革新的軍事政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:45 UTC 版)
1972年、政権を握った軍部からギジェルモ・ロドリゲス・ララ将軍が大統領に就任した。ロドリゲス将軍は当時ペルー革命を推進していたベラスコ将軍に倣って「革命的民族主義」を掲げ、軍事評議会による民族主義的路線で政権運営をした。また、国際石油資本はエクアドルのアマゾン地域における石油資源に目をつけ、同年8月にアマゾン地域から海岸までのパイプラインを完成させ、エクアドルを南アメリカ第二の石油輸出国へと導いた。 このようにエクアドルでは外資による石油の開発が進んでいたが、軍事政権はエクアドル国営石油会社を設立し、資源ナショナリズムを推進して外国資本に奪われていた石油を取り戻し、石油収入を元手に民族主義政策を進め、1973年6月にはエクアドルは石油輸出国機構(OPEC)に加盟した。1974年にはキューバとも国交を回復し、寡頭支配層を切り崩すほどの成果は挙げられなかったものの、農地改革と税制改革が実行された。しかし、このような民族主義政策は対米関係の悪化を招き、こうした動きに反対する軍内部の保守派による1975年のクーデターは阻止されたが、軍内部の保守派と革新派の分裂はもはや修復できなかった。 翌1976年1月に軍部保守派のアルフレド・ポベダ・ブルバーノ海軍中将がクーデターを起こすと、ロドリゲス将軍は失脚した。ブルバーノ政権は保守化し、軍事政権はもはや民族主義的な政策を行うことはなく、再び外資導入が進められた。また、ブルバーノは労働者への弾圧を強め、1977年10月にアストラ製糖工場でストが発生した時には、武装警察を出動させて政府発表で24人を虐殺した。軍事政権は民政移管を約束し、1978年には新憲法草案が国民投票で可決された。同年、ペルーとの軍事衝突が発生したものの、1979年には平和裏に民政移管した。
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