ペルー革命とは? わかりやすく解説

ペルー革命(1968年-1980年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 07:09 UTC 版)

ペルーの歴史」の記事における「ペルー革命(1968年-1980年)」の解説

かかる状況下で1968年10月3日フアン・ベラスコ・アルバラード将軍による軍事クーデターによりベラウンデは追放され軍事革命政権成立宣言された。軍事革命政権10月9日スキャンダルとなっていたタララ協定の無効化宣言しIPC国有化した。この軍事革命は完全に文民参加廃した点に特色があり、立法府役割全面的に軍に移行され、軍事政権任命され若手法曹によって腐敗した司法改革なされた。ペルー革命の始まりだった。 こうしてクーデター起こしたベラスコ将軍は、これまでの政権とは180度立場変えて反米自主独立旗印に「ペルー革命」を推進することを約束し、「資本主義でもなく、また共産主義でもない人間的な社会主義」を目指しユーゴスラビア一つモデル新体制の模索進んだ外交面ではそれまでアメリカ合衆国一辺倒だった外交が、第三世界中心に多角化され1969年アンデス共同市場形成皮切りにチリアジェンデ人民連合政権といったラテンアメリカ域内左派政権との関係改善が行われ、同時期にチリ似たような改革進めていたアジェンデ大統領は、ベラスコを「同志」と呼んだ1969年2月にはソ連と、1971年中華人民共和国と、1972年にはキューバ国交を結び、1973年からは非同盟運動にも参加した国防組織対米依存を減らすため兵器輸入中心にソ連との関係は特に深まり日本ドイツとの交流が深まるのもこの頃である。ベラスコ体制は、アンデス諸国革新的軍事政権や、パナマオマール・トリホス政権モデル提示した。 この革命政権において農地改革大きな一つであり、それまで農地改革とは比較ならないような徹底した改革推進された。貧し生まれだったベラスコ将軍はかつてトゥパク・アマルー2世掲げた標語を再び掲げコスタ大農園次々解体され多く土地小作人分与され、「44家族」と呼ばれていたペルー地主寡頭支配層はここに解体された。また、アメリカ合衆国からの経済独立目指し企業国有化政策により輸入代替工業化が更に進められた。当時リマスラムシエラからの人口移動人口700万人巨大都市に大拡大していたが、革命政権スラムプエブロ・ホーベン新しい街)と呼び住民組織化進んだまた、将軍先住民をカンペシーノ(農民)と呼ぶようにし、以後政府文書侮蔑的な響きのあったインディオという言葉使われることはなくなった。 しかし、1973年ベラスコ将軍が病に倒れ片足切断することになると政権内での意思疎通不和が目立つようになり、さらに同年第一次オイル・ショック経済大打撃を受け、再び外国資本導入検討せざるを得ない状況になると各地暴動社会的混乱噴出した将軍任期最後の年にはケチュア語公用語となったが、軍部主導国民広範な支持得られなかった革命は、ポプリスモ的な分配による対外債務増加軍部APRA系の労組との衝突や、人民組織化失敗さらには1973年9月11日チリ・クーデターによって成立したアウグスト・ピノチェト政権革命政権敵視してチリとの戦争現実味帯びたことをはじめとしてボリビアアルゼンチンブラジルといった周辺国官僚主義権威主義体制との軋轢などもある中で、最終的に1975年ベラスコ将軍失脚をもって失敗明らかになった。 1975年8月23日軍部右派左派妥協により、軍内中道派(制度派)のモラレス・ベルムデスが大統領となったモラレスは「革命第二段階」を称していたが、1976年5月には事実上のIMF管理下に置かれるなど改革からの後退続き1977年2月にはインカ計画続いてトゥパク・アマルー計画発表されたが、この計画の内容革命凍結を図るというものだった国民反軍感情高まりの中、軍は名誉ある撤退掲げて政権文民移行するために1978年6月制憲議会開かれ軍部APRA歴史的な和解の中で、非識字層に投票権認めた1979年憲法制定された。1980年には選挙によって民政移管し、再び人民行動党のフェルナンド・ベラウンデ・テリーが大統領就任した

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