東京音楽学校での楽器鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 08:04 UTC 版)
「鈴木政吉」の記事における「東京音楽学校での楽器鑑定」の解説
1887年に発足した東京音楽学校のお雇い音楽教師ルドルフ・ディットリヒは、鑑定の結果「東京市内にも2、3か所で製作しているが、この品には到底およばない。和製品としては今日第一位を占めるものである」と評価した。彼の推薦文はいくつかあるが、1893年の『音楽雑誌』にも掲載されたものには、輸入ヴァイオリンと同様の音質をもち、廉価であるとある。それでも、鈴木の自信を深めることになった。なお鈴木のヴァイオリンについては、その後も音楽学校教員のアウグスト・ユンケル(1907年)とグスタフ・クローン(1913年)、宮内省式部職雇音楽教師のヴィルヘルム・ドゥブラヴチッチ(1909年)がそれぞれ推薦状を書いている。日本人としては幸田延と安藤幸が1908年にそれぞれ推薦状を書いた。
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