ペルー銀山事件とは? わかりやすく解説

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ペルー銀山事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:08 UTC 版)

山口慎」の記事における「ペルー銀山事件」の解説

1889年明治22年〉、山口慎旧知大倉喜八郎依頼で、札幌麦酒工場3年ほどドイツ人技師監督として赴く予定であったが、直前高橋是清ペルー行き知り、これに同行することを自ら望んで参加した。この事業国家発展のためにと、政財界要職にある20名ほどが株主となり設立された日秘鉱業会社によるペルー銀山投資である。是清は農商務省先輩である前田正名請われ出資者および代表として農商務省特許局非職となっていくものだった11月先発した清に続き、慎は庶務課長として17名の抗夫を統率し12月3日横浜から出帆するペルーまでは船を乗り継ぎ2ヵ月近くかかった目的のカラワクラ銀山は、標高5,500m近くアンデス山中にあり、みな酷いと高山病寒さ苦しむ。翌年2月風雪の中、慎と是清がアンデス尾根道を馬で進んだ際には谷底向かって転落し九死に一生を得る経験もした。しかし3月26日、この銀山掘りつくされ廃坑だと判明する事前調査をした田島晴技師杜撰さ日本からの出資欲しペルー側の思惑によりまんまと騙されたであったここから新たな試練となる。廃坑判明した以上は日本側の損害最小限にするための方策考えねばならない高橋是清ペルー側に、「当銀山の鉱石が低品位である以上、設備投資増額して大規模にすれば事業可能性あり」として一時日本資金集め帰国する告げその実今まで投資分を放棄して損切りすると決断したペルーに対しては、日本での資金集め失敗したときにはこの計画ご破算となるが、日本投資分をすべて放棄するという条件をのませた。事業継続ポーズ維持するためには抗夫たち鉱山に残さねばならない。この難し状況で後を託された慎は経費倹約しながら、荒れる抗夫や技師たちをよく統制し、是清より3か月遅れてペルーより帰国した。ところが、日秘鉱業会社はすでに解散していたのである会社は抗夫たち賃金払わず高橋是清山口慎にすべてを押し付けた二人自分の金を抗夫に配り慰撫し、互いに我慢解散をした。田島技師詐欺罪訴追され3年半の懲役刑判決下った。このペルー銀山開発事業失敗大きなバッシングを受け、世間では「ペルー一山当てようとして騙された事件」と見られ、慎の家族でさえ、そのような理解であった

※この「ペルー銀山事件」の解説は、「山口慎」の解説の一部です。
「ペルー銀山事件」を含む「山口慎」の記事については、「山口慎」の概要を参照ください。

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