国家発展(1882年〜1900年)
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「ゲオルギオス1世 (ギリシャ王)」の記事における「国家発展(1882年〜1900年)」の解説
トリクピスは列強の変化によって教訓を得て、政府が確立したギリシャの国境線を後退させる政策を続けたが、テオドロス・ディリヤンニスを中心とする反トリクピス派の最大勢力である民族党は、事あるごとにギリシャ国民の反オスマン帝国感情を煽ろうと画策した。1885年にブルガリア人が東ルメリ自治州でオスマン帝国の支配に対して反乱を起こし、自治州とブルガリア自治公国の合併が宣言された際、民族党に機会が到来した。ディリヤンニスは「ブルガリア人がベルリン条約を反故にするなら、ギリシャ人もそうしなければならない」と発言して、同年の選挙でトリクピスを押して勝利を収めた。 ディリヤンニスは陸軍を動員し、イギリス海軍はギリシャを封鎖した。封鎖作戦を担当した提督は、1863年にギリシャ国民が初代国王候補に挙げたエディンバラ公アルフレッドであり、当時の海軍大臣は、16年前にギリシャで自身の義兄弟が殺害された経験のある初世リポン侯ジョージ・ロビンソンだった。このことにより、ゲオスギオス1世は自身の王家の人脈が常に有利に働くわけではないということを悟り、以降も度々それを実感することとなる。ディリヤンニスは武装解除を余儀なくされ、トリクピスが首相の座に復帰した。1882年から1897年にかけては、トリクピスとディリヤンニスが交互に政権を担う形となった。 19世紀末のギリシャはますます繁栄するようになり、ヨーロッパの中で自らの役割を模索するようになった。1893年には、アドリア海からピレウスまでの距離を241キロメートル短縮するコリントス運河が完成した。1896年には、アテネで初めての近代オリンピックが催されることとなり、1896年夏季オリンピックの開幕式は、国王によって主宰されることとなった。アテネ郊外に住む水運び人夫であるスピリドン・ルイスがパナシナイコスタジアムでマラソンに優勝をするとコンスタンティノス王太子とゲオルギオス王子はトラックに下り立ち、ルイスと共に最後の100ヤードを走り、ゲオルギオス1世は席から立ち上がり、ルイスを褒め称えた。 全てのギリシャ人を一つの領域で結び付けたいという大衆の願望(メガリ・イデア)は、表立ってはいなかったものの決して小さいものではなく、クレタ島でもトルコの支配に対抗する反乱が起きた。1897年2月に、ゲオルギオス1世は次男のゲオルギオス王子をクレタ島に派遣し、同島の占領を試みた。ギリシャ人はオスマン帝国による、クレタ島を帝国内の自治州とする案を拒否し、ディリヤンニスは戦争のために海軍を派兵した。列強はギリシャの領土拡張に反対し、2月25日にクレタ島はオスマン帝国内の自治州となることが表明され、ギリシャおよびオスマン帝国の民兵に撤退するよう命じた。 オスマン帝国側はこれに同意したが、ディリヤンニス首相はこれを拒否して、ティモレオン・ヴァッソス大佐が指揮する1,400名の兵力をクレタ島に派兵した。列強が封鎖を宣言する間、ギリシャ軍はマケドニアの国境を突破し、皇帝アブデュルハミト2世に宣戦を布告し、希土戦争が勃発した。ギリシャが遂にオスマン帝国と開戦したという発表は、アテネで狂乱的なまでの愛国心の爆発と、国王を称える自然発生的なパレードという形で歓迎された。数千人の支援者達が、コンスタンティノス王太子が指揮する部隊に合流・協力すべく北部へ動いた。 だが、戦闘は準備が不足していたギリシャ側に不利な展開となり、1897年4月末にギリシャの敗北により戦争は終結した。ギリシャの敗北による最悪の結果は、イギリスとロシアの親族が介入したことによって軽減されたが、ギリシャはクレタ島が国際保護地域におかれることを容認せざるを得なくなり、4,000,000トルコ・ポンドの賠償金とテッサリア国境付近の要地を譲渡することとなった。 開戦時には国王を歓呼しながら称えたギリシャ国民だったが、敗北により状況が一転し、ゲオルギオス1世は退位まで考慮するようになった。だが、1898年2月に遭った暗殺未遂事件を物ともしない勇敢さを国内に見せ付けたことにより、国民は再び国王に敬意を抱くようになった。 クレタ島において、イギリス人副領事が殺害されるなどの事件が相次いだ後の同年末に、ゲオルギオス王子がオスマン帝国の宗主権の元で自治権を持つクレタ州(Cretan State)の総督に就任した。ギリシャが近代史上初めてクレタ島を事実上の支配下に置いた瞬間だった。
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