気象学への貢献とは? わかりやすく解説

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気象学への貢献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 16:12 UTC 版)

ベンジャミン・フランクリン」の記事における「気象学への貢献」の解説

フランクリンは自然の深い探求者で、以下に示すように気象にも深い興味抱いていた。ただし(1)(2)はまだアメリカイギリスの植民地だった頃のことである。 (1)嵐が移動することの発見 当時嵐については目の前で起こっていると風のことしかわからず、嵐がどういう構造性質規模持っているのかなどは全く未知だった。フランクリンは、測定器観測網がないにもかかわらず嵐が風とともに移動していることに世界で初め気づいて、それを分析して書き残したフランクリン発想優れていたのは、気象観測網がまだ十分整備されていない時代に、月食という同時現象新聞通して各地の嵐の様子観察した点だった。 フィラデルフィア住んでいた彼は、1743年10月21日アメリカ大陸東部で起こる予定だった月食楽しみにしていたが、当日日暮れ前から嵐で天候崩れたため、月食を見ることはできなかった。ところが彼は後日ボストン新聞でそこでは予定通り月食を見ることができたことを知った。それでフィラデルフィアで嵐であった時刻に、ボストンはまだ嵐になってなかったことに気付いた。彼は他の地方新聞調べて、嵐が移動してフィラデルフィアから4時経って400マイル(約640 km離れたボストン到達したではないか考えた。これをもとに彼は嵐の移動速度時速100マイル時速約160km)と推測した 。これは現在から見ると明らかに速過ぎであるが、嵐が移動することに気づいて、その移動速度世界で初め見積もったものとなったこういうに関する知識は、嵐のメカニズム解明しようとする19世紀半ばアメリカ暴風雨論争引き継がれていった(2)熱対流竜巻に関する考察 彼は竜巻観察し、それが凪と酷暑の後に出現する点に注目した。そして1753年竜巻次のように解釈した。"熱は地上付近大気希薄する。それが上昇することによって地表気圧低下生み出す気圧低下する涼し大気四方八方から内部流れ込む大気低圧部中心付近に着くと上昇しなければならないが、すぐには運動方向変えることができないその代わりにちょう液体の底の穴に向かって渦を巻く際に右に曲がるように、大気は右に曲がって回転しながら上昇する" 。このフランクリン解釈は、ほぼ1世紀後に連続した観測データによって裏付けられ、嵐の特徴とその起源解明きっかけになった(3)火山噴火季節変動への洞察 彼は気候変動にも強い関心があった。1783年アイスランドラキ火山とその近郊グリムスヴォトン火山噴火して大量火山灰大気中に放出された。このときのヨーロッパの状況はグレート・ドライ・フォッグとも呼ばれている。フランクリンこの年夏の日射が異常に弱く次の冬は厳冬となったことに気付いた。彼はこの原因を「大気中の塵による煙霧日射散乱して地上に届く熱が減ったため」ではないか考えた。彼は"これまでの歴史上厳冬このような煙霧の後に起こっているかどうか調査してもしそうであればそういう煙霧起こった際には引き続いて起こる厳冬への対策事前に講じることができる"と指摘した。現在では大規模な火山噴火火山ガス成層圏に入ると、エアロゾル大気中の塵)になって長期間わたって日射反射散乱し数年寒冷になることが知られている。フランクリン気候変動予測する先駆者でもあった。

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気象学への貢献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:54 UTC 版)

マシュー・ペリー」の記事における「気象学への貢献」の解説

ペリー嘉永6年1853年7月嘉永7年1854年2月日本開国促すために日本遠征いわゆる黒船来航)を行ったが、その航海途中で1854年2月7日 - 12日琉球から江戸湾に至る航路での風向気圧気温水温海流流向流速測定していた。 ペリー航海時の嵐からの安全に意を尽くしており、アメリカ気象学者ウィリアム・レッドフィールド交流があった。ペリー出版したペリー艦隊日本遠征記Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan)」の第2巻中には日本遠征時の気象観測データ用いたレッドフィールドによる太平洋の嵐研究含まれている。その中には1853年7月17日から28日まで日本離れたサスケハナ号ミシシッピ号遭遇した台風位置記録気圧計記録、そして台風の特徴分析もある。

