軍馬のタイプ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 20:33 UTC 版)
「デストリエ(英語版)」、「ラウンシー(英語版)」、および「コーサー(英語版)」も参照 ヨーロッパ中世のもっとも有名な馬は、騎士を戦場へ運ぶことで知られるデストリエである。しかし大方の騎士や騎乗した重装兵(英語版)はコーサーやラウンシーとして知られるより小さな馬に騎乗した。(中世の軍馬の共通の総称は「チャージャー(英語版)(charger)」で、ほかの用語と交換可能だった)。スペインではジェネットが軽騎兵の馬として使用された。 ヨーロッパでは、生まれついての攻撃性と激しい性質のために牡馬(stallion)が軍馬としてよく用いられた。13世紀の作品では、戦場で「噛んだり蹴ったりする」デストリエが描かれ、戦いのさなか軍馬が互いに争っているのがしばしば見られた。しかしながら、ヨーロッパの戦士による牝馬(mare)の使用は文献史料から否定することはできない。牝馬は紀元700年から15世紀にかけてさまざまなヨーロッパ諸国を攻撃したイスラムの侵入者、ムーア人の軍馬として好まれた。また、馬乳を飲料に用いたモンゴルにも好まれていた。 軍馬は普通の乗用馬より高価で、デストリエはもっとも高価だったが、数値は史料によって大きく異なる。デストリエには普通の馬の7倍から700倍の価格の幅が与えられている。ボヘミア王ヴァーツラフ2世は、1298年に「1,000マルクの価値の」馬に乗った。それと反対に1265年のフランスの布告は、領主がラウンシーに20マルク以上使うことを禁じている。騎士は(乗用馬と荷馬だけでなく)少なくとも1頭の軍馬を持つとされ、中世後期からのいくつかの記録は、戦役に24頭の馬を持ち出した騎士を示している。おそらくは馬5頭が標準だった。
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