軍首脳陣の評価と経緯とは? わかりやすく解説

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軍首脳陣の評価と経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 06:55 UTC 版)

メッサーシュミット Me262」の記事における「軍首脳陣の評価と経緯」の解説

1943年試作4号機空軍首脳部披露され同年5月22日アドルフ・ガーランド少将当時)がMe 262 V4試乗したガーランドは「天使後押ししているようだ」と絶賛してレシプロ機からの転換言明した。さらにJumo 004B-0搭載前輪式降着装置油圧引込式に改良した試作6号機Me 262 V6が、7月25日航空ヘルマン・ゲーリング国家元帥エアハルト・ミルヒ空軍元帥の前でデモンストレーション飛行行った1943年11月26日、インスターブルク航空センター地上展示されMe 262 V6見たアドルフ・ヒトラーは、ゲーリング対し爆弾搭載が可能かどうか質問したゲーリング理論的に可能と回答した回答事前にメッサーシュミット博士打診し用意された)。 ヒトラーは「電撃爆撃機誕生した!」と宣言してMe 262高速爆撃機として生産するよう命じた。これはMe262高高度での優位性無視した指令であった連合国軍大規模爆撃ドイツ各地被害与えヒトラーはそれらへの報復と、ヨーロッパ大陸への侵攻備え集結していた連合軍への攻撃考えていた。当時世界戦闘機主任用途空対空戦闘から地滑り的戦術支援への転移生じており、ヒトラーはこの動向認識していたという考察存在するゲーリング回答機種全体開発計画推進目的したものだったが、戦闘機としての実戦投入遅滞させる結果となった本機は、機首下面に1tまでの兵装外部搭載可能であったが、これにより、離陸距離が大幅に伸び機体重心位置移動する問題があった。テストで500kg爆弾2個を機首下面搭載して投下した際には、投下後に大きな機首上げモーメント発生して機首が約50°も上がり投下するには後部燃料タンク燃料使い切り重心調整する必要があった。そのため爆撃任務きわめて危険な任務となり、実戦では、その防止のため、250kg爆弾を2発し搭載できず、爆撃照準器装備していないため、爆撃機としては不満足なものであったMe262戦闘爆撃機型であるA-2a型は1944年8月末に北フランスにおいて作戦開始しその後アルデンヌ攻勢にも参戦したが、満足な戦果上げていない、だが、戦闘爆撃機型戦闘爆撃機部隊により敗戦まで細々続けられた。 ガーランドジェット機開発計画初期段階である1942年春の会議ではMe 262戦闘機とするか爆撃機とするか、一面的開発進めるべきではないと発言しメッサーシュミット博士同意であったという。ガーランドMe 262本土防空戦闘機位置づけ編成進めていた。ヒトラー爆撃型生産支障がない範囲での戦闘機型テスト許可したため、1943年12月ガーランドにより、ジェット戦闘機戦術開発する目的実験部隊の編成命令した。これにより、Me410装備してドイツ本土爆撃するB-17などの4発爆撃機迎撃夜間の本土爆撃任務としていた第51爆撃航空団(KG51)の第I飛行隊実験部隊設立して、その第3中隊選抜パイロット実験部隊機種転換訓練を受けることになり、実験部隊指揮官にはボルフガング・シュンク少佐任命され実験部隊はシュンク実験隊またはE-51特別分遣隊呼ばれた1944年6月6日連合軍ノルマンディー上陸作戦始まった時には実験部隊訓練はまだ未完状態であり、12名のパイロット各人4時程度訓練受けて作戦可能とし、7月20日に9機がフランスシャトーダン進出したが、その後連合軍進攻早くエタンプクレー、ジュビンクールと基地移動しながら撤退していき、8月にはベルギーのアティーシュープル、オランダフォルケルアイントホーフェン基地移動9月にはドイツ本土帰還するありさまで、ジュビンクールでセーヌ川沿いなどを目標散発的な出撃試みたものの、機密保持理由で高度4000m以下での攻撃禁止爆撃標準器なしでの攻撃のため効果はなかった。7月26日には、英空軍モスキート撃墜しジェット戦闘機初戦果記録しているが(実際モスキート側面扉が風圧破壊され飛んで行ったものをMe262パイロット誤認しただけであった)、8月28日には米軍の2機のP-47追われ胴体着陸して初撃墜されている。その後実験部隊は、ドイツ本土帰還後解隊されてKG51の第I飛行隊併合されることになり、KG51の第I飛行隊と第II飛行隊Me262機種転換して、第I飛行隊ライネ、第II飛行隊はヘゼペに展開するとともにKG51の指令には中佐進級したシュンクが就任して9月下旬から、ベルギー・オランダにある英空軍基地カナダ空軍基地地上部隊攻撃開始している。 