本迹二門とは? わかりやすく解説

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ほんじゃく‐にもん【本×迹二門】

読み方:ほんじゃくにもん

仏語法華経本門迹門(しゃくもん)。同経の如来寿量品釈迦本迹説かれていることにより、智顗(ちぎ)が法華経前半迹門後半本門とした。


勝劣派

(本迹二門 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/01 10:10 UTC 版)

所依の法華経を構成する二十八品(28章)を前半の「迹門」、後半の「本門」に二分し、本門に法華経の極意があるとする[2]




注釈

  1. ^ 釈尊をもって本仏とするか、宗祖日蓮をもって本仏とするか。
  2. ^ 富士門流には釈尊本仏勝劣派、保田妙本寺には日蓮本仏勝劣派、とそれぞれある。
  3. ^ 富士門流には釈尊本仏勝劣派、日蓮宗には日蓮本仏勝劣派、とそれぞれある。
  4. ^ (創価学会教学部 1968, p. 146)には、不受不施派は一致とある。
  5. ^ 日隆門流・日真門流は日朗門流の流れを汲む日像門流から、日陣門流は日朗門流の流れを汲む日静門流から、日什門流は日常門流(中山門流)からの分派である。
  6. ^ (金岡秀友 1979, p. 205)(斎藤昭俊 1988, p. 441)には、大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したのは1899年(明治32年)、日蓮正宗と改称したのは大正元年、とそれぞれある。
  7. ^ 一般財団法人 本多日生記念財団「各宗協会による『各宗綱要』の原稿執筆のため日生上人が復権します。すなわち、時局の要請で各宗協会が組織され『仏教各宗綱要』編纂が行われ、日生上人は「妙満寺派綱要」執筆のため請われて僧籍に復され、その任に当たることになりました。しかし、その編纂にあたって、各宗協会側が一方的に提出原稿から「四箇格言」など3章を削除したことに対し、いわゆる「四箇格言問題」が惹起し、彼は日蓮門下に呼びかけ共に削除の不当性と門下の活動の協調を呼びかけ・・・」
  8. ^ 島地黙雷による
  9. ^ 本成寺派・本隆寺派と連携した。
  10. ^ 村上專精の『仏教統一論』を意識して日蓮系教団統一への会派設立へと向かった。
  11. ^ 姉崎正治(東京帝国大教授)等と共同主催した。
  12. ^ 財団法人設立も目的とした。
  13. ^ 一致派の日蓮宗と勝劣派の顕本法華宗・本門宗・法華宗・本門法華宗・本妙法華宗・日蓮正宗
  14. ^ 顕本法華宗・本門宗・法華宗・本門法華宗・本妙法華宗・日蓮正宗
  15. ^ 日蓮宗・顕本法華宗・本門宗・法華宗・本門法華宗・本妙法華宗・日蓮正宗・不受不施派・不受不施興門派
  16. ^ (斎藤昭俊 1988, p. 427)には、本化正宗ではなく、「本化日蓮正宗」とある。
  17. ^ 旧本山4ヶ寺が中心
  18. ^ 旧総本山妙満寺が中心
  19. ^ (斎藤昭俊 1988, p. 449)には、終戦後に於ける法華宗の各派の名称は、それぞれ、法華宗、本門法華宗、本妙法華宗、とある。

出典

  1. ^ 木村勝行 1995, pp. 61-62a.
  2. ^ 日蓮正宗宗務院 1999, p. 252.
  3. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 20-但し、日蓮宗に属する日興門流寺院が勝劣派でないことのみ。
  4. ^ 金岡秀友 1979, p. 199-但し、不受不施派、不受不施講門派が勝劣派であることのみ。
  5. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 37-但し、1874年(明治7年)に、日蓮宗一致・勝劣両派が管長別置を許可されたことのみ。
  6. ^ a b 斎藤昭俊 1988, p. 458.
  7. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 113.
  8. ^ a b c d e f 本間裕史 1995, pp. 63-64a.
  9. ^ 金岡秀友 1979, p. 41a-但し、1876年(明治9年)に日蓮宗妙満寺派と称したことも含む。
  10. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 442.
  11. ^ a b c d 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 111.
  12. ^ a b c 金岡秀友 1979, p. 231.
  13. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 449.
  14. ^ a b 金岡秀友 1979, p. 239.
  15. ^ 金岡秀友 1979, p. 205.
  16. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 441.
  17. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 191.
  18. ^ 木村勝行 1995, pp. 61-62b-本隆寺派の改称および宗派と門流の関係を除く、本節全て。
  19. ^ 日蓮宗三派合同と分離独立」(本多日生記念財団webサイト)
  20. ^ 日蓮宗 現代宗教研究所 他教団研究プロジェクト
  21. ^ 日蓮宗 現代宗教研究所 他教団研究プロジェクト
  22. ^ 日蓮宗 現代宗教研究所 他教団研究プロジェクト
  23. ^ 日蓮宗三派合同と分離独立」(本多日生記念財団webサイト)
  24. ^ 日蓮宗三派合同と分離独立」(本多日生記念財団webサイト)
  25. ^ 日蓮宗 現代宗教研究所 他教団研究プロジェクト
  26. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 427-但し、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗が合同し日蓮宗と称したこと、法華宗・本妙法華宗・本門法華宗が合同して法華宗と称したこと、不受不施派と不受不施講門派が合同したことのみ。
  27. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 388-但し、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗が合同し日蓮宗と称したこと、法華宗・本妙法華宗・本門法華宗が合同して法華宗と称したことのみ。
  28. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 737-但し、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗が合同し日蓮宗と称したこと、法華宗・本妙法華宗・本門法華宗が合同して法華宗と称したこと、日蓮宗不受不施派・不受不施講門派が合同して本化正宗と称したことのみ。
  29. ^ 金岡秀友 1979, p. 203.
  30. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 442,458.
  31. ^ 金岡秀友 1979, p. 231,239,450.
  32. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 445,451.
  33. ^ 金岡秀友 1979, p. 192,204a.
  34. ^ a b 斎藤昭俊 1988, p. 456.
  35. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 389.
  36. ^ a b 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 449.
  37. ^ 本間裕史 1995, pp. 63-64b-但し、西山本門寺が単立になったこと、保田妙本寺が日蓮宗より日蓮正宗へ帰属したことのみ。
  38. ^ 金岡秀友 1979, p. 41b-但し、旧顕本法華宗寺院が、日蓮宗より独立して再び顕本法華宗と称したことのみ。
  39. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 450.
  40. ^ 金岡秀友 1979, p. 241.
  41. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 425.
  42. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 461.
  43. ^ 金岡秀友 1979, p. 192,204b-但し、合同を解消したことのみ。


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