校風・学校生活
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前述のとおり、伊奈中学校からの分校という形で創設されたため、生徒のみならず教員もほとんどが伊奈中からの転任という形でスタートした(初代校長も、前任の伊奈中校長が赴任した)。 現在の制服は、男子、女子に共に紺色のブレザーに臙脂色のネクタイである。また、ベスト(女子のみ)は緑と紺色のチェック柄と紺色の無地のリバーシブルとなっている(これは、創設当初から変わっていない)。ただし、創設時は(第1期生となる)1学年も含めて全生徒が伊奈中学校からの転学扱いだったため、その制服(男子は黒の学ラン、女子は紺のブレザーでネクタイ・リボン類なし)をそのまま継続使用した。そのため1990年度までは学年ごとに制服が違うという状態が続いた。 校舎はロの字型建築となっており、中庭がある。中庭には埼玉県の木であるけやきが植えてある。また、校舎には時計塔があり、学校のシンボルとなっている。校舎の屋根は全域にわたって傾斜しているため屋上がない(かわりに、三階・図書室にテラスが設けられている)。 クラス教室のドアは全て木製となっている。
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校風・学校生活
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「埼玉県立伊奈学園中学校・伊奈学園総合高等学校」の記事における「校風・学校生活」の解説
文武両道の流れから、スポーツにも力を入れている。準備体操として「伊奈体操」と呼ばれる独自の体操が行われている。体育は、春はスポーツテスト、夏は水泳、秋から冬にかけては柔道・ラグビー・バレーボール・サッカー・マラソンなどが行われる。なお、ラグビーは県内でもごく一部の高校でしか行われていない。 男子の制服は珍しい紺色の詰襟、女子は紺色のブレザー・赤系統のネクタイである。 生徒の男女の割合は例年女子の方が多く、近年では1学年で男子より200名以上多くなる年もある。 体育祭は例年上尾運動公園で行うが、2007年度は同公園改装のため鴻巣市立陸上競技場で行われた。 選択授業が多く、バラバラになることが多いためか、入学から卒業までクラス替えがない。原則として担任の変更もない。ただし、付属中学校にはクラス替えがある。 かつて県立高校に学区制が採用されていた頃でも、特例として県内全域からの通学が認められていた。さいたま市・上尾市・伊奈町・桶川市などの近隣から通う生徒が多数を占めるが、鴻巣市や川口市・春日部市・深谷市・羽生市などに在住の生徒も多い。遠いところでは川越市・日高市・三郷市・秩父市・上里町・狭山市・加須市・美里町から通う生徒もいる。 修学旅行は高校としては遅く、2年次の3月に行われる学年末考査が終了してから。主な行き先は、北海道・東北(盛岡等)・関西(京都・奈良・大阪・神戸・広島)・九州(長崎等)・沖縄でありハウスごとに行き先は毎年決める。取り扱い業者もハウスごとに異なる。
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校風・学校生活
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「伊奈町立小針中学校」の記事における「校風・学校生活」の解説
男子の制服は黒い学ラン、女子は紺色のブレザー・赤のリボンである。 2007年から行われていた増築工事の末、2008年3月26日に、東校舎引渡式が行われた。 学校付近の周辺地域には、大型ショッピングセンター(UNICUS伊奈)をはじめ、飲食店など多くの商業施設が立ち並んでいる。また、それにあわせ住宅街やマンションも建設され、近辺は急速に開発が進んでいる。
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校風・学校生活
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「埼玉県立熊谷高等学校」の記事における「校風・学校生活」の解説
校風 カクト(各自図書館自習の略と言われている)と称する、担当教員の出張などにより授業が休講となる場合に出される自習時間が設けられ、その利用方法は生徒各々の自主性に任されたり(現在では廃止)、服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一切行われない。また、愛校心が強く、生徒が自ら好んで肩を組み校歌を斉唱する習慣がみられる。 通称 近年では一般に「くまたか」とされていることが多い。古くは「くまこう」と呼ばれていたが、熊谷工業高校に「熊工」(くまこう)の通称が用いられるようになったため、両校を明確に区別するために次第に変化していったものである。校歌の歌詞にある「熊高」はくまこうと読むとされるが、これは伝統的にそう読まれると言われているにすぎず、正式に校歌中の「熊高」の読み方を明記する根拠文献は存在しない。応援歌では「熊高」をくまこうと読み、在校生・卒業生はくまこうと呼んでいる。 部活動 硬式野球部は、1949年・1951年・1982年に夏の甲子園に出場しており、1951年の大会においては準優勝した。このほか、剣道部、陸上部、軟式野球部、ラグビー部、水泳部、弓道部、ソフトテニス部、バレーボール部、山岳部、音楽部、サッカー部、将棋部などもインターハイや県大会に出場するなどの実績を残している。 授業 通常の文系・理系に加え、教科により少人数授業を実施している。また、土曜日の授業が隔週で行われており、夏季休業中には全50講座程度の補講があり生徒は自由に選択することができる。 進学実績 詳細は熊谷高等学校公式サイトを参照。 設備 校舎は、各教室が集まるホームルーム棟(4階建て)、職員会議室などがある本館(3階建て)、そして各種理科室などがある理科棟(3階建て)の3つがある。このうち本館は1980年に竣工したものであるが、かつての本館(木造2階建て)は1978年3月18日に西半分を焼失した。なお、校歌に歌われている「赤甍」とは旧本館のそれを指し、現在の本館の赤甍風の屋根はそれの模倣であるが、部分的に旧本館の赤甍が使用されている。全館冷暖房完備。このほか、屋内型温水プール、記念館(図書館)、学生食堂、合宿棟などの設備があり。2009年8月には理科棟の床の張替が行われた。2016年からは埼玉県の新聞協会により無料で全国紙五紙が平日毎朝各クラスに配布されている。 校歌 作詞:石坂養平、作曲:山田耕筰。当時音楽教員であった荒井敬正が山田耕筰との間に交流があったことから作曲されたという経緯がある。 応援歌 六校応援団連盟による演技発表会「日輪の下に」や埼玉県立熊谷高等学校應援團演技発表会「勝利の伝統」があり、部活動応援で生かされる。 校外交流 埼玉県立浦和高校、川越高校、春日部高校との交流がある。音楽部は熊谷女子高校と毎年、合同定期演奏会を行っている。近年では熊谷市の姉妹都市として締結されたニュージーランド・インバーカーギル市に所在する Southland Boys' Highschool, 通称SBHS との交流がある。 交通 熊谷駅より徒歩30分 秩父鉄道秩父本線上熊谷駅・石原駅より徒歩20分 朝日バス熊谷駅-妻沼仲町経由-太田駅・西小泉駅・妻沼聖天前・(東武CITY)妻沼 各線:気象台入口停留所または円光停留所下車、徒歩10分 その他 本校には夏目漱石の『坊つちやん』のモデルとなった教育者の弘中又一や作家の杉森久英が教員として在籍していた。また、田山花袋の『田舎教師』のモデルとなった郷土作家の小林秀三が生徒として在籍していた。
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