ヒトラー戦闘機型のみ生産されていることをミルヒ報告から知って激怒し1944年5月23日会議で、Me262戦闘機と呼ぶ事を禁じ爆撃型のみ生産させた(ただし1944年6月会議記録では、それはジェット爆撃機であるAr 234生産軌道に乗るまでの暫定的なものとされている)。しかし、アメリカ陸軍航空隊英空軍ドイツ本土爆撃がさらに激しくなり、石油施設狙われ石油生産ストック落ち込み燃料不足深刻になり、それにより、訓練部隊もとより実戦部隊までもが出撃制限が加わるようになりはじめ、さすがのヒトラー1944年8月30日20機に1機の割合戦闘機型生産認め生産許可出した戦闘機型A-1a型は、1944年8月から空軍引渡し開始された。9月25日には、実験部隊基本としたヴァルター・ノヴォトニー少佐隊長としたMe262実戦部隊「コマンド・ノヴォトニー」が編成され9月29日には2個中隊に分かれドイツ北西部アハマーとヘゼベに展開して30機が配備され10月から作戦開始した。同部隊アメリカの第8航空軍爆撃隊の護衛戦闘機迎撃目的としており、爆撃隊の爆撃機迎撃にはレシプロ戦闘機対処する目論であった。しかし、エンジン脆弱燃料不足によるパイロット訓練不足からの故障事故多く本機弱点である離陸時に攻撃され撃墜されたりしたため飛行場直衛のレシプロ戦闘機隊を配備するどしたが11月8日には、隊長であるノヴォトニー少佐が、同部隊視察訪れたガーランド眼前撃墜され戦死してしまう。その後、同部隊はレヒフェルトに後退させて訓練戻ったが、戦果撃墜22不確実4に対して配備され30機中26機を失っている。 ノヴォトニー少佐戦死の少し前の11月4日ヒトラー全面的に戦闘機型生産認め、「コマンド・ノヴォトニー」部隊第3戦闘航空団(JG3)と第54戦闘航空団(JG54)との間で再編され、初のMe262戦闘機航空団である第7戦闘航空団(JG7)の第III飛行隊となり、ブランデンブルク基地移動して作戦開始しているが、戦死したノヴォトニー少佐偲んで部隊名を「ノヴォトニー」としている。また、連合軍制空権下では従来レシプロ爆撃機では作戦行動はほぼ不可となったため、解隊された爆撃航空団パイロットMe262戦闘機隊のパイロットとして活用すべく、爆撃航空団再編成始まり11月末に第54爆撃航空団(KG54)が第54爆撃航空団戦闘機部隊KG(J)54)となり、第I飛行隊中部ドイツビュルツブルグに近いベルシュタットを基地としている。その後も第6・27553つの爆撃航空団Me262戦闘機隊に改変する予定であったが、1945年4月に第6爆撃航空団のみ作戦可能となっただけであった1944年末には、Me262夜間戦闘機として使用する飛行隊編成され夜戦エースであったクルト・ベルダー中尉隊長としたベルダー隊、敵爆撃機上空から爆撃する実験担当するハルト・シュタンプ少佐隊長としたシュタンプ隊、Me262カメラ装備して偵察機として使用するヘルワルト・ブラウェク中尉隊長としたブラウェク隊が編成された。ベルダー隊は、1945年2月末に第11夜間戦闘航空団(NJG11)の第10飛行隊編入されたが、配備された機数は常時4機であり、単座戦闘機型機首にFuG218ネプトゥーンレーダーを装備した実験機Me262V56と同じく機首にFuG218を装備した複座夜間戦闘機型のMe262B-1a/U1を装備して使用していたが、後者は7機の製造に留まったため、レーダーなしの単座昼間戦闘機型も併用されベルリン西方ブルク基地から首都ベルリン防空戦に出撃して、出撃160回、約45機の撃墜記録している。シュタンプ隊は1944年12月から時限信管付けた爆弾を敵爆撃機編隊上空から20°の緩降下接近して、その爆弾投下後に炸裂させて敵爆撃機撃墜する実験開始したが、ツアイス社製の照準器試用したり、時限信管を2秒と設定したりしたが、結論出ない実験となり、1945年3月に隊は解隊されている。ブラウェク隊は近距離偵察グループのNAG6の第II飛行中隊配属され終戦まで任務付いていたが、配備した機数が5-6機と少なく、本来の写真偵察型のMe262-1a/U3やA-4aはさらに少なく単座昼間戦闘機型が多く配備され、これを使用した偵察任務が行われている。 空軍上層部との対立激しくなったガーランドは後に戦闘機隊総監地位解任されたが、大戦末期1945年1月にはMe262優先的に配備され第44戦闘団(JV44)を編成してその司令官となり、メッサーシュミット社故郷であるバイエルン州中心に作戦開始している。

※この「軍首脳陣の評価と経緯」の解説は、「メッサーシュミット Me262」の解説の一部です。
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