東京音楽学校とは? わかりやすく解説

東京音楽学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)

東京芸術大学」の記事における「東京音楽学校」の解説

詳細は「東京音楽学校 (旧制)」を参照 1878年明治11年)、伊沢修二は、目賀田種太郎連名音楽教育意見書文部大臣提出1879年明治12年)、文部省伊沢修二御用掛とする音楽取調掛設立され日本の音楽教育に関する調査等を目的とした。 翌年以降東京師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)生や東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園生へ音楽教育を行う教員育成行い音楽専門教育機関役割を果たすようになったその後数回の名称変更経て1887年明治20年10月4日に「東京音楽学校」と改称される1890年5月12日には新校舎現在の旧東京音楽学校奏楽堂含まれていた校舎)が現在の奏楽堂位置落成された。 また1893年明治26年)に、一時東京高等師範学校東京教育大学経た現在の筑波大学)の附属学校となったが、1899年明治32年)に独立数回に渡る機構改革経て東京藝術大学開学2年後1952年昭和27年))に閉校した音楽取調掛1879年頃) お雇い外国人ルーサー・メーソン 初期教員中央左がメーソン新設時の東京音楽学校正門1890年) 東京音楽学校(1926年) 東京音楽学校の教員学生 伊沢修二 初代校長

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東京音楽学校

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暁のARIA」の記事における「東京音楽学校」の解説

桐島 笙子きりしま しょうこ) 本科声楽部生徒。ありあの1年先輩声楽部で、中心的存在小松 早苗(こまつ さなえ) 予科生徒女子寮でありあと同室になる。美しく才能あるありあに憧れている。 北山 キリトきたやま きりと) 本科器楽部生徒。ありあの1年先輩個性的なピアノ弾き声楽部移ったありあの伴奏をする。 白雪 真之介しらゆき しんのすけ) ありあの才能認め既婚者であるが、ありあの想いに心を揺さぶられる。妻の死後間もなく自身結核亡くなる。 ペッツォルト ドイツ人教師厳しいことで有名。実在した人物

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東京音楽学校

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鬼頭恭一」の記事における「東京音楽学校」の解説

昭和17年(1942年4月、東京音楽学校(現・東京藝術大学作曲科予科への入学を果たす。同期團伊玖磨大中恩村野弘二がいた。音楽学校では信時潔細川碧作曲師事するほか指揮法学んだ翌年4月には作曲科本科進級同期恭一のほか團伊玖磨大中恩島岡譲村野弘二友野秋雄、竹上洋子の計7名であった恭一の短い音校生活の様子伝えエピソード幾つか残されているので、以下に記す。 音校時代僕は副科でラッパやってたんだけど、ある日鬼頭が「ちょっとラッパ持って一緒に来てくれ」って言うんだ。どこ行くのかなーとついてったら、寮らしい建物の前で「ラッパ吹け」という。何でこんなとこで、と思いながらパッパーとやったら、窓から一斉に若い女の子顔を出した。もう恥ずかしったらありゃしない。やがて玄関から一人女の子出てきて、鬼頭嬉しそうに喋ってる。「あー彼女がいるんだ、いいなあ」と思ったね。 当時僕の家は教会だったんだけど、鬼頭と團 (伊玖磨)が「パイプオルガン見たいと言うので、一緒に連れて行ったんだ。たまたま親父 (大中寅二)がいて出て来たんだけど、鬼頭はまった怯む様子もなく、生意気な事をいっぱい喋ってる。もうこちらはハラハラ。でも二人帰ったあと親父が「あの鬼頭という男は、なかなか骨のある奴だ」と言っていた。若い音校生と話ができて、親父もきっと嬉しかったんじゃないのかな。 昭和18年7月音楽學校生徒軽井沢行われた学徒挺身隊という名の軍事教練参加した一週間行っていたと思う。他の大学専門学校生徒来ていたが、各学校ごとに纏まって行動していた。僕はそこで管楽器の上生に殴られた。そのとき作曲科奴ら生意気だ」という言葉飛んできた。その頃管楽器生徒中には音楽学校へ来る前に学校の先生なんかやってた人が何人かいて、そういう人達からみれば、僕なんか生意気に見えたかも知れない。しかしそういう時に團伊玖磨なんかは殴られなかった。彼は「やんごとなき家の生まれ」(註/團の父親男爵團伊能) だったので、特別扱いされていたようだ。僕は後日海軍入って日常的に殴られたが、人に殴られたというのは、軽井沢初めてだった。 兄が学徒出陣出征する直前昭和18年秋、名古屋奈良などで開催された東京音楽学校の演奏旅行機会に、4、5人の同級生仲間一緒に家に立ち寄ったときのことです。金さんといって朝鮮出身ものすごく背が高い人がおり、コントラバス奏者ということでした。作曲科の兄はオケではティンパニー受け持っていましたが、この日は友人の使うシンバルリュック背負っていましたそういう気のやさしいところもあったのです。家で食事をし、お酒入って、みんなは「四季」の中の秋の歌うたったりして、にぎやかに騒いでいましたそのとき聞いた話だと思いますが、どこかの演奏会最中に突然停電があったそうです。ちょうど兄がティンパニー打っているときでしたが、兄はそのまま拍子をとり続けたので、ほかの人たちも止まることなく演奏続けられということでした。指揮者見えなくても音はきこえるからね、と威張っていました

