『白露日記』とは? わかりやすく解説

『白露日記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:08 UTC 版)

山口慎」の記事における「『白露日記』」の解説

ペルー銀山事件は国の恥辱みなされその後関係者口を閉ざしたが、山口慎明治23年9月帰国後すぐ自らの秘露(ぺるー)日記清書し、この顛末を 『白露日記』 と題して残した出発前の明治22年11月から始まるこの端正な墨蹟日記から当時船旅鉱山現場状況がよくわかる。30余り短歌12編の漢詩詠みこんでおり、率直な心境矜持示している。号は孤雲日記冒頭、自らの家業は順調であるが、日本状況思えば海外出て行くべきであり国威発揚端緒になればとの思い記し、 「世の中よ ためしぞ事の始めなれ 成るも成らぬも亦くにのため」 と詠んだ銀山廃坑であると判明し被害最小限撤退するための作戦として先に日本へ帰国するという是清をカヤオ港で見送ったときの漢詩は特に痛切で、後に自ら掛軸にして残した帰国して日秘鉱業会社の解散知り、「堂々タル日本紳士紳商トイワルル人ノ不徳無情ナルニ慨歎セリ」 と記した何事にも正直で前向きな武士道精神持ち主であった慎だが、日記最後には 「朝日影さす甲斐もなく消へうせて うらみを残す白露の国」 と、不在中に自らの家業倒産したこともあり憤り込めている。 『白露日記』の原本次男・固が保管その死後1957年中央公論10月号に村山兵衛が「海外雄飛の夢を弔う明治中期海外事業における資本家労働者人間的スケッチ」として紹介した1962年には五男・三村起一の 『身辺二話』 にも収められた。その後長らく顧みられことはなかったが、2014年になり、三井金属鉱業株式会社ペルー支社長務めた五味篤が 『銀嶺アンデス 高橋是清ペルー銀山投資足跡』 をスペイン語日本語併記出版した。この大著膨大な資料掘り起こし綿密な調査によってこの開発計画全貌明らかにしたもので、この出版により 『白露日記』 は日の目を見たと言える

※この「『白露日記』」の解説は、「山口慎」の解説の一部です。
「『白露日記』」を含む「山口慎」の記事については、「山口慎」の概要を参照ください。

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