特筆すべき事故とは? わかりやすく解説

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特筆すべき事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 20:08 UTC 版)

タラデガ・スーパースピードウェイ」の記事における「特筆すべき事故」の解説

1987年のウインストン500英語版1987年NASCARウインストン・カップシリーズ(英語版)は、ビル・エリオットフォード・サンダーバード駆り2月1987年デイトナ500英語版)で210.364 mph(338.548 km/h)の史上最速レコード樹立しており、このレースでも4月30日予選で212.809 mph (342.483 km/h)を叩き出しマッスルカー全盛期60年代末のエアロ・ウォリアー(英語版以降では最速時代到来していた。この数日後5月8日1987年インディ500英語版予選(ポール・デー)にて、ボビー・レイホール(ローラ T87/00コスワースDFXターボ)が記録したインディカー予選最高速度が216.609 mph (348.598 km/h)である事から、当時ストックカーがいかに速かったかが窺い知れるビル所属するメリング・レーシング(英語版)は「世界最速レーシングカー」として"212.809"の数字メディア大々的喧伝していたが、チーム関係者の間では「余りにも速くなりすぎているのではないか?」との懸念漂い始めており、特にシボレー・モンテカルロ英語版SS採用しているチームでは、ドライバーから「第3ターン後輪舗装から浮き上がるような感覚がある。」という報告がされている状況であった。シボレーユーザーのチーム・オーナー一人、ジュニア・ジョンソン(英語版)はオフィシャルに対して「タラデガの速度域は人の能力限界超えつつある。何か対策をすべきではないか?」と進言したが、NASCAR当時全米繰り広げられていた"212.809"の報道浮かれ、何も行われる事は無かった事故5月3日本戦22周目で発生した50歳のベテランドライバー、ボビー・アリソンのNo.22ビュイック・ルセーバー(英語版)の右リアタイヤ第3ターン手前で突然バースト、車はスピンしながら後部から浮き上がりフィニッシュライン付近金網製のキャッチフェンス引っ掛かるように激突した幸いにもキャッチフェンスには太さ4インチワイヤーバックアップとして張られており、このワイヤーゴム紐のように伸びて3400ポンド(約1.5トン)の車体時速200マイル320 km/h)以上で突っ込んでくる衝撃受け止めた事により、100フィート(約30 m)に渡って金網破断したにも関わらず車体観客席飛び込む最悪事態だけは回避できた。しかし、事故により最前列座っていた観客5名が飛散した破片負傷した。3人はトラック内のメディカルセンターでの治療のみで済む軽傷であったが、2人入院要する重傷で、うち女性一人眼球負傷し失明した幸運に死者一人も出なかったが、直前まで過熱していた"212.809"の数字一人歩きする形となり、NASCAR一転してメディアから激し非難浴び事となった。 当時現場居合わせていたESPN記者エド・ヒントン (スポーツ記者)(英語版)の取材によると、事故大惨事から防いだ2本のワイヤーが誰の提案設置されものかはトラック安全管理者含めて誰も把握していなかったとしており(ビル・フランス・ジュニア(英語版)の提案との説もあったが、2007年に彼が死亡していた事により確認出来なかった)、このワイヤーがもしも設置されていなければボビー事故1955年のル・マン24時間レース事故上回るNASCAR存続すら危ぶまれる史上最悪事故となった事は避けられなかっただろうと結論づけている。事故直後後輪バーストした理由不明であり、観客投げ込んだビール瓶踏んだ為とも噂されたり、オフィシャルも「350 km/hの超高速域にタイヤが耐えられない事」をリストリクタープレートの導入直接動機付けとしていたが、その後の調査によりバースト原因ボビー車が事故寸前エンジンブロー起こしており、自身エンジンから飛散した破片後輪踏み付けたものによる事が判明した当時26歳のルーキードライバー、デイビー・アリソン(英語版)はNo.28フォード車中から父ボビー遭遇した恐ろしいクラッシュ目撃したが、父がオフィシャル救出されるのを見届ける一念奮起してこのレース勝利を飾ったボビー後年事故振り返り自身無傷済んだ事と観客過剰につけられなかった事を主に感謝している。あれは誰にも避けられない事故だった。」と述べている。 