T-51b
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 06:10 UTC 版)
10号魚雷艇が失敗に終わったため軽量化と工事の簡易化を進めた。流体継手を廃止し4軸推進とし、また魚雷を2本に減らし代わりに機銃を3挺に強化している。本型は横浜ヨット鶴見工場で3隻、更に銚子工場で8隻が建造された。11号魚雷艇からに順次竣工したが工場の鉄鋼工作能力の不足、エンジンの完成の遅れなどにより工事ははかどらず、また竣工後に判明した欠陥の改良を工事中の艇に反映させたため、後続艇の竣工は更に遅れた。ローリングが激しく、また計画速力に達せず、24ノットに終わった艇もあったという。結局7隻が竣工し1944年(昭和19年)8月以降に進水した艇は工事中止となった。 また改マル5計画で10号改型として更に18隻の建造が計画されたが着工に至らず建造取り止めとなった。 結局この大型魚雷艇は8隻の建造のみに終わり、次型の乙型は20トンクラスと一号型魚雷艇と同じ大きさに戻った。この一貫性のない建艦計画と建造着手の遅れを今村好信は著書で強く非難している。
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