昭和18・19年の行動
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「満珠 (海防艦)」の記事における「昭和18・19年の行動」の解説
竣工した満珠は多度津を経由し、12月1日に呉に到着。8日、呉を出港して坂手を経由し、9日に神戸に到着。10日、輸送船2隻からなる第8210船団を護衛して神戸を出港。船団は10.5ノットで航海し、11日に横須賀に到着。19日0700、満珠は海軍一般徴用船大天丸(大阪商船、4,642トン)単独からなる第3219船団を特設運送船第2号長安丸(東亜海運、2,612トン)と共に護衛して横須賀を出港。25日に敵潜水艦を発見し砲撃14発の発射及び爆雷14発の投下を実施し、破壊音を探知したが暗闇により詳細を掴めなかった。29日、船団はトラックに到着。 1944年(昭和19年)1月2日、満珠は特設工作艦山彦丸(山下汽船、6,799トン)、海軍一般徴用船山国丸(山下汽船、6,921トン)、特設運送船慶洋丸(東洋汽船、6,441トン)からなる第4102船団を駆逐艦朝風、朝凪、第24号掃海艇と共に護衛してトラックを出港。10日、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度42分 東経137度50分 / 北緯31.700度 東経137.833度 / 31.700; 137.833の鳥島西北西300km地点でアメリカ潜水艦スティールヘッド (USS Steelhead, SS-280)に発見される。0600、スティールヘッドは魚雷4本を発射し、うち1本が山彦丸の機関室に命中。満珠は爆雷8発を投下したが、スティールヘッドに被害はなかった。行動不能となった山彦丸は山国丸に曳航され、満珠は朝凪と共に八丈島八重根湾に向かい、同日到着するが、11日に風浪圧により被雷箇所から船体断裂、前部が沈没。12日に電纜敷設艇初島が救援のため浦賀を出港。同日、船団が横須賀に到着。満珠は総員退去となった山彦丸の生存者を救助し、13日に出港して館山に移動。翌14日に横須賀へ移動して生存者を降ろした後整備を受ける。山国丸は残っていた山彦丸の後部を曳航べく監視中の14日0035、ソードフィッシュ (USS Swordfish, SS-193)の雷撃を受ける。魚雷は山国丸の左舷2番船倉、3番船倉に3本が(1本は不発)命中。山国丸は被雷による大音響とともに50度に傾斜し、17分で沈没。山彦丸もその後まもなく沈没した。21日、満珠は横須賀を出港し、館山に移動。同日、海軍一般徴用船桑港丸(山下汽船、5,831トン)、貨物船第6雲海丸(中村汽船、3,220トン)、特設運送船伯耆丸(拿捕船/三井船舶委託、7,112トン/旧ニュージーランド船Hauraki)他輸送船1隻からなる第3120船団を海防艦隠岐と共に護衛して館山を出港。22日敵潜を発見、爆雷20発を投下するも戦果不明。敵潜水艦追尾の疑い漫厚のため、船団はサイパンに向かうことにし、29日に到着。31日、船団はサイパンを出港しトラックに向う。2月1日、敵潜を発見し、砲撃と爆雷攻撃を行うも戦果不明。2月4日、船団はトラックに到着した。13日、満珠は水上機母艦能登呂、給糧艦伊良湖、海軍一般徴用船辰浦丸(辰馬汽船、6,420トン)他輸送船1隻からなる第4213船団を隠岐、第31号駆潜艇と共に護衛してトラックを出港。20日、敵潜を発見したため砲撃を行う。26日、船団は横浜に到着。 詳細は「松輸送」を参照 3月1日、満珠は第3301船団の護衛に加わって横浜を出港。4日、父島に寄港したところで松輸送に指定され、船団名を東松1号甲船団に変更し5日に出港。12日、味方航空機が敵潜を発見したため、爆雷攻撃を加えるも戦果不明。同日、船団はトラックに到着。16日、空襲警報により満珠は対空戦闘を行う。17日、満珠は船団を護衛してトラックを出港し、22日にサイパンに到着。24日、東松2号船団復航船団を護衛してサイパンを出港。航海中の30日、連合艦隊付属となる。4月1日、船団は東京湾に到着。6日、満珠は館山にて諸訓練を行った。7日、東松第5号船団を護衛して館山を出港。12日、敵潜を攻撃して撃沈確実としたが、米軍側に該当艦はない。24日、パラオに到着。26日、東松5号復航船団を護衛してパラオを出港。