T-4時代
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1996年(平成8年)4月 - 防衛大学校入校式で、「T-4ブルーインパルス」最初の公式展示飛行(編隊課目のみ)を行う。 5月5日 - 岩国航空基地「日米親善デー」で、「T-4ブルーインパルス」最初の第1区分公式展示飛行(フル演技)を行う。 1997年(平成9年)4月 - アメリカ合衆国ネバダ州・ネリス空軍基地にて開催の『アメリカ空軍創設50周年記念エアショー(「ゴールデン・エア・タトゥー」)』にて初めて海外での展示飛行を実施。 1998年(平成10年)2月 - 長野オリンピック開会式で展示飛行。 1999年(平成11年)この年からカラースモークの使用を禁止。 11月14日 - 浜松基地航空祭で18年ぶりとなる第1区分の展示飛行を実施。 2000年(平成12年)7月4日 - 飛行訓練後の帰投中に2機が墜落し、パイロット3名が殉職。事故以降、その年の展示飛行を全て中止する。 2001年(平成13年)2月 - 飛行訓練を再開。 8月26日 - 松島基地航空祭より4機による展示飛行を再開する。 9月11日 - アメリカ同時多発テロ事件発生により、これ以降、当年度の全ての航空祭が中止に。 2002年(平成14年)5月26日 - 静浜基地航空祭より航空祭における展示飛行を再開。 6月4日 - 2002 FIFAワールドカップにて埼玉スタジアム2002上空で展示飛行。 8月 - 墜落事故で失われた機体の補充として新たに2機の新造T-4アクロバット仕様機を受領。 12月の岐阜基地航空祭から6機体制に戻る。 2004年(平成16年)9月・10月 - 「パシフィックツアー」中のサンダーバーズと百里、浜松で競演するも天候不順で展示飛行は全て中止。 2005年(平成17年)12月開催の那覇基地航空祭にてT-4ブルーインパルス化初の展示飛行(編隊課目のみ)を実施。 2007年(平成19年)4月28日 - 熊本城の築城400年祭の一環として、熊本市上空にて展示飛行(航過飛行)を実施、熊本県出身の村田将一3等空佐が1番機を操縦した。 9月30日 - F1 日本GP決勝が開催される「富士スピードウェイ」上空で展示飛行(航過飛行)を実施予定だったが、悪天候により飛行中止。 2008年(平成20年)4月12日~13日 - 瀬戸大橋開通20周年事業でサンポート高松上空と瀬戸大橋上空で展示飛行(航過飛行)を実施。 2009年(平成21年)6月1日~2日 - 横浜開港150周年を記念して、第28回横浜開港祭において、横浜市西区臨港パーク上空で展示飛行(航過飛行)を実施。 10月18日 - 米空軍アクロバットチーム「サンダーバーズ」と三沢基地航空祭で競演。 2010年(平成22年)3月27日 - プロ野球チーム「東北楽天ゴールデンイーグルス」のホーム開幕戦のオープニングにて、クリネックススタジアム宮城上空で展示飛行(航過飛行)を実施。 8月22日 - 第56回松島基地航空祭にてブルーインパルス創設50周年記念として航空中央音楽隊が「The Simmer of the Air」等を生演奏する中、展示飛行を実施。 9月25日 - 第65回国民体育大会ゆめ半島千葉国体の開会式において、千葉マリンスタジアム上空でデルタ隊形による編隊航過飛行を実施。 2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による津波被害のため松島基地所属の航空機は壊滅的被害を受けたが、第11飛行隊の保有する10機のうち、7機(天候調査などに使用される通常仕様の1機を含む)が翌日の九州新幹線全通を祝う編隊通過飛行のため芦屋基地に展開、2機がIRAN(メーカーでの整備)に出されていたため、第11飛行隊の航空機で被害を受けたのはブルーインパルス仕様T-4の1機のみであった。しばらくは芦屋基地を拠点とし飛行訓練を行った。 