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気象学への貢献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 09:14 UTC 版)

ジョセフ・ヘンリー」の記事における「気象学への貢献」の解説

1846年ワシントン特別区スミソニアン協会Smithsonian Institution)が設立された。そして、このスミソニアン協会最初理事長人選が行われ、ファラデーらの推挙によりジョセフ・ヘンリー理事長選ばれた。ヘンリーは、通信発展大きく貢献した電磁気学権威だった。しかしヘンリー若い頃ニューヨーク州立大学気象観測データ気候データとしてまとめる仕事をした経験があった。このため彼は自らの研究分野である電報システム気象分野への利用、つまり気象監視可能性気づいていた。 ヘンリースミソニアン協会理事長になると、スミソニアン気象プロジェクトとして2種類観測プロジェクト立ち上げた一つは、各地有志募って気象観測網を構築し、その観測結果スミソニアン協会本部毎月報告するのだったスミソニアン協会はそのためにスケール基準そろえた気圧計温度計などを提供し標準観測手順や記録様式規定した。彼らは「スミソニアン オブザーバー」と呼ばれた当時アメリカ西へ西へ領土拡大させていた。しかし新たな領土利用するためには、気候含めた自然地誌の資料整備不可欠だった。スミソニアン協会によるプロジェクト気象観測網は、植物動物などの自然地誌的な情報収集にも貢献したもう一つのプロジェクトは、電報網と各電報局操作手を使った即時的気象情報収集だった。電報局操作手たちは、毎朝通信の開始試験時に自発的に互い天候や風などの情報交換していた。天候報告地点は、1年以内150地点10年以内500地点上ったスミソニアン協会は、1949年から操作たちから気象情報本部集めて1856年からはスミソニアン協会本部のロビーアメリカの大きな地図各地気象状況毎日展示した。さらにヘンリー気象学者ジェームズ・エスピーの協力得て1857年5月7日アメリカ東部沿岸各地天候状況予報新聞初め発表した。 しかし、彼の革新的な試みは、1861年から始まった南北戦争1865年スミソニアン協会本部襲った火災終わった。この火災協会本部貴重な資料記録気象測定器類を失った。なおアメリカでは国家による気象事業として、1870年から陸軍信号部によって組織的な気象観測開始された。 ヘンリーは、気象監視天気予報のために国家規模気象観測監視事業世界で初め構築し社会的な基盤不安定だったこの事業保護発展尽力した。それによって、彼は近代的な気象予報確立大きな影響与えた

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気象学への貢献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 09:42 UTC 版)

ユルバン・ルヴェリエ」の記事における「気象学への貢献」の解説

クリミア戦争の際、黒海暴風最新鋭装甲戦艦アンリIV世号を含む英仏艦隊壊滅し陸上部隊多大被害を蒙った。この被害驚いたフランス政府ベラン陸軍大臣は、当時パリ天文台長ルヴェリエに嵐の来襲予測し得るかどうか可能性について調査命じた。ルヴェリエは、ヨーロッパ中の研究者たちに、気象観測結果の提供を要請した。彼は嵐の位置進行方向速度電報使って短時間のうちに知ることができれば電報使って嵐の接近警告することができると結論した。ルヴェリエの報告意外な発見としてフランスで歓迎されたが、嵐が特定の構造持って移動することは、アメリカでは1830年代から既に知られていたことだった。 ルヴェリエは1855年2月当時国王ナポレオン3世組織的な気象観測通報計画提出した。ルヴェリエは気象観測結果電報用いた定期的な国際交換必要性各国政府説いて国際的な即時的気象観測網の設立尽力した1856年7月からヨーロッパなどの約30地点気圧気温風向・風速天候などを記載した気象報告毎日発行開始した。さらに1863年8月からは等圧線描かれ天気図発行暴風警報業務開始しフランスは国の事業として天気図毎日発行する世界で初めての国となった。この天気図は後の「大気大循環図」や「世界気象図」の元となるなど、気象学進歩のための貴重な基盤となった

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