◆主流秩序関係◆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:14 UTC 版)
主流秩序論: 伊田によると、主流秩序とは「社会の多数派が持っている価値で人を偏差値的に序列化したもの」である。簡単に言えば、「お金があるほうがいいといった、皆が信じ込んでいる『こうすれば幸せ』という世間の価値観」、「これが幸せだよ、勝ち組だよという価値観で人を順位付けしたもの」といったもの。主流秩序の中には、「どの程度の金を持っているかの秩序」「学歴の秩序」、仕事ができるかどうかの「能力主義の秩序」「コミュニケーションがうまい程度の秩序」「女らしい/男らしい人が上というジェンダー秩序、美の秩序などいろいろあって、そうした各々の「サブ秩序」が寄り集まって「太い縄」になっているものが「社会全体の主流秩序」である。 神、国家、資本、学歴、外見が良いことが良いという意識、などは共同幻想という共通性がある。それが絶対的なものでなく、我々の上位にあるものでもないと認識すべきであること、それらに過剰に支配されるなという視点を持つのが主流秩序論である。 この主流秩序へのスタンスとして、伊田は、各人に、この主流秩序についてどうおもうのか、どういうスタンスで対応するのか、加担か抵抗かなど4つの道を提示して考えてもらう問いを投げかけている。伊田は、主流秩序への加担を批判する。傍観者を批判する。主流秩序への多様な戦い方(スーパーヒーローでなくてもできる間接介入)を伝えて、多くの人が主流秩序への従属から離脱することに希望を見出す立場。そこから導かれる実践的ヒント集として、『こんなひどい社会の中で、それでもちゃんと生きていく方法――主流秩序論2冊のエッセンス+学生さんの自己洞察』(電子書籍2016年1月、増補版・オンデマンド印刷書籍&電子書籍 2020年5月)がある。 主流秩序論については、その原型はスピシン主義提示(2000年前後)のときからあったが、明確にこの概念を世間に表明していったのは2012年ごろからであった。その考えを最初に体系的にまとめたものが伊田著『閉塞社会の秘密──主流秩序の囚われ』(アットワークス、2015年)である。 生きづらさと主流秩序、いかに生きるかと主流秩序 伊田は、「いきづらさ」「こんなひどい社会で自分はいかに生きるか」を主流秩序論とつなげて展開している。その初期のものが「「恋愛と顔」=「カップル単位・ジェンダー秩序」に執着していたことの不幸――秋葉原事件の検討から」(『季刊セクシュアリティ』41号2009年春) 関連: 簡単に語る「金のために働く」「組織人だから」 2015-12-21 むのたけじさんのことば 態度価値 フランクルの態度価値論に強く共感。『閉塞社会の秘密』でこの概念を入れて、主流秩序論を展開. 関連: 「大江千里「ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな。」 職場などの不正に対するスタンス モリカケ問題のように、情報や統計や検査の数字の加工、文書の隠蔽・破棄、労災隠し、パワハラやセクハラや暴力があったのに加害者はそのままで被害者が組織から追い出された、不正なわいろを出している、インサイダー取引、非正規差別、上司のまちがった指示など、組織での不正はしばしば起こっているが、それに、声を上げない人を、主流秩序の観点から伊田は批判する。 自分個人に出来ることはないとか、組織人だからとか、家族を養わないといけないからとか、外部に内部告発(公益通報)したりしたら「会社の恥を外部に知らせた」と報復があるからとか、『自分だけ正義ぶるな』という批判が来るからとかそうした言い訳で思考停止することを批判する立場。 参考:首相よ、妻とお前の仲間の右翼が無茶をして、そのために官僚が犯罪をせざるを得なくなったんだよ 勇気を持って動く人 主流秩序に従属する人がいる中で、いざというときに差っとできることをした人がいる。勇気をもって立ち向かた人、動いた人は実はたくさんいる。伊田はそうした事例を講義でも紹介し、日ごろから考えておくことの重要性を打立てている。 新幹線内無差別攻撃事件 助けに入った人がいたという希望 主流秩序に加担するメディア、それでも戦う一部メディア人 伊田は、メディアでは、政権べったりの人や右翼言論人はよく出されるが、左翼的な人、政権批判的な人はほんの少ししか出ないと指摘。韓国、北朝鮮、中国を過剰に批判するナショナリスティックな偏向報道にも批判的(伊田著『閉塞社会の秘密』内でメディア論展開)。関西では「維新」が過大に評価されるのはメディアが無批判に持ち上げるからとみている。 そんな中、伊田はがまともなジャーナリストを支持する。NHKの自民党政権に近すぎる姿勢(岩田解説委員は典型)には批判的だが、NHKの中にもいい番組があると評価。 関連のネット記事: MBSの斎加さんが「教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか」で、ギャラクシー賞を受賞 西岡力、櫻井よしこをメディアに出すのはおかしい 高須さんが右翼言論人であることは明らかなのに [放送を語る会]のN国党批判 映画『教育と愛国』 反・承認欲求 伊田は、主流秩序の上位ということで多数・世間に承認されたいとする「承認欲求」を批判する。他者に承認されることが唯一・最大の基準になることのおかしさを意識し、基本は自分の軸で自分を評価する生き方を提唱。個のスタンスから承認欲しさのSNSへの依存からの脱出の方向を提唱。自分が幸せならSNSに書く(=自慢する、うらやましがられたい、ほめられたい)必要はないよと伝える。 反功利主義: 「多数派の利益を重視しそのためには少数派の犠牲は仕方ない」とする功利主義的な考えに批判的スタンスをとる。(オメラスから歩み去る人のスタンス=主流秩序において少数でも自分の生き方(自分に恥じない正義)を重視する生き方) 反能力主義・反エイブリズム: 主流秩序で評価される能力だけを評価するのでなく、多様な能力を対等に尊重するとともに、生まれつきの差異や病気・障害、運・不運もあるので、能力に多様な差異があることを上下優劣にしない考え方をとる。能力に応じて働くとともに、必要に応じて人間として必要なものが得られる方向を目指す。努力が必ず報われるわけではないので努力主義・競争至上主義も批判。主流秩序の批判、スロー系、ダイバーシティ、反功利主義と合わせて、もう少しゆっくり認め合い共存できる方向を目指すスタンス。 関連 メンタリストDaiGoの主張は、実は主流秩序の考え 市場原理、新自由主義、能力主義に批判的 市場原理や能力主義が労働者を直接には「男女の性別によってではなく、労働力に固有の能力によってのみ評価」するという見解に反対。新自由主義の実態を見ても分かるように単純化してとらえるべきでなく、資本主義はその都度現実の様々なものとハイブリッドに結びついて展開しているので統一論的にとらえて、市場原理や能力主義自体を常に警戒して対抗する具体策を提示することが重要というのが伊田の立場。具体的には、主流秩序を緩めるような諸実践としての反能力主義、新自由主義と対抗的な、市場原理を制限する社会民主主義的改革を支持。 ************::***************
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