『百富士』
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岷雪として、『百富士』(全四冊。1767年(明和4年))を版行する。旅路で写生した富士図、全101図を、一丁(見開き2ページ)づつ纏めた(例外3図あり)もので、各図に彼以外による狂歌・川柳・漢詩が一・二作添えられる。各冊ごとに、以下の副題が付く。 第一冊:江府中(全26図)。 第二冊:裏不二、武州、相州、甲州、駿州(全25図)。 第三冊:東海道(全24図)。 第四冊:諸州名勝地(全26図)。 岷雪は、第四冊での跋文(ばつぶん:後書き。)にて、以下のように述べる。 予わかかりし昔 旅行の折々 ここかしこの名勝地にて士峯の風景を望み(略)見るままにうつしとめつ 懐にしてもてかへれり かくする事年久しく成りて 其数あまたつもりぬ (略)その業にとりてはおき 世のこのかみと聞えし人の画きたるをも模して 是かれとりあつめ百紙にあまりぬ 予画法につたなく 経営位置などやうのことは更なり すべて筆のたちとたどたどしく 人に見すべきものにもあらねど(略)年久しく月花のむしろに心しれる友人 これを聞伝えからのやまとの言の葉を選り ともに梓にちりばめ しづかなる窓のうちにながき翫にもせよと せちにすすめらるるにより 今更いなみがたく 人の嘲をもわすれて遂に剞劂(以下略) 明和丁亥(四年)の秋 河村岷雪 葛飾の黙ニ庵にしるす 類之河印(白文方印) 君沖(朱文方印)(読み易くするため、語句を区切った。「予」は小字である。反復符号は仮名に改めた。以下同じ。) 以上の内容から岷雪は、18世紀の江戸に住み、各地を旅し、職業書画家ではなく、『百富士』四冊中、自身で写生したもの以外に、古画の写し(「渡唐 雪舟筆」と「明洲津 探幽斎筆」)が混じることが分かる。 また、序文3本のうち、最初の「柳洲田謙」によると、「予友人君錫風流雅到衆技兼善画」とあり、「君錫」という号も有ると分かる。 なお、朝岡興禎『古画備考』二十六、名画十四巻には、「河村君錫 黙二庵 始称山路道輔 後称神立愚鈍 学松花堂書画 坦斎話 明和頃ノ人」(訓読点を略した。「黙二庵」「坦斎話」は小字。)とあり、「松花堂」は『百富士』序文の二番目を書した人物と、同一の可能性がある。
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