国家的あいまいさ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:13 UTC 版)
「サンエリザリオ塩戦争」の記事における「国家的あいまいさ」の解説
テキサス西部を流れるリオ・グランデ川は、北部からやってくるコマンチェ族やアパッチ族に対する自然の障壁として機能し、20世紀初頭に建設されたエレファント・ビュート・ダム(英語版)に代表される大規模な治水工事がなされる前は河川はしばしば氾濫していた。リオ・グランデ川南岸はアングロ・アメリカンがこの地の領有権を主張するはるか前よりスペインから入植した者やメキシコ人らが一連のコミュニティを形成し定着しており、1789年に創られたサン・エリザリオはそうしたコミュニティのなかで比較的大きなもののひとつであった。1829年に発生した洪水は川の流れを変え、サン・エリザリオは新旧の河川に挟まれるように取り残された中州「La Isla」の中に取り残された。1836年に独立を宣言したテキサス共和国は、リオ・グランデ川を南側国境と定めた。こうした中、リオ・グランデ川内のラ・イスラに暮らすサン・エリザリオの人々の国籍は、米墨戦争を経て1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約締結まで曖昧なままであった。条約により国境が特定された後、1853年のガズデン購入によりサン・エリザリオは明確にアメリカ合衆国の土地となった。当時のサン・エリザリオはサンアントニオとサンタフェの間にあるアメリカ合衆国最大のコミュニティであり、カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロの要所であり、この地域の郡庁所在地であった。
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