しかしボビーにはその後も不幸が続きこの年デイトナ第2戦であるペプシ・ファイアークラッカー400(現コークゼロ400英語版))でこそビュイックシーズン唯一の勝利をもたらしたが、翌1988年シーズンのポコノ・ミラー・ハイライフ500(現アクサルタ"ウィー・ペイント・ウィナーズ"400英語版))ではジョコー・マギーアコモ(英語版)に自身左側面から突っ込まれるTボーン・クラッシュ起こしてレーサーからの引退追い込まれており、1992年には息子のクリフォード・アリソン(英語版)がブッシュ・シリーズのミシガン・デトロイトガスケット200(現メナーズ250英語版))の練習走行中の事故死亡1993年にはクリフォードの兄デイビー友人であるデビッド・ボンネット(ニール・ボンネット(英語版)の息子)のブッシュシリーズデビュー戦(フラム・フィルター500K(英語版))を観戦する為にヘリコプターでタラデガに乗り付けた際、トラックインフィールド墜落する航空事故起こして死亡(助手席乗り合わせたチーフ・メカニックのレッド・ファーマー(英語版)は生還)、ボビー自身1996年に妻ジュディ離婚経験するという受難受けている。ボビー2000年ジュディ再婚し2015年死別するまで大過なく過ごしているが、1993年デイビー事故死に関わったニール・ボンネットは直後行われたタラデガのダイハード500(現ヒルマンズ500英語版))にて、87年ボビー同じようなエアボーン・クラッシュを起こし(この事故がルーフフラップ導入契機となっている)、翌1994年デイトナ500英語版)で遂に事故死してしまった。ボビーまつわる一連の不幸は、アメリカではタラデガの呪い呼ばれるジンクス一つとして語られる事も多い。 2009年のアーロンズ499(英語版) アーロンズ(英語版)499と銘打たれこの年春期レースでは、2度ビッグ・ワン加え観客巻き込む事故発生した。 7周目:スタート時点でポイントリーダーであったジェフ・ゴードンマット・ケンゼステールスライド受け止めてしまいウォールへと直行。これにマーク・マーティン(英語版)ら後続一気巻き込まれ14台がクラッシュそのうち4台がリタイアし、4台は復帰出来たものの修復長時間取られ優勝争いから脱落した179周目:デニー・ハムリンがポールポジションスタートのファン・パブロ・モントーヤを突く形でモントーヤスピン、これにロビー・ゴードン(英語版)が体当たりされウォール直行、他にも避けきれなかったジミー・ジョンソンウォールヒットし9台がクラッシュ、うち7台がリタイアした最終周:カール・エドワーズファイナルラップホームストレッチコーナーで、インライン走っていたブラッド・ケセロウスキーブロックする形で接触バランス崩したエドワーズスピン浮上した。さらに後方走っていたライアン・ニューマン踏みつけながらキャッチフェンスへと突っ込み飛んできた破片に当たり観客6人が負傷した。 これらの事故を受け、同年開催よりキャッチフェンスかさ上げし、車両側ではリストリクタープレートを小径化、さらにターン中のバンプドラフト(先行車へのプッシュ)を禁止する処置行った。しかし、この年秋期レースである2009年のアンプ・エナジー500英語版)では、183周目に前の車に詰まったライアン・ニューマンスピンから後ろ向き浮上車両上下逆の状態で停止した。この事故ロールケージが潰れ、通常の方法車外出られなくなったため、ロールケージ切断して救出された。 2012年のグッドサム・ロードサイド・アシスタンス500英語版最終周:先頭走行していたトニー・スチュワートが、ラインを左に変更しようとした際マイケル・ウォルトリップ(英語版)と接触、さらにバランス崩したウォルトリップが直後のケーシー・メアーズ(英語版)と接触し、3台ともスピン。これに4ワイド形成していた後続次々と巻き込まれ25台がクラッシュした。

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特筆すべき事故

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AS 532 (航空機)」の記事における「特筆すべき事故」の解説

2012年7月25日 - イタリアとの国境に近いフランスアルプ=ド=オート=プロヴァンス県にあるヴェルドン峡谷英語版)の切り立った崖で、試験飛行中のクーガー墜落した。6人が死亡し、その全員ユーロコプター社員だった。目撃者によればヘリコプター送電線接触したという。このヘリコプターは、アルバニア陸軍納入され予定だった。 2017年5月31日 - トルコ南東アナトリア地方シュルナク県山岳地域で、トルコ軍クーガー離陸から3分後に高圧線引っかかり墜落し軍警察23国境師団司令部司令官のアイドアン・アイドゥン少将を含む将兵13人が殉職した。アイドゥン少将指揮のもと、現場で43日間分離主義テロ組織大打撃与え数多く包括的なテロ掃討作戦実行されていた。

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