開発・特徴とは? わかりやすく解説

開発・特徴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/17 22:46 UTC 版)

ブリストル セントーラス」の記事における「開発・特徴」の解説

当時ブリストルエンジンにはその祖先となるエンジン機構そのまま踏襲して設計されている部分があったが、セントーラスの場合ボアピストン径)は1918年開発され単列星型エンジンジュピターのものを踏襲していた。ちょうどセントーラスの開発中生産始められハーキュリーズもこのジュピター由来ピストン用いているエンジンであり、両者構造的に兄弟的な関係にあると言える。ただしセントーラスのストロークピストン行程量)はハーキュリーズより大きいためシリンダーはより長く、またハーキュリーズシリンダー数14本なのに対してセントーラスでは18本へと増加している。その結果ハーキュリーズでは排気量38,700 ccであったのに対しセントーラスでは53,600 ccにまで増大しており、これはこれまで生産され航空機用レシプロエンジンとしては最大級排気量である。 ブリストル記録によれば、セントーラスは1938年時点では開発中であったが、型式テスト段階入っていたらしく、それが終了し次第生産は可能であったが、様々な理由生産ライン構築が遅れ、実際に生産ライン稼働した1942年からであったこのような状況になった理由として考えられることは以下の通りである。 ブリストル社の生産能力問題。 これが普及しなかった一番の要因でもある。そもそも、同じ空冷ならセントーラスより小型出力が1,500 hp程度ハーキュリーズ間接的なライバルとなった1939年段階でもイギリス軍主力エンジン1つという地位確立しており、現に自社ボーファイターボーフォートにも採用されていた。そのため、ハーキュリーズ生産優先したうえ、会社側も自社生産されていた2機種生産もしていたことから、セントーラスを並行して生産する余裕はなかったこと。 また、エンジン完成した1939年から41年頃の主流軍用機は、空冷なら14気筒液冷なら12気筒エンジンの搭載主流で、登場した時期ある意味悪かった面があったこと。 他にも、イギリスでは主力戦闘機終戦までスーパーマリン スピットファイア運用中心で、元々ホーカー シーフューリー他国のような後継機アメリカで言えばF4FからF6FもしくはF4Uへの交代など)に相当するはずだったのだが、終戦に伴い白紙とされ、結果的に大量生産される機会逸したこと。 そもそも出力面で言えば液冷ロールス・ロイス グリフォンネイピア セイバーライバルとなったうえ、イギリス軍用機単発機液冷双発機以上が空冷という傾向であったため、改良型候補試作機として採用はされても、セントーラスをあえてを採用する理由がなかったこと。また、戦時中開発されホーカー テンペストなどの単発戦闘機採用されず、需要拡大起きなかったこと。 そのうえ、ライバルとなった液冷のマーリンエンジンシリーズを生産していたロールス・ロイス社は、生産ラインでは大きな問題起きていなかったものの、その供給万全とは言い難かったただでさえ配備数の多い単発戦闘機供給に不安を抱えている状況実際スピットファイア供給拡大ができるまでホーカー ハリケーン並行生産されていた)に液冷空冷という構造の違うエンジン混在させて、整備補給混乱避けたかったこと。 実際、セントーラスは大戦中に大量生産されたとは言えず、テンペストIIブラックバーン ファイアブランド試作機用や後者量産機として少数生産されどちらも大戦中には完成したものの、実戦使用されずに終わったまた、ウェリントンウォリックなどの大型機の改良型エンジン換装候補はなったものの、マーリンハーキュリーズ改良型採用され結局このエンジン採用されずに終わった。セントーラスを採用した軍用機として設計されたのは事実上シーフューリーだけであった(ファイアブランドもセントーラスを採用した数少ない機種だが、元々セイバーエンジンで設計されており、その不足分埋め代替用としてセントーラスを採用したであって最初からこちらを採用したわけではなかった)。また戦後旅客機エンジンとしても売り出され自社ブラバゾン原型機搭載されていた。 同時期に開発されたセントーラス級の大馬力星型エンジン競合機としては、同じ二重星18気筒ならアメリカ合衆国カーチス・ライトR-3350性能面言えば同国四重星型28気筒プラット・アンド・ホイットニー R-4360となる。ただ、いずれも信頼できる製品供給できるうになるまでに手間取っている。後者については大きな問題はなく、大戦中に生産はされたものの、実戦使用されなかったが、民生用として一定の成功を収めることはできた。前者は、空気抵抗削減エンジン自重軽量化追求するあまり、いくつかの問題抱え軍用機用のものは生産しながら対応にあたり解決目処がたったが、民生用としては複雑な構造災いしてトラブル頻発し不評であった一方セントーラスは生産遅れたことにより初期段階生じた不具合解決円滑に進み結果的にエンジン熟成されることとなり、生産始まった1942年以降大きな問題生じず比較信頼性の高い製品送り出す結果となった。ただし、前述通り製造会社規模違い採用機種少なさから、戦後はセントーラスよりもアメリカ系エンジンの方が普及し、それらと比べて商業的に成功を収めることができなかった。ただ、どのエンジンにしろターボプロップ方式ジェットエンジン実用化により、A-1 スカイレイダーのような例外除けば、それらが普及するにつれ姿を消すこととなった

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開発・特徴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/08/15 19:41 UTC 版)

ルータン バリ・ビゲン」の記事における「開発・特徴」の解説

バート・ルータン失速きりもみに陥りにくい航空機興味持ちカリフォルニア科学技術大学(en:California Polytechnic State University)の学生だった1960年代初頭そのような航空機について研究行った。そして彼は1968年から自宅ガレージ実際に機体の製作を始める。機体製作は主にルータン個人の力によって進められ機体空力特性調べる際、彼のステーションワゴンの上実機5分の1大きさ模型設置して高速道路走行することで風洞実験代替としたという面白エピソードもある。そうして4年後の1972年にはライカミング・エンジン製(en:Lycoming Engines)O-320航空機用レシプロエンジン(150hp)を推進式に配したエンテ型機体完成し同年4月には初飛行成功する。この機体にはルータンからモデル27型番与えられ機体形状ヒントスウェーデン戦闘機サーブ37ビゲン得たことからバリ・ビゲンという名称が与えられた。 バリ・ビゲンは縦列2席を備えその内部は比較広くて視界良好であった機体主要部および翼の小骨外皮には合板使われていた。また縦通材にはトウヒ用いており、機体外側ポリウレタンドープしたガラス繊維シート覆っていた。降着装置スパンの短い3車輪式でそれぞれ引き込み可能であったルータン高速性よりも低速時安定性操縦容易さ求めたので主翼面積大きく取られた。主翼翼端切り落としたデルタ翼で、その後縁の翼根と翼端中ほど垂直尾翼備えていた。また、組み立て容易にするために胴体外殻分厚く、翼の底面平たく設計された。 なお、バリ・ビゲンの原型機(連邦航空局登録番号N27VV)は1988年実験機協会(EAA)のエアーベンチャーミュージアム(AirVenture Museum)に寄贈されている。また、同機設計は後にルータン開発するルータン バリ・イージールータン ロング・イージー引き継がれていく。

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