『百富士』とは? わかりやすく解説

『百富士』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 03:21 UTC 版)

河村岷雪」の記事における「『百富士』」の解説

として、『百富士』(全四冊。1767年明和4年))を版行する。旅路写生した富士図、全101図を、一丁見開き2ページ)づつ纏めた例外3図あり)もので、各図に彼以外による狂歌川柳漢詩一・二添えられる。各冊ごとに、以下の副題が付く。 第一冊:江府中(全26図)。 第二冊:裏不二武州相州甲州駿州(全25図)。 第三冊:東海道(全24図)。 第四冊:諸州名勝地(全26図)。 岷は、第四冊での跋文ばつぶん後書き。)にて、以下のように述べる。 予わかかりし旅行折々 ここかしこ名勝地にて士峯の風景望み(略)見るままにうつしとめつ 懐にしてもてかへれり かくする年久しく成りて 其数あまたつもりぬ (略)その業にとりてはおき 世のこのかみ聞えし人の画きたるをも模して 是かれとりあつめ百紙にあまりぬ 予画法つたなく 経営位置などやうのことは更なり すべて筆のたちとたどたどしく 人に見すべきものにもあらねど(略)年久しく月花のむしろに心しれる友人 これを聞伝えからのやまとの言の葉選り ともにちりばめ しづかなる窓のうちにながき翫にもせよと せちにすすめらるるにより 今更なみがたく 人の嘲をもわすれて遂に剞劂以下略明和丁亥(四年)の秋 河村岷雪 葛飾の黙ニ庵にしるす 類之河印(白文方印) 君沖(朱文方印)(読み易くするため、語句区切った。「予」は小字である。反復符号仮名改めた。以下同じ。) 以上の内容からは、18世紀江戸住み各地旅し職業書画家ではなく、『百富士』四冊中、自身写生したもの以外に、古画写し(「渡唐 雪舟筆」と「明洲津 探幽斎筆」)が混じることが分かるまた、序文3本のうち、最初の「洲田謙」によると、「予友人君錫風流雅到衆技兼善画」とあり、「君錫」という号も有る分かる。 なお、朝岡興禎古画備考二十六、名画十四巻には、「河村君錫 黙二庵 始称山路道輔 後称神立愚鈍松花堂書画 坦斎話 明和頃ノ人」(訓読点を略した。「黙二庵」「坦斎話」は小字。)とあり、「松花堂」は『百富士』序文二番目書した人物と、同一可能性がある。

※この「『百富士』」の解説は、「河村岷雪」の解説の一部です。
「『百富士』」を含む「河村岷雪」の記事については、「河村岷雪」の概要を参照ください。

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