東京馬車鉄道の開業とは? わかりやすく解説

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東京馬車鉄道の開業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 19:58 UTC 版)

東京都電車」の記事における「東京馬車鉄道の開業」の解説

東京における都市交通歴史は、1872年(明治5年)頃に日本最初鉄道開業したのと相前後して乗合馬車(通称円太郎馬車)と人力車登場したことに始まる。1876年(明治9年)には乗合馬車170台、人力車は24000台以上が活躍していた。 一方東京人口1873年(明治6年)の60万人から1881年(明治14年)には114万人増加していた。そこでより大量輸送適した交通機関として馬車鉄道計画持ち上がり1880年明治13年2月、元薩摩藩士の谷元道之種田誠一らによって新橋から日本橋本町上野浅草経て再び本町に至る全長10マイル(約16km)の循環線敷設出願された。谷元らの出願同年12月28日付で認可され日本最初私鉄となる東京馬車鉄道株式会社資本金30万円本社芝区汐留二丁目)が設立された。 馬車鉄道営業1年半後の1882年明治15年)年6月25日にまず新橋 - 日本橋間で開始され同年10月1日には循環線全線開業した開業当初こそ失業恐れた人力車夫たちの反対運動遭ったものの、東京市人口増加上野浅草方面への行楽輸送背景馬車鉄道大きな成功収め開業20年目の1902年明治35年)度には年収140万円客車300両と馬匹2000頭を擁し、多客時には1時間60 - 70台もの高頻度運転を行うほどの盛況ぶりとなった。また1897年明治30年12月には品川八ツ山下 - 新間に品川馬車鉄道開業したが、1899年明治32年)に東京馬車鉄道吸収合併された。 しかし馬車鉄道東京市民の生活便利にした反面課題少なくなかった経営的にウマの飼育に莫大な費用がかかること、乗客増加対し転回数が限界達していてこれ以上需要拡大に対応できないこと課題であった。またウマの蹄によって路面損傷し馬糞混じり砂塵飛び散ることへの沿線住民苦情は跡を絶たなかった。

※この「東京馬車鉄道の開業」の解説は、「東京都電車」の解説の一部です。
「東京馬車鉄道の開業」を含む「東京都電車」の記事については、「東京都電車」の概要を参照ください。

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