翌27日にアメリカ潜水艦トリガー(USS Trigger, SS-237)の攻撃を受け、三池丸(日本郵船、11,738トン)が総員退去となり沈没。、陸軍輸送船阿蘇山丸(三井船舶、8,811トン)、三池丸救援中の海防艦笠戸の2隻が損傷した。満珠は三池丸の生存者822名を救助の後、パラオに戻って生存者を降ろした。30日、満珠は特設運送船(給油船)清洋丸(国洋汽船、10,536トン)、海軍一般徴用船神鹿丸(栗林商船、2,857トン)、神靖丸(栗林商船、2,880トン)他からなる清洋丸船団を護衛してパラオを出港。5月2日、敵潜を攻撃して撃沈確実とし、この功績で海護長官賞を受賞するが、米軍側に該当艦はない。4日、バリクパパンに到着。 12日、満珠は海軍給油艦足摺、高崎からなる高崎船団を護衛してバリクパパンを出港し、サンボアンガに無事到着。ここで船団から分離し、バリクパパンに戻った。17日1030、特設運送船(給油船)日栄丸(日東汽船、10,021トン)、建川丸(川崎汽船、10,090トン)、あづさ丸(石原汽船、10,022トン)からなる第一機動艦隊(小沢治三郎中将)への補給部隊を駆逐艦朝霜、響、浜風と共に護衛してバリクパパンを出港。出港直後、日栄丸の至近で磁気機雷が爆発したが、若干の損傷で済んだ。19日、船団は敵潜の攻撃を受けるも被害はなく、日栄丸が自衛用の爆雷を投下した。同日、タウイタウイに到着。20日、給油艦鶴見、特設運送船(給油船)雄鳳丸(飯野海運、5,227トン)、萬栄丸(日東汽船、5,226トン)他輸送船1隻からなる鶴見船団を駆逐艦秋月、浦波と共に護衛してタウイタウイを出港。21日、秋月が船団から分離し、タウイタウイに反転していった。同日、船団はタラカンに到着。24日、鶴見を護衛してタラカンを出港し、25日にタウイタウイに到着。31日、鶴見を秋月と共に護衛してタウイタウイを出港。6月1日、秋月が船団から分離し、タウイタウイに反転していった。2日、バリクパパンに到着。 7日、満珠は鶴見を第37号駆潜特務艇と共に護衛してバリクパパンを出港し、10日にタウイタウイに到着。11日から第一機動艦隊第三補給部隊となり、あ号作戦に参加。同日、特設運送船(給油船)旭邦丸(飯野海運、10,059トン)以下からなる旭邦丸船団を護衛してタウイタウイを出港。同日、船団は敵潜の攻撃を受けるも被害はなく、敵潜を攻撃して撃沈既ね確実としたが、米軍側に該当艦はない。12日、バリクパパンに到着。14日、旭邦丸、特設運送船(給油船)興川丸(川崎汽船、10,043トン)、良栄丸(日東汽船、10,016トン)からなる旭邦丸船団を護衛してバリクパパンを出港し、18日にカナル湾に到着。21日に出港するが、22日に興川丸が機関故障を起こす。旭邦丸が曳航準備をするが、敵潜の攻撃を受ける可能性があるため曳航打切りとなった。1400、カブガオ湾に到着。翌23日0600に出港し、0840にアルベー湾入口から旭邦丸が興川丸を曳航。1820に曳航終了となり、同日レガスビーに到着。24日、興川丸、良栄丸を護衛してレガスビーを出港し、25日にギマラスに到着。26日、日栄丸、良栄丸、興川丸他1隻からなる船団を駆逐艦卯月、初霜、第22号海防艦と共に護衛してギマラスを出港し、7月1日に六連に到着。2日に呉に移動。満珠は呉海軍工廠に入渠し整備を受ける。 17日0755、満珠は日栄丸、良栄丸、興川丸他1隻からなる機動部隊燃料補給部隊を駆逐艦卯月、皐月、夕月、第30号駆潜艇、第33号駆潜艇の護衛で呉を出港し、途中高雄に寄港。20日、日栄丸から第33号駆潜艇へ燃料補給。23日0847、船団はマニラに到着。27日0558、日栄丸、良栄丸、興川丸からなる日栄丸船団を駆逐艦卯月、皐月、夕月と共に護衛してマニラを出港。29日、良栄丸機関部で火災が発生するも消火に成功。8月1日1539、船団は昭南に到着。10日0800、日栄丸、良栄丸、興川丸からなる日栄丸船団を駆逐艦卯月、皐月、夕月と共に護衛して昭南を出港。11日1740、興川丸が故障し、同船は皐月の護衛で昭南に引き返した。17日1350、船団は馬公に到着し、夕月は日栄丸から燃料補給を受ける。同日1750に出港し、21日1716に呉に到着。満珠は呉海軍工廠に入渠し装備増強を受ける。航海中の20日、連合艦隊第三十一戦隊に編入。 