8月7日 千歳基地航空祭において、シーズン初の展示飛行(編隊連携機動飛行)を実施。 8月20日 宮城県東松島市で、震災後初めて地元での編隊飛行を披露。最寄りの松島基地は未だ使用できないため、この日は青森県の三沢基地から離陸。 2012年(平成24年)11月3日 - 入間航空祭にて、展示飛行中の2番機にバードストライクが発生し緊急着陸。その後の展示飛行は中止となってしまった。 2013年(平成25年)3月25日、- 松島基地に戻るのを前に、芦屋基地を一般開放して、周辺住民に感謝の気持を込めて、芦屋基地で最後の展示飛行を行った。 3月31日 - 松島基地でブルーインパルスの帰還式が開かれた。ブルーインパルスは震災以来、拠点としていた芦屋基地を離れ、2年ぶりに松島基地へと帰還した。 2014年(平成26年)1月29日 - 松島基地から南東に約45kmの太平洋上で1番機の機首部と2番機の左後方が接触し同基地へ緊急着陸。ブルーインパルス同士の接触事故は発足以来初。 5月31日 - 国立競技場のファイナルイベント「SAYONARA国立競技場FINAL "FOR THE FUTURE"」にて、競技場上空で展示飛行(航過飛行)を実施。 2016年(平成28年)8月28日 - 一般公募9,000人と特別招待1,000人の合計10,000人限定で公開された「松島基地復興感謝イベント」にて展示飛行を実施。基地上空で展示飛行を披露するのは6年ぶりとなる。 2017年(平成29年)8月26日 - 「東松島夏まつり」にて展示飛行を実施。 8月27日 - 「松島基地航空祭」(完全一般公開)にて午前・午後の2回に渡り展示飛行を実施。同基地完全一般公開での展示飛行は2010年以来7年ぶりとなる。 2019年(令和元年)9月2日 - ラグビーワールドカップ2019(日本大会)の組織委員会が、9月20日の日本vsロシア(東京スタジアム〈東京都調布市〉)の開幕戦に先立って行われる式典と、25日の釜石鵜住居復興スタジアム(岩手県釜石市)でのフィジーvsウルグアイ戦前に、展示飛行が行われると発表。 2020年(令和2年)3月20日 - 松島基地に、2020年東京オリンピックおよび2020年東京パラリンピックの聖火をギリシャのアテネより輸送してきた聖火輸送機「TOKYO2020号」日本航空のボーイング787-8型機(登録記号JA837J)が到着、「聖火到着式」が開催された。その際、ブルーインパルスが「五輪」を描いた。また、リーダーズ・ベネフィットも実施した。当日は強風 のため円は短い時間で消えてしまったが、「五輪」を描くのは1964年東京オリンピック開会式以来であり、1998年を最後に自粛していたカラースモークも使用された。この式典の為にブルーインパルスは12機体制とされ、史上初の2チーム体制(A編隊が五輪、B編隊がリーダーズ・ベネフィットを担当)となった。 5月29日 - 新型コロナウイルス疫禍に対応する医療従事者らへの敬意と感謝を示すため、東京都心上空を飛行する。 12月24日 - 宮城県東松島市に「ブルーインパルス通り」が誕生 / 同市は、市制施行15周年記念事業の一環として、JR仙石線矢本駅から「ブルーインパルス」の母基地である航空自衛隊松島基地の若松門までを結ぶ区間の道路(総延長距離 589m)に、公募に基づいて選定した道路愛称「ブルーインパルス通り」を採用した。宮城県道205号矢本停車場線・東松島市道矢本駅前線・東松島市道新沼54号線の3路線からなるこの道路は、市の中心部を南北に貫き、松島基地航空祭や東松島夏まつりなどの地域イベントではメインの動線となっている。 2021年(令和3年)3月11日 - TBS系列の音楽の日にて、MISIAがさよならも言わないままでと明日へを松島基地に所属する隊員の前で披露。曲の前後にはブルーインパルスの曲技飛行が行われた。
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