高平ルート協定とは? わかりやすく解説

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高平・ルート協定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/23 12:27 UTC 版)

太平洋方面ニ関スル日米交換公文
通称・略称 高平・ルート協定
署名 1908年11月30日
署名場所 ワシントンD.C.
締約国 大日本帝国
アメリカ合衆国
主な内容 極東地域をめぐる日米関係の調整
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高平・ルート協定(たかひら・ルートきょうてい、英語: Root-Takahira Agreement)は、アメリカ合衆国国務長官エリフ・ルートと、日本高平小五郎駐米大使の間で交渉が行われ、1908年(明治41年)11月30日に調印された、大日本帝国アメリカ合衆国との間の協定のこと。日露戦争後の太平洋方面における日米両国の現状維持、清国における商工業の機会均等などを定めた。

太平洋方面に関する日米交換公文」(たいへいようほうめんにかんするにちべいこうかんこうぶん)とも呼ばれる。

概要

協定は、1908年(明治41年)11月時点における領土の現状を公式に認識し、の独立及び領土保全、自由貿易及び商業上の機会均等(すなわちジョン・ヘイによって提案されたような「門戸開放政策」)、アメリカによるハワイ王国併合フィリピンに対する管理権の承認、満洲における日本の地位の承認から成っている。また暗黙のうちに、アメリカは日本の韓国併合満洲南部の支配を承認し、そして日本はカリフォルニアへの移民の制限を黙諾した[1]

背景

米西戦争によって、アメリカは東アジアにおける主要勢力となった。アメリカがハワイとフィリピンを得たことは、清国における積極的な経済政策と結び付いて、当時の日本政府にとって、ますます脅威として捉えられていた。他方でアメリカ政府は、日露戦争後の日本の近代的で強力な海軍を不安視していた。

協定はアメリカと日本の間における緊張の増大を避けるものとして評価された。しかしながら、1907年(明治40年)以降の日本のロシア帝国への再接近(日露協約)、および満洲への経済投資の増大によって、協定は中国での日本の覇権に対するアメリカの影響力の弱体化に帰着した[2]

脚注

  1. ^ Gould, The Presidency of Theodore Roosevelt, pp.268
  2. ^ Jiang, The United States and China, pp43

参考文献

  • Gould, Lewis L. (1992). The Presidency of Theordore Roosevelt. University Press of Kansas. ISBN 0700605657 
  • Jansen, Marius B. (2000). The Making of Modern Japan. Belknap Press. ISBN 0674009916 
  • Jiang, Arnold Xiangje (1988). The United States and China. University of Chicago Press. ISBN 0226399478 

関連項目

外部リンク


高平・ルート協定

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小村壽太郎」の記事における「高平・ルート協定」の解説

「高平・ルート協定」も参照 1908年10月18日世界周航中のアメリカ艦隊横浜到着すると、民衆提灯行列でこれを迎え25日までの滞在中、日本では政府民間主催式典数多く開かれメディア大々的報道して親米的雰囲気醸し出された。小村は、この機に対米関係調整を図るべく、艦隊離日25日高平小五郎駐米大使日米協商交渉指示し、それを受け、高平は翌26日ルーズベルト小村協商案を提出した大統領はこれに賛意示し11月7日より高平ルート国務長官により交渉始まった11月30日日米両国は高平・ルート協定に調印した条約の形をとらなかったのは、孤立主義伝統の強いアメリカ上院反対恐れたアメリカ側の事情よるものであった内容は、太平洋現状維持日米領土対す相互不可侵通商の自由清国領土保全門戸開放機会均等であり、その文言だけをみると、桂・タフト協定門戸開放原則を再び確認したにすぎないようにもみえるが、悪化しつつあったアメリカとの間で新たな協定成立させた意義大きかったこの頃小村外交官堀口九萬一対し、「今当分の間自分英米との関係を穏やかにして行くということ基準にして、日本の外交をやるつもりだ」と語っている。小村また、渋沢栄一実業界主要人物協力求め日米実業団相互訪問実現させた。

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