「市民」による革命:学生運動、民主化運動
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「革命」の記事における「「市民」による革命:学生運動、民主化運動」の解説
社会階級とはあまり関係のない現代の意味における「市民」による革命フランス2月革命(1848年) - 1848年革命(諸国民の春)の1つ。フランスでは以前のブルジョワジー主体の市民革命から労働者主体の革命になった。他は古典的な市民革命。 メキシコ革命(1911年 - 1920年) ボリビア革命(1952年) エジプト革命 (1952年) - ムハンマド・ナギーブ、ガマール・アブドゥン=ナーセルの自由将校団による王制打倒のクーデター。 4・19学生革命(1960年、韓国) 五月革命(1968年、フランス) - 世界(先進国中心だが)の学生運動が盛り上がる発端になった。ドゴール大統領は選挙に勝ったが、地方自治制度改革案の国民投票に敗れて辞任。 ペルー革命(1968年 - 1975年) - クーデターを起こしたベラスコ将軍による「革命的国民主義」政権の急進的改革の時代。 学生革命(1973年、タイ) - 先進国への留学生が学生運動の影響を受けて帰国。学生運動から軍事政権が崩壊。1976年のクーデターで終わる。 カーネーション革命(1974年、ポルトガル) - 実態は軍事クーデターであるが、クーデター勢力によって民主化が進んだ数少ない例であるため、革命と言われる。 メタポリテフシ(英語版)(1974年、ギリシャ) - ギリシャ軍事政権がキプロス紛争に敗れて政権投げ出し。 スペインの民主化(1975年 - 1978年) - 民主化運動の高まりはあったが、カルロス国王による上からの改革。 ピープル・パワー革命(1986年、フィリピン) 韓国の民主化(1987年) 8888民主化運動(1988年 - 1990年、ビルマ - ミャンマー) - 1988年8月8日のゼネスト・デモが民主化運動の象徴となった。1990年の総選挙で国民民主連盟が勝利するも、軍事政権国家法秩序回復評議会は選挙結果を無視して居座った。 ザンビアの民主化(1991年) ケニアの民主化(1991年) 暗黒の5月事件(1992年 - タイ) - スチンダー首相退陣。 カンボジアの民主選挙(1993年) - 国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の統治下で1993年に民主選挙。 アパルトヘイト撤廃(1991年 - 1994年、南アフリカ) - 1994年に全人種参加の選挙。 モザンビークの民主化(1989年 - 1994年) 台湾の民主化(1990年頃 - 1997年頃) - 李登輝総統の民主化政策と国民の民主化運動によって徐々に民主化を達成した。1996年に初の総統直接選挙。 スハルト政権崩壊(1998年、インドネシア) ブルドーザー革命(2000年、ユーゴスラビア、セルビア) - デモによりユーゴスラビア(新ユーゴ、第三のユーゴスラビア)のミロシェヴィッチ大統領が退陣。実質的にはセルビアの民主化。 バラ革命(2003年、グルジア) 杉の革命(2005年、レバノン) オレンジ革命(2005年、ウクライナ)を始めとする色の革命 チューリップ革命(2005年、キルギス) ロクタントラ・アンドラン(国王のいない民主主義の運動)(2006年、ネパール) - ネパール王族殺害事件でギャネンドラ国王の独裁となるが、民主化運動が高まり議会復活。2008年に王制廃止。共和制に移行。 ミャンマーの民主化(2007年 - 2011年) - 軍出身のテイン・セイン首相(その後大統領)による上からの民主化改革。2010年に総選挙。 アラブの春(2011年 - ) - 中東で連続して民主化革命が発生。しかし反動クーデター、内戦、イスラム革命運動などの混乱に陥った国も多い。ジャスミン革命(2011年、チュニジア) - アラブの春の発端。2014年1月に中東で最も自由主義的な新憲法を採択。 エジプト革命(2011年) - 選挙でイスラム原理主義組織ムスリム同胞団系のムルシー政権が成立。2013年7月に軍の反動クーデター。市民革命に続きイスラム革命という二段階革命は阻止。 2010年-2011年アルジェリア騒乱 - 多少民主化が進んだ。 オマーンの民主化拡大(2011年) - 諮問会議への立法権付与などが行われた。 2011年バーレーン騒乱(2011年 ) - 国民の多数を占めるシーア派による反政府運動。サウジアラビアなどの軍事介入もあり沈静化。限定的な民主化改革はなされた。 モロッコの民主化拡大(2011年) - 議会の権限拡大。11月の選挙で穏健イスラム政党の政権が成立。 2011年イエメン騒乱(サーレハ大統領退陣)(2011年、イエメン) マイダン革命(2014年、ウクライナ) - ヤヌコービッチ政権のロシア接近をきっかけに親欧米派の武装蜂起で政権崩壊。ロシアはクリミア併合やウクライナ東部侵攻を行った。
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