9月6日、満珠は呉を出港し、訓練に従事した後室積沖に停泊。7日、海防艦干珠、三宅と共に門司に移動。8日、満珠は水上機母艦秋津洲、良栄丸、日栄丸他輸送船7隻からなるヒ75船団を空母神鷹、駆逐艦夕月、卯月他護衛艦2隻と共に護衛して門司を出港。12日、基隆行きの海軍一般徴用船浅間丸(日本郵船、16,947トン)が船団から分離。かわりにモタ25船団から陸軍船瑞穂丸(大阪商船、8,506トン)を加入させる予定だったが会合に失敗。13日、船団は高雄に到着。ここでタンカー黒潮丸(東和汽船、10,518トン)、陸軍配当船大邦丸(飯野海運、10,045トン)、富士山丸(飯野海運、10,238トン)と護衛の第18号海防艦、水雷艇鵯、第28号掃海艇を編入し、14日に出港。以降船団は故障や衝突に悩まされる。17日、特設巡洋艦西貢丸(大阪商船、5,350トン)、秋津洲と護衛の卯月、夕月が船団から分離してマニラに向かった。22日1600、船団は昭南に到着。 10月2日1700、満珠は良栄丸、日栄丸、黒潮丸他輸送船6隻からなるヒ76船団を空母神鷹、海防艦干珠、三宅他護衛艦3隻と共に護衛して昭南を出港。8日未明、船団は北緯14度12分 東経115度53分 / 北緯14.200度 東経115.883度 / 14.200; 115.883の地点でアメリカ潜水艦ベクーナ(USS Becuna, SS-319)に発見される。ベクーナの雷撃により元特設水上機母艦の特設運送船君川丸(川崎汽船、6,863トン)の左舷4番船倉と5番船倉に1本ずつが命中し損傷。君川丸は水雷艇鵯と第28号海防艦の護衛でマニラへ向かった。15日1500、船団は海南島の三亜に到着。16日0425、船団は三亜を出港するが、1300に特設運送船(給油船)たらかん丸(三菱汽船、5,135トン)の船体に亀裂が発生したため同船は三亜に引き返した。17日、連合艦隊への給油任務のため良栄丸が船団から分離し、満珠は同船を三宅と共に護衛して馬公に向かい、18日に到着。第五艦隊及び第一水雷戦隊と会合し、給油任務を行う。20日、満珠は笠戸、三宅、干珠と共に第二十一海防隊を編制。23日、満珠は馬公を出港し、26日に廈門に到着。同日1800、ミ23船団に加わり厦門を出港。27日0800に船団は馬公に到着した。同日、満珠は馬公から高雄へ移動。31日、黒潮丸、良栄丸、海軍配当船松島丸(日本海洋漁業統制、10,240トン)他輸送船1隻からなるヒ79船団を練習巡洋艦香椎、海防艦鵜来、能美他護衛艦2隻と共に護衛して高雄を出港。11月2日1432、B-24による爆撃を受けるが被害はなかった。9日1000、船団は昭南に到着。 17日1710、満珠は黒潮丸、良栄丸、松島丸他輸送船5隻からなるヒ80船団を練習巡洋艦香椎、海防艦鵜来、能美他護衛艦4隻と共に護衛して昭南を出港。20日1240、第17号海防艦が分離し、サンジャックにむかった。かわりに同地より第23号海防艦と第51号海防艦が合流する。24日1300、満珠は船団から分離する逓信省TM型標準船日南丸(飯野海運、5,175トン)を第51号海防艦と共に護衛してバンフォン湾に向かい、同日到着。28日、日南丸を護衛してバンフォン湾を出港し、12月2日に馬公に到着。3日、アメリカ海軍潜水艦セイルフィッシュ (USS Sailfish, SS-192) の雷撃により艦尾を亡失した駆逐艦春風を護衛して馬公を出港し、6日に高雄に到着。8日0721、満珠は貨客船帝立丸(帝国船舶/大阪商船委託、9,877トン/旧仏船Leconte de Lisle)、陸軍特殊船吉備津丸(日本郵船、9,574トン)、元特設水上機母艦の特設運送船聖川丸(川崎汽船、6,862トン)他輸送船1隻からなるマモ05船団を海防艦対馬、大東と共に護衛して高雄を出港。同日1530、馬公に到着。10日0726に出港し、12日0236に三門湾に到着。同日0741に出港し、14日2110に伊万里湾に到着。15日0800に伊万里湾を出港。同日敵潜を発見したため爆雷攻撃を行った。同日1810、船団は六連に到着。16日0858に出港し、1042に門司に到着した。満珠は同日門司を出港し、17日に呉に到着して装備増強を受ける。
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