれも『古今和歌集』『新古今和歌集』などの勅撰和歌集に収載される短歌から選ばれている。 万葉の歌人 『万葉集』の時代はまだおおらかで、身分の差にこだわらずに天皇、貴族、防人、農民などあらゆる階層の者の歌が収められている。自分の心を偽らずに詠むところが特徴。有名な歌人は、大伴家持、山部赤人、柿本人麻呂など。 六歌仙の時代 この時代になると、比喩や縁語、掛詞などの技巧をこらした繊細で、優美な歌が多く作られた。紀貫之によって選ばれた「六歌仙」(在原業平や小野小町など)が代表的な歌人である。 女流歌人の全盛 平安時代の中頃、宮廷中心の貴族文化は全盛を迎える。文学の世界では、女性の活躍が目ざましく清少納言が『枕草子』、紫式部が『源氏物語』を書いた。『百人一首』にはそのほかにも、和泉式部、大弐三位、赤染衛門、小式部内侍、伊勢大輔といった宮廷の才女の歌が載っている。 隠者と武士の登場 貴族中心の平安時代から、武士が支配する鎌倉時代へと移る激動の世情の中で、仏教を心の支えにする者が増えた。『百人一首』もそうした時代を反映し、西行や寂蓮などの隠者も登場する。藤原定家自身も撰者となった『新古今和歌集』の歌が中心で、色彩豊かな絵画的な歌が多く、微妙な感情を象徴的に表現している。
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