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東京音楽学校

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村野弘二」の記事における「東京音楽学校」の解説

1942年昭和17年)春、東京音楽学校を受験し合格予科入学する同期の「作曲志願の者」は、弘二の他、團伊玖磨大中恩島岡譲鬼頭恭一友野秋雄、竹上洋子の計7名である。 弘二は下総 皖一作曲授業を團と二人組受けていたことが、東京藝術大学史料室に残されている下総時間割から分かる。ほかに、理論橋本國彦ピアノ永井進師事東京では、江古田にあった伯母婚家下宿した慶応義塾大学進学した同級生 伊藤 淳二日吉寄宿舎訪ねたことがあり、終日芸術論に花を咲かせた思い出伊藤が『おおとり』に書いている。 1943年昭和18年10月戦局悪化により学生徴兵猶予取り消され、弘二も11月15日繰り上げ卒業12月1日入営することになった。この直前11月13日音楽学校奏楽堂にて第149回 報国団 出陣学徒壮行演奏会催され、弘二は、歌劇『白狐』第二幕『こるはの独唱』発表するアルト独唱戸田 敏子ピアノ伴奏 太田 道子。 この演奏会での発表好評博したため、弘二は『白狐』を他の3作品と共にレコード録音するレコード演奏者のほか親戚先生方配られた。以下のSPレコード3枚組として現存している。レコードは「東京下目黒 音響科学研究所」で作成された「音研音盤」である。 〔表〕『こるはの独唱(一)作詞 岡倉天心作曲 村野弘二独唱 戸田敏子ピアノ伴奏 高橋美代子 〔裏〕『この朝のなげかひは』 作詞 大木惇夫作曲 村野弘二独唱 畑中良輔ピアノ伴奏 村野弘二 〔表〕『こるはの独唱(二)』 〔裏〕『こるはの独唱(三)』 〔表〕『重たげの夢(一)作詞 三好達治作曲 村野弘二独唱 戸田敏子ピアノ伴奏 村野弘二チェロ伴奏 井上みどり 〔裏〕『重たげの夢(二)』 『君の為』 御歌 宗良親王、謹曲 村野弘二、謹唱 村野弘二ピアノ伴奏 高橋美代子 音楽学校在学中貴重な楽譜書物は、出生する際に弘二自身選別し父に保管頼んだ。父は神戸より安全と思われ福井市宝永中町にあった弘二の実母実家 田家送ったが、福井空襲ですべて焼失した現存する音楽学校入学後自作楽譜は、おそらくレコード吹込み用に用意した思われる上記4曲だけである。空襲焼けなかった神戸